一枝 一葉 二節 日常
私の母様は天峰国の出ではない。
傍系ではあるけれど、王族である父様と結ばれたのはそれなりに深い理由がある、らしい。
まず、父様の結婚相手は決まっていなかった。
天峰国の王族は、女子でも男子でもその血を確実に繋ぐため必ず結婚させられる。そのため、五大主家の平地に降りた二家、紬と梶乃から歳の近い男女の子をそれぞれ侍従、侍女として幼い頃から婚約者候補として側に置くという決まり事なんかがあるくらいだ。
ちなみに、五大主家の残り三家である槌門、薬師寺、水無瀬は一部例外を除いて家の役割を繋ぐために子を外に出さない。山の守護のために山に残った一族は、その三家の中で血を繋いでいく。
父様はかなり遅くに生まれた子だったらしく、紬も楮乃も、年頃の近い女子は皆、白梅様の長男である槐様に付けられていた。女王世襲制である天峰国であれば、傍系王族である父様よりも当代女王直系長男である榊様が優先されるのは仕方が無いことだった。
そんなこんなで、王族でありながらも政局からはじき出された父様は、お祖父様がそうであったように次代女王が定まってからゆっくりお嫁さんを探す予定だったのだ。
その予定を崩したのが、槐様だ。
槐様は歴代王族の中でも強い身体強化の巫術をお持ちだった。そのせいか、幼い頃から白梅様の王配であり、槐様の父である松風様から天峰国初の国王になれるように、かなり厳しい修練を積まれ、王になるよう圧をかけられたらしい。
そんな圧に嫌気がさした槐様は、付けられた侍女達を軒並み退け、自身と同い年であった紬家のご当主様である杉野様を侍従とし、警邏隊の一兵卒として国政と無理矢理距離をおいた。それは誰にとっても晴天の霹靂だったらしく、王子様を一兵卒にしておけない!と慌てた当時の警邏隊の隊長は慌てて総大将の地位を槐様に譲った。
そして、総大将として働くこと一年。紬家の傍家である錦織家から芙蓉様を妻に選び、やっと腰を下ろしたかと思った矢先。一人挙兵した。
挙兵した先は天峰国の西にある小国、アルメリア国。
西海の向こうにある大陸の大国、犀。その犀の西の国境線となる大きな山脈のその向こうにアルメリア国はあった。
一人とはいえ、強い巫術を持つ槐様にアルメリア兵はなすすべもなかったらしい。救いとしては、槐様は本気でアルメリア国を属国とする気はなかったらしく、兵を一人も殺すことなく無血開城をなされたことだろう。
また、当時のアルメリア国王も穏やかな気性の方であったため、槐様の暴挙を咎めつつ、巨額の損害賠償で矛を収めてくれた。
そして、アルメリア国王と槐様の間で何の話があったかは分からない。
その話の末、なぜかアルメリア国の末姫であるヘレナ姫……私の母様が父様に嫁ぐことになったのだ。
「ここの近代史は、未来の王族が読んだら本当に訳が分からないでしょうね……」
ちょうどアルメリア国挙兵についての書物を片付けながら、一人呟く。そして、手にしたガラスペンで書の虫干しをしたことを記録した。
このガラスペンは二年前、アルメリア国のお祖父様、前アルメリア国王から私の十三歳の誕生日に贈られた物だ。槌門産の墨を少し水多めにすることで滑らかな書き心地になる。水が多すぎると黒が薄くなってしまうので、そこにだけ注意しなくてはいけない。
朝、父様と別れた後、私は書庫殿の番である父様の仕事の手伝いをしていた。今日は虫干しを終えた書の片付けが主な仕事だ。
書庫殿は天峰国で発行された図書全般の管理をしている。また、中央にある拝殿内では女王代理である松風様の元で国政にまつわる朝議が執り行われており、そこで決められた内容は速やかに書庫殿にて精査される。父様は決済された朝議の内容や、その結果、国政がどうなったかを記す役割、平たく言えば公文書の編纂を主な仕事としている。
父様の役職はそのその最終版が朝議と相違ないか、過去の朝議の流れと食い違っているところはないかを最終確認する重要な役だ。その確認に別の公文書が必要になってくることがあるので、私は父様が必要とする書を持って行く係を引き受けたのだった。
もっとも、成人していない私が持ち出しできる書は重要なものではない。この国の異物である私のために父様が作ってくれた役割なのだろうと気づいたのはすぐだった。父様の優しさに甘えつつ、他にも何かできることがあるのでは、と書の管理を引き受けたのは一年近く前の話だ。
「ふ……これでよし」
損傷が目立つようになってきた書の一覧をまとめ終えた私は、自分の文机から立ち上がり父様の文机にその一覧を乗せた。
私の濃い茶色の大きな文机はアルメリアのお祖母様からの贈り物だ。「ここで手紙を書いてくれたらうれしいわ」と人柄がにじみ出る優しい文字の手紙は文机の一番上の引き出しに大事にしまってある。文字を読むのも書くのも好きな私は、アルメリアのお祖父様、お祖母様からの贈り物が何よりもうれしかった。
だから、このお気に入りの場所から離れなきゃいけないこれからの時間が憂鬱で仕方が無い。
「……行かないと」
ごーんと大きな鐘の音が鳴る。正午になった知らせだ。
私は文机の上を軽く片付けて私室へ向かうことにした。
王族とは言ってもまだ成人していない私のやることは少ない。
朝、個人的に早起きして白銀杉参り。それから書庫殿に戻って図書整理。朝議から帰ってきた父様と一緒に朝ご飯を食べて、父様は朝議の議事録をまとめて、私は父様が必要としそうな書を届けた後は図書整理の続きをする。そうこうしているうちに昼を告げる鐘が鳴るので、時間が合えば父様と一緒に昼食を取る。
「今日は父様はいないのね……」
忙しいはずの父様はできる限り私と食事を取ってくれる。それでも、どうしても昼は一緒に取ることは難しい。今日もそんな日だったのだろう、私室には私の分の膳のみが並べられていた。
「頂きます」
箸をとり、ふっくらと焼かれた卵焼きを一口。
ふんわりと口内に広がるだしの香りを楽しめないのは、これからのことで気が塞いでいるから。
「……はぁ」
八割ほど食べたところで箸が進まなくなり、止める。同時に深く落ちたため息が私しか居ない部屋に大きく響く。
ーーそろそろ、あの人がくる。
諦めととともにもう一度大きなため息が口から漏れた。
途端、その静寂を破るようにどたどたと荒々しい足音が私の部屋に近づいてくる。
そのまま、私の許可なく扉が勢いよく開かれた。
「支度しろ、菜乃華ぁ!修練の時間だ!」
我なり声で叫ばれた私の名前に思わず眉を顰めてしまった。
それを見逃すほど声の相手は優しくはない。
「あぁ?文句あんのかよ、“混じり”の癖によぉ」
鋭く私を睨み付ける青藍の瞳に映るのは、侮蔑の感情だけ。
この男が、私に親愛の情を向けたことなんて一度もない。
だから、私だって呼びたくもない彼の名前を吐き捨てるように呟く。
「何でもありません。下がりなさい、萩太郎」
楮乃 萩太郎。
この男が、私に付けられた楮乃からの侍従であり。
私の婚約者候補だった。




