一葉 二十一節 父様との対峙
「菜乃華、それをどこで知ったんだ!!」
がたりと大きな音を立てながら、父様が大きな声を上げた。生まれて初めて聞いた父様の怒鳴り声に、びくりと肩が揺れて、目を瞑った。
――怖いっ……!
でも、これではっきりした。
執行人の存在を書庫殿から消していたのは父様だ。
「っ、ごめん、菜乃華……」
怯えた私を見て、父様はすぐに謝って後ろに下がった椅子を元に戻して座り直した。
そのまま、重苦しい沈黙が部屋の中に満ちる。
――父様は、私に執行人の存在を知って欲しくなかった……。
確かに、人の死を司る存在を、娘である私に知って欲しくなかった。それでも筋は通る。
でも、この拒絶の仕方には、それ以外の理由がきっとある。
――私は、それを知りたい。
たとえ、父様の気持ちに背くことになっても。
「……今日、桜様との散策で白波瀬川の近くに行ったんです。そこで、民が「執行人の処刑だ」と騒ぐ声を聞きました……」
「……大通りを視察するって聞いてたんだけどね。謀ったか……」
父様の目に剣呑な光が宿る。
一段低くなった声に怯えながらも「続けて」と鋭い視線の父様が言ったので私は続ける。
「桜様は、最初は執行人に関わりたくない様子でした。ですが、気を持ち直されて「王族に連なる者なら見るべきだ」と……」
「なるほど?それで桜様に連れられて処刑を見た、と……最後まで?」
「いえ、あの、最後の瞬間は、蘭様が見ないように計らってくださいました……遺体も、見ておりません……」
「そうか……蘭、くんには感謝しないと……」
あの遺体は、菜乃華には刺激が強すぎるから、と言って、父様は静かに目を伏せて自身の考えに耽り出す。
でも、私はまだ、全てを父様に話せていない。
「……私の目は、巫術を見るだけではなかったようです……」
「……え?」
父様の目が開いて、新緑の瞳が私を捉える。
脳裏をよぎる、虚ろな新緑の瞳を思い出して、背筋が冷えた。
父様の瞳を真っ直ぐ見れなくて、目を伏せながら話し出す。
「執行人が放たれた瞬間……地表から黒い靄が現れました……黒い靄は、執行人に纏わり付き、耳と爪と牙を生やしました……そして、」
思い出すのは、虚ろな新緑に見つめられた、あの瞬間。
忘れられるわけがない、だって、あの色は。
「……執行人の瞳が、緑に、……父様と、同じ色に光っていました……」
「っ!!」
「父様、教えてください!あれは……執行人は、本当に父様ではないのですよね?!」
父様が大きく息を飲む音に、堪らず最後は叫ぶように父様に問いかけてしまった。
視線を上げた先、父様は、戦慄した表情のまま、黙って何も言わない。
――どうして何も言ってくださらないのですか、父様……!!
それでは、まるで。
まるで、父様が、執行人では……。
「父様っ……!」
「っ!違う!今の執行人は、私じゃない!」
私の縋る声に、慌てて大きな声で父様が否定する。
「確かに、菜乃華の目に入らないように、執行人に関する書や日報は私が隠してきた。でも……私は、執行人ではないよ。それは信じて欲しい」
「やはり、父様が隠していたのですね……」
私が執行人について何も知らなかった理由。
私が考えていたとおり、父様の仕業だった。
「そこまでして、徹底的に執行人の存在を隠した理由は何なのですか?父様」
「……一つは、菜乃華に処刑について知って欲しくなかったから。王族の一員とはいえ、書庫殿に出入りし始めた時の君はまだ幼かった。執行人に関する報告には、遺体の詳細な検分状況も記載される。幼い君に見せてはいけないという、父親としての判断だ」
「そう、ですか……」
遺体の詳細な記載、と聞かされ怖じ気づく。確かに、書庫殿に出入りするようになった十歳の私が、その記述を読むことは厳しかっただろう。父様の配慮があって良かったと心の底から思う。
でも、父様が隠していた理由はもう一つある。
「他の理由は、教えてくれませんか?」
「っ、それ、は……」
父様の新緑の瞳が申し訳なさそうに酷く歪む。
その表情に「言わなくてもいいですよ」って言いたくなるけれど、それはできない。
だって。
――父様は“今の”執行人は私じゃないって言いました……。
それはつまり。
今の執行人が誰なのか、知っていると言うこと。
と、そこまで考えたところで、戦慄した。
――“今の”ということは、いずれ、父様があれに……執行人に、なるということでは……?!
「父様、聞きたいことが……!」
「っ、菜乃華、すまない……!これ以上は、答えられない!!」
父様が声を上げて私の言葉を制する。
焦りを含んだ新緑が私を射貫いた。
「執行人に関しては女王である伯母様……白梅様の管轄だ。菜乃華は知らなくて良い。……君は聡い子だ。おそらく、私の言葉から何かを察したんだろう?……すまない」
「父様……」
絞り出すような、苦痛の籠もった父様の声に、私は何も言えなくなる。
――父様を、困らせたい訳ではなかったのです……。
本当に、父様を苦しめてまで、全てを知る必要があるのだろうか?
この目の力も。
獣の異形の正体も。
何も知らないまま、ひっそりと書庫殿で暮らしていても良かったのではないか……。
――違う。
よぎった暗い考えを頭を振って追い払う。
確かに、何も知らないままの方が幸せだったかもしれない。
でも、知らないままだったら。
――せりとなずなを救えなかった。
せりとなずなを救えたのは、私が知りたいと行動を起こしたから。
なら、私は迷わない。
「父様……今は、もう聞きません……」
「菜乃華……」
「ですが、」
溢れそうになる涙を指で一度拭ってから、真っ直ぐ父様の顔を見る。
父様の顔は真っ白で、今にも倒れそうな顔をしている。
――ここまで、父様を追い詰めるつもりはなかったのです……。
知りたい、と思うだけでは駄目。
教えてもいいと、話しても良いと思えるように、信頼してもらわないと。
私に足りない物がまた一つ、分かった。
「私に話しても良いと父様が思えた時には、話してくださいますか?」
そう思ってもらえるように。
「私も、話してもらえるように、精進しますから……」
「菜乃華っ!違う……違うんだっ……!でも、」
くしゃりと父様の顔が酷く歪んで、俯く。
はぁはぁと父様が息を整える音だけが部屋に響いて。
「ごめん……今は、その言葉に甘えるよ……ありがとう、菜乃華。話す覚悟ができたときには、必ず伝えるから」
涙に濡れた瞳のまま、父様が私に笑った。
「父様……」
「あぁ、もう、父親として形無しだ。情けない姿を見せてしまったね……」
親指で涙を拭いながら、情けないな、と父様が笑う。
私は首を振ってそれに答えた。
「情けなくなんか、ないです。父様は、いつも私を守ってくれましたから」
「いや、そんなことはないよ。菜乃華が何も言わないことを良いことに、見て見ぬふりをしてたことも分かったばっかりだから」
「見て見ぬふり……?」
「萩太郎君のことだよ。桜様から聞いた。……菜乃華の様子がだんだんおかしくなっていたのには気づいていたのに、楮乃の息子だからと、強く出れなかった」
本当、父親失格だ、と父様が笑う。
「父様のせいでは……!私が、心配を掛けたくなくて……!」
「菜乃華が言わなかったからだとしても、主である君を蔑ろにした萩太郎君を見逃して良い理由にはならない。本来なら、互いに未熟な君たちを親である私と楮乃が導くべきだったんだ」
桜様にきつく言われてしまったよ、と父様が頭を掻く。
「今からでも、父親らしい事をさせて欲しい。明日、桜様と一緒に楮乃に話を付けてくる。神託の儀まで、君も萩太郎君も修練には出ず、各自で教育を進めるように話を持って行くつもりだから」
菜乃華は双子達のところに行きなさい、と父様が笑う。
父様の父親らしいその態度に、冷え切っていた胸の奥に温かなものが灯った。
「ありがとうございます、父様……!」
「礼なんかいらないよ。父として当然のことをするだけだから。あぁ、でも……」
父様が言葉を切って何か考えるような仕草をする。
「菜乃華には、あれが……執行人が獣に見えたのか。確かに、執行人がなんなのか、女王の管轄とはいえ隠されすぎている……よし、」
考えが纏まった父様が私へと向き合う。
「菜乃華へのお詫びとして、書庫番としての立場を少し借りよう……執行人について、私が読める範囲で何か書かれてないか、調べてみよう」
父様の新緑の瞳に熱が灯る。
それはきっと、父様が決意を固めた証左であって。
「何か分かったら、今日言えなかった事と合わせて、全てを、菜乃華に伝えると約束する。……今はこれで許してくれるかい?」
「許すだなんて……!」
大きく首を振って、父様の言葉を否定する。
「父様、気にしないでください!私が、考えなしに聞き過ぎただけですから……!でも、」
私と同じ、新緑の瞳を見つめる。
そこには私を気遣う感情しか浮かんでいない。
――父様は、私を大切に思ってくださっているから。
今は、それで十分。
「ありがとうございます、父様……何か分かったら、教えてください」
「あぁ……約束するよ」
その言葉とともに、父様と笑い合う。
――父様と同じ新緑の瞳を持てて良かった……。
心からそう思った。
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