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天峰国物語 ―混じりの姫は世界の真実を追う―  作者: 音下 希乃
一枝 虐げられた混じりの仔

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一葉 二十二節 初めの一歩

「……様、柊哉様」


 平伏していた、父より少し年上の男が顔を上げる。


「本日は、何用で我が楮乃家に参ったのでしょうか?」


 朗らかに言葉を紡ぎながらも、瞳の奥で冷静にこの場を値踏みしている。

 一言一句、言葉の裏を探りながら、隙を見せた瞬間に己の要求を飲ませるために。


 ――あぁ、やはり、変わらないのか。


 義務と責任はこちらに押しつけ、利だけ貪ろうとする、その姿。

 ふっと小さく嘲笑う。

 それを悟られないように、目を緩ませ笑みを浮かべて、口を開いた。


「……急なご連絡を受けてくださり、助かりました」


 声は明るく、朗らかに。

 菜乃華のような、人好きするような笑みを浮かべて。


 ――さて。


「話は、そちらの長男、萩太郎について」


 ――今回は、そちらの思うようにはさせない。


 見えないように、座卓の下で拳を握る。


「あれを、修練の場で見たのだが……」


 ゆらりと茶器から昇った湯気が、視界の端をゆるりと横切って、消えた。



 ****


 昨晩、私と父様が話し合っている内に、桜様は楮乃家へと飛び文を出したらしい。

 朝、父様は朝食も食べずに書庫殿を出て行った。

 そして、昼。


「では、楮乃は萩太郎の再教育を飲んだのですか?」


「あぁ、桜様がかなり厳しく追及してくださってね。『修練の時間は、各々の教育に宛てる』と修練に参加する他の家の子達にも通告して、明確に萩太郎が再教育を受けていると周知させるところまで承諾させていたよ」


 昼前に戻ってきた父様と昼食を食べ、私は父様と一緒に食後のお茶を飲んでいる。

 話題は、今朝の楮乃家との会談だ。


「あの、それでは私も再教育だと思われるのでは……?」

「いや、菜乃華は神託の儀が近いから。菜乃華の教育は王族教育の一環だと周知させる。それに、萩太郎だけが再教育を受けるって文脈に整えさせたから、勘違いはされないと思うよ」

「そう、なのですね」


 承諾させていた、整えさせた、と極僅かに違う表現に、桜様が関与した範囲と父様が関与した範囲が明確に分かってしまって、居心地が悪い。


 ――でも、それだけ二人が交渉に尽力してくれた証ですね。


「ありがとうございます、父様」

「これくらい、どうってことないよ」


 互いに顔を見合わせて笑い合う。


 ――これで、少しは萩太郎が改心してくれたらいいのですが……。


 無理ですね、と浮かんだ考えを即座に否定する。

 実家から叱られたぐらいで、あの憎しみに染まった青藍が変わるわけがない。


 ――戻ってきた萩太郎を、主として制する……私にできるのでしょうか?


 降って沸いた難題に、思わず頭が痛くなる。


 “菜乃華は、菜乃華にしかできないことをするんだ”


「あ……」


 ふと、桜様の言葉が蘇った。


 ――そうですね。私は、私にしかできないことを、一つ一つこないくだけです。


 全てを最初から完璧に、なんて、自惚れてはいけない。

 私は、つい最近まで混じりと蔑まれてきた。

 いきなり、主として王族として、一人で立とうと思わなくて良い。


「菜乃華……?」


 黙ってしまった私を心配する父様の声がする。


 ――何かあったら、話せば良いのですから。


 そうしたらきっと、父様が助けてくれる。

 桜様も、蘭様もきっと。


「大丈夫です、父様。何かありましたら、ちゃんとご相談しますから」


 もう、黙って耐えていた“混じりの仔”はいない。

 ここにいるのは、次の神託の儀で王族の一員となる、天峰菜乃華なのだから。


「……そうだね。待ってるよ」


 信頼の籠もった父様の新緑が柔く緩んだ。



 ****



「え?楮乃の方から「神託の儀の相手は萩太郎から変えないでくれ」って頼み込んできたの?」


「えぇ。つい先ほど……」


 蘭様のお屋敷の離れの一室。

 先に宮廷を出て、せりに武術指導をしていた桜様に遅れた理由を話すと、桜様が驚きの声を上げた。


「昼食後、私達が今朝の話し合いについて共有すると、向こうは予測していたのでしょうね。「萩太郎の教育は抜かりなく行うから、剣舞の相手は変えないでくれ」と懇願されまして……」

「ふぅん……」


 冷えた桜様の嘆息が部屋に響く。

 春ももうすぐだというのに、空気が一段冷え込んだ気がした。


「楮乃が、王族である柊哉様に対して、面会の文を送ることもせず、直談判ねぇ……」


 一言一言区切られた言葉達に、桜様の静かな怒りが伝わってくる。


 ――ただ、楮乃家も猶予がなかったのだと思うのです。


 萩太郎が私を率先して虐げていたのは周知の事実であり、それに便乗していた子弟達も、今回の通告によって王族に睨まれる立場になってしまった。

 結果、楮乃は王族からも傘下の家からも睨まれる事になる。傘下の家を守らない主家など主家にあらずと、当主としての求心力を損ねかねない。

 ならば、と考えたのが「萩太郎の剣舞続投」だろう。

 私達王族には「再教育は済んだ」と示し、傘下には「長男はなお重用されている」と示す。


 ――さすが、この宮廷内を渡り歩いてきた猛者ですよね。


 転んでもただでは起きない。


「菜乃華はそれを受けたの?拒否しても良かったんじゃない?」

「えぇ。父様も拒否しようとしたのですが、私が止めたのです」

「どうして?」


 金の瞳が丸くなる。

 それをくすりと笑いながら、少しだけ胸を張って答える。


「楮乃の提案は、萩太郎の体面を守るぎりぎりの線なのでしょう。それをただ突っぱねるだけでは、私達の利になりません」

「利……」

「えぇ……私から、楮乃への貸しにします」


 金の瞳がさらに丸くなった。


「王族として、楮乃に甘い顔をさせないと断る役は父様がしてくれました。そこを、私が救ったのです……萩太郎が付き人として復帰したとしても、私がやることに口を出させませんし、萩太郎を使って私に意見を通す事も、させません」


 思いついたのは、本当に偶然だった。

 優しいお父様が咎めないことを良いことに、私に目を向けることもなく、自身の希望ばかり押しつけてきた、楮乃の当主。

 あまつさえ、父様が断ってから私に目を向け「萩太郎は貴方に長く仕えてきただろう?」と情に訴えてきた。

 その目は「混じりの小娘くらい丸め込めるだろう」という侮りが隠せていなかったのに。

 私を軽く見ているその態度に苛立ち、そして、思ったのだ。

 ――桜様なら、この男をどう罠にかけるのだろう……?と。

 

「向こうは「お優しい菜乃華様と繋ぎができた」と吹聴することでしょう……ですが、私はもう、萩太郎の体面を救ったのです。向こうの要求を飲まねばならない謂れはありません」


 だって、大事な長男の体面を守ったのですから。


 蘭様の笑みを思い出しつつ、艶やかに笑いながらそう告げたら、目の前の桜様は少し呆然とした表情をしていた。


「桜様……?」

「それ、菜乃華が考えたの?」

「え、えぇ。「桜様ならどうなさるだろう?」と考えながら……」


 そこまで言って、はっと口を噤む。


 ――こんなの、頼りにしております、と言っているようなものではないですか……!


 父様になら素直に言える言葉も、桜様には何故か恥ずかしくて言えない。

 袖口でそっと口元を隠し、ゆっくり視線を金の瞳から外す。

 今は金の瞳を見続けるのが恥ずかしかった。

 そうすること、暫く。

 いきなり、目の前の桜様が吹き出した。


「はははっ……!!」

「っ?!さ、桜様……?」


 静かな空間に突然沸いた笑い声に、肩が跳ねる。

 桜様を見ると、少し前まで冷えた光を湛えていた金の瞳が、今は楽しいとばかりにきらきらと輝いている。


「菜乃華、本当に強くなったねぇ」

「え、えっと……」

「僕や……笑い方は蘭、からかな?この短時間で色々学んでて本当に偉いよ……楮乃は菜乃華の本性を知ったら、さぞ驚くだろうなぁ」

「……ありがとうございます」


 どうやら、表情は上手く繕えていたらしい。笑う桜様を見ながら、内心でほっと胸をなで下ろす。


 ――これからは、こういった表情や仕草で権威を示していかなければいけないのですよね……。


 できるのだろうか、私に。

 不安は尽きない。


「はぁ……笑った……でも、楮乃本家はともかく、萩太郎の方は大丈夫?あれはかなり厄介者だと思うけど?」

「たしかに、萩太郎は再教育を施しても変わらないと思います……ですが、」


 真剣に私を見据える金の瞳を負けじと見返す。


「あの者の手は私が一番知っています……見ててください。萩太郎に侮られないよう、この目の力を利用して、つつがなく神託の儀を終えられるよう、務めてみせます」


 そう言って、私はもう一度桜様に笑いかけた。

 桜様の金の瞳が一瞬だけ見開いて、柔く緩む。


「うん……期待してる。菜乃華ならできるよ」


 その一言がとても穏やかで、優しくて。

 そんなつもりはなかったのに、私の頬がさっと朱に染まったのが分かった。



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