一葉 十九節 それぞれの覚悟
ぎこちない雰囲気のまま遅い昼食を終えて、私達五人はまた蘭様の先導で表通りから少し外れた道を歩いていた。
これからどうなるのだろうと、それぞれが考えていることが手に取るように分かり、誰もが話そうとしない。
唯一、蘭様の言葉だけで全てを理解した桜様だけが足取り軽く蘭様の後に続いている。
――蘭様は一体どうするつもりなのでしょう……?
“可哀想で助けられるほど、人は軽くない”
桜様の言葉が頭の中をぐるぐると回る。
そう、可哀想、とただ同情することしか私にはできなかった。
同じ話を聞いていた桜様が、自分ができる範囲で彼らを助けようとしたことが、今なら理解できるのに。
――私と桜様の違いって何なのだろう?
――桜様は、自分が手を出せる範囲をしっかり理解していらした。
――知りたいと思うだけでは駄目なのでしょう。
――私がここに……宮廷にいる理由って何?
「着きました。こちらからお入りください」
蘭様の言葉にはっとして、慌てて視線を巡らせる。
そこは、どこかのお屋敷の裏口だった。からりという軽い音を立てて引き戸が開けられて中へと促される。まずはするりと桜様が扉をくぐって、私を含めた三人は遠慮がちにその後に続いた。
「ここは……」
戸の向こう、そこには大きな二階建ての屋敷があった。裏手側から入ったから分からないけれど、きっちりと木目が揃った板張りの壁は、宮廷に勝るとも劣らないできばえだ。裏路地を歩いてきたからこそ、その違いがよく分かった。
防犯のためか、本邸の周囲には背の高い松の木が植えられている。立派だな、と視線を上げた先、本邸の屋根の向こう、山肌に建てられた朱色の鳥居がよく見えた。
「白杉神社……じゃあ、ここは神織山の近くなのですね……」
そんなお屋敷に、裏口からすんなり入れる蘭様のお立場って、と考えたところで「こちらです」とさらに蘭様から声を掛けられた。考え事は後にして黙って蘭様の後に続く。
連れてこられたのは本邸から少し離れたところにある小さな離れだった。作りは蝋梅の庵に似ている気がする。慣れ親しんだ雰囲気の建物に、今日一日張り詰めていた緊張の糸が緩んだ気がした。
靴を脱ぎ、案内された客間へと入る。上座に桜様、その横に私が座り、扉近くにせりとなずなが座らされた。
蘭様は、私達とせり達のちょうど中間の位置に腰を下ろす。
眼鏡の向こう、閉じられた深緑の瞳が開いた瞬間、その場に緊張が走った。
「せり、なずな」
凜とした声が水面を叩く水のように部屋に広がる。
空気がさらに一段引き締まった。
「あなた達は、菜乃華様に全てを捧げる覚悟はおありですか?」
「えっ?」
「はぁ?!」
蘭様の言葉に双子が同時に声を上げる。
「っ、蘭様……?!」
何を、と続けようとした言葉は、隣から伸びた桜様の手にやんわりと止められた。
それを横目でちらりと確認した蘭様がさらに言葉を続ける。
「あなた達の立場は薄氷の上を歩くようなもの……。どうして、私達があなた達を捕らえたと思いますか?」
「え……」
「それは……俺たちが路地裏にいたから……」
「違います」
間髪入れずに蘭様が答える。
「あなた達を捕らえたのはひとえに菜乃華様がいたからです。……菜乃華様がいなければ、私は……桜様は、ためらいなくあなた達を手に掛けたでしょう」
その言葉にひゅっと二人の喉が鳴る。
私も同じように蘭様の言葉に驚いた。
でも、同時に理解もしてしまう。
――捕らえるよりも、そうした方が簡単だから……。
そう考えられるようになってしまった自分が、酷く醜いものになってしまったような気がした。
「そして、話をする機会を与え、あなた達の命を救い、この場まで整えられたのも、菜乃華様の慈悲によるものです」
驚愕に目を見開いたままの二人に対して、蘭様は冷徹なまでに淡々と話を進めていく。
「これらを踏まえて、あなた達が全てを菜乃華様に捧げる覚悟があると言うのなら、」
銀の縁の向こう、深緑の瞳が二対の空色の瞳を射貫く。
「私が、あなた達に生きるすべを授けましょう」
紡ぎ出される言葉は、まるで神託のように空間に広がって。
「……私の庇護下に。そして、菜乃華様の付き人として、菜乃華様の役に立てるよう、」
蘭様が息を吸う音だけが静かな部屋に満ちて。
「私が、指導いたしましょう」
厳かな響きを伴って、空中に四散した。
「……っ、蘭様、一体何を……?!」
蘭様が放った言葉がようやっと頭の中を巡りだし、震えた声が口から漏れる。
――私が、この子達の主に……?
「そんなの……!」
「その先は、天峰の名を持つなら言ってはなりません、菜乃華様」
無理です!と言いかけた言葉は蘭様の鋭い声に音もなく消えた。
双子を射貫いた深緑の瞳が、今度は私を射貫く。
「これはあなたの為でもあるのです」
蘭様の冷静な声が私のざわついた心を沈めていく。
「萩太郎が付き人として機能していない以上、新しい付き人は必須。ですが……」
真っ直ぐ私を射貫いていた深緑の瞳が、申し訳なさそうに伏せられる。
「……あなたは、王族といえども忌避されている混じりです。新たに付こうとする者は皆無でしょう」
「王、族……!?」
「混じりの王族って、まさか……!」
「静かに」
蘭様の言葉に驚く双子を、すかさず桜様が言葉で制する。
「……菜乃華様は“人の上に立つ”という経験が少ないように思われます。……王族として、それでは宮廷では生きていけません」
「あ……」
蘭様にも、私の足りないところを突きつけられてしまった。
――これは、私に課された試練なのでしょう。
蔑まれているからと、俯き、抵抗することなく、ただ、父様という安全圏で守られていた私に課された試練。
――人の上に立つ、という覚悟。
蘭様が双子に問いかけた覚悟とは、同時に私に対しても問いかけられたものだった。
「この子達も混じりです。あなたに助けられた恩もある。そして、菜乃華様、」
怜悧な声が私の名前を呼ぶ。
「“可哀想だけでは、人は救えない”のです。なら、同情以外の理由をあなたが作り、二人を導くべきです」
「私が……二人を導く……」
蘭様の言葉が、私の胸を酷くざわつかせる。
――私にできるのでしょうか?
宮廷の中で、一番虐げられた私に。
この子達を導く事が。
「私、は」
しんと静まりかえった部屋に微かな少女の声が落ちる。
「私は、菜乃華、さまに付きます……!」
「なずな……?!」
精一杯の宣言が、部屋の中に響いた。
「覚悟、と言われても、私にはまだ分かりません……でも、」
決意が籠もった空色の瞳が私を見つめる。
「あの時……怖くて何も言えなかった私に、手を差し伸べてくれた菜乃華様になら、私は、全てを差し出せます……!」
「なずな……!」
なずなの思いのこもった言葉が、ざわついていた私の胸を鎮めてくれる。
後に残るのは、温かな感情に満たされた心。
「……なずながそう言うなら、俺も菜乃華、さまに付く」
「せり?」
なずなとは違う、強い意志の籠もった瞳が私を見た。
「あんたは混じりの癖に綺麗すぎる。なら、助けてくれた礼にあんたを悪意から守ってやる。……なずなの事もずっと俺が守ってきたし、あんた一人増えたところでどうってことない」
「助けただけでそこまでしてもらうわけには……」
「助けただけってあんたなぁ……」
呆れた声を出してせりが笑う。
「んじゃあ、もう一つ。……俺達の話を聞こうとしてくれたのは、母さん以外だったらあんたが初めてだった」
すっと居住まいを正してせりが言う。
「あんたなら、俺の話をちゃんと聞いてくれるって分かったから……それだけで十分だ」
「せり……」
その言葉に、修練の光景が浮かぶ。
混じりと呼ばれ、何度声を上げても“天峰菜乃華”として見てもらえない。
あの、自分が透明になってしまったかのような感覚。
――あなた達も、それを知っているのですね。
二人との距離が一歩縮まった気がする。
では、と言葉を発そうとした瞬間、隣の桜様の雰囲気ががらりと変わった。
「……蘭、この子達を付き人にするのはいいよ?でも、費用は?時間はどう捻出するの?」
冷徹に現実を突きつける声が部屋に落ちる。
「菜乃華の王族としての晴れ舞台は神託の儀だ。で、花告風ももうじき吹く。そうだね、ざっとあと二週間か三週間かな?」
嘲笑うように桜様が言葉を紡いでいく。
「……それまでに、それは、仕上がるの?」
それ、という言葉とともに双子を指さす桜様。
冷徹な金の瞳が二対の空色を射抜く。
びくりと、双子の肩が揺れた。
「……できます」
桜様の言葉に怯むことなく、蘭様が冷静に返す。
「どうやって?」
「費用の方は、楮乃へ請求します」
「へぇ……」
「桜様も見たでしょう?萩太郎の付き人たり得ぬ姿を。それを、楮乃へ伝え、責任を取らせます。萩太郎の再教育は絶対に飲ませます。合わせて、こちらが新たに準備した付き人を菜乃華様に付ける事を認めさせ、費用を請求します」
「僕を使って?」
「えぇ。協力してくださいますね?」
にこりと、艶やかに笑う蘭様。
その姿に降参とばかりに桜様が両手を挙げた。
「全く、主使いが荒いな……さて、菜乃華」
「は、はい」
息も吐かせぬやりとりの後、くるりと桜様が私に向き合った。
「蘭の建前は完璧だ……後は、彼らを背負う、君の覚悟だけ」
どうする?と金の瞳が私を真っ直ぐ見つめる。
……ずっと、建国物語を読んで思っていた事がある。
陽葵様は、どうしてあれ程までこの国に尽くすことができたのか、と。
私と同じ少女の身でありながら、嵐や、蛮族に立ち向かうのは怖くなかったのか、と。
――今なら、分かる気がします……。
私を見つめる空色の瞳達を視界に入れながら思う。
陽葵様は、ただ、守りたいものがあったのだろう、と。
だからこそ、女王となり、数多の障害から守りたいものを守ったのだろう、と。
なら、私は。
「……覚悟は、できました」
金の瞳から目を逸らさずに、はっきりと言葉を紡ぐ。
かつての私と同じ、いない者として扱われ、蔑まれてきた双子達。
そんな彼らを守れるくらい、立派な人になりたい。
それこそ、巫術を賜り国を守った、陽葵様のように。
すっと立ち上がり、双子の前で立ち止まる。
二対の空色が私を見上げていた。
「私は、主として至らぬ点がたくさんあると思います……それでも、私に仕えてくれますか?」
情けなくも震えそうになった声をなんとか抑えて、二人に手を伸ばす。
「「……よろしくお願いします、菜乃華様」」
揃った二人の声とともに、差し出した手にそっと二人の手が乗せられた。
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