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天峰国物語 ―混じりの姫は世界の真実を追う―  作者: 音下 希乃
一枝 虐げられた混じりの仔

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一葉 十六節 決意

 まだ興奮冷めやらぬと言わんばかりに、囃し立てる群衆の声がする。


「菜乃華様、立てますか……?」


 へたり込んだ私を心配して、蘭様が私の顔をのぞき込んだ。

 眼鏡の向こう、深緑の瞳も心配そうな光をたたえている。

 それなのに、同じ緑色の瞳が先ほどの執行人の光を思い出させて、思わずびくりと肩を震わせて顔を背けてしまった。


「菜乃華、様……?」


 衝撃を受けた蘭様の声が聞こえてきてはっとする。


 ――私は、なんて失礼な事を……!


「ごめんなさい!何でもないのです……」


 慌てて蘭様と向き合い頭を下げる。

 それでも、今はまだ彼女の深緑の瞳を見ることができなかった。


「……菜乃華もまだ動揺してるみたいだし、気分転換に散策でもしようか」


 私達のやりとりを見守っていた桜様が、わざとらしく声を張り上げて提案した。

 私はほっとして桜様に頷いた。


「はい。いきましょう」


 ふらつかないように慎重に立ち上がろうとしたら、そっと目の前に手が差し出される。


「あ……」


 その手の先、困ったように笑う桜様がいて、思わず私もくすりと笑ってしまう。


 ――桜様はいつも手を差し伸べてくれますね。


 その気遣いが、今はとても温かい。


「……じゃあ、行こうか」

「はい」


 一言だけ言葉を交わして二人揃って歩き出す。

 今はただ、繋いだ手の温もりだけが心のよすがだった。


 ****


 ざぁざぁと勢いよく水が流れていく。

 あたりを漂っていた鉄錆の匂いも、花咲の季節前の最後の北風が散らしてくれた。

 ひやりとした北風が、群衆の熱に当てられていた頭を優しく冷やしてくれる。

 頭を冷やす時間を十分に取ってから、私は桜様に話しかけた。


「桜様……あれは、一体何だったのですか……?」


 話そう、と意気込んだはいいものの、先ほど見た光景が信じられなくて言い淀んでしまう。

 ……桜様が上位者の覇気を纏ってまで「見た方が良い」と言い切った執行人という存在。

 今まで書庫殿を出入りしてそれなりの本を読んでいたのに、私はあれの存在を全く知らなかった。


 ――それどころか、私、罪人がどうなったかの記述を一度も読んだことがない……?


 そんなことができるのは、一人だけ。


「……執行人。漆黒の衣を纏った、死をもたらす絶望の存在」


 隣の桜様が低く歌うように語り出す。

 はっとして桜様の声を注意深く聞く。


「その存在は最古の時代……初代様の、次の代から存在していたらしい」

「そんなに前から、あれが……?」


 黒い靄を纏った獣の異形の姿を思い出して、背筋がひやりとする。

 そんな私を見て、桜様は繋いだ手を力強く握り返してくれた。


「あぁ。その時から執行人は“初代様の教えを破った、大罪人を裁く者”として、王族と五大主家が存在を確認してきているのだけれど……」


 言いよどむ桜様。

 ぐっと息を詰めて、重たい口を開いた。


「執行人の詳細は……女王しか知らない。あれがどこの人間なのか、男なのか、女なのか、そもそも生きているのかすら、分からない」


 一際強い北風が、私達の間を吹き抜けた。

 桜様の外套が激しく私の身に打ち付けられる。


「女王しか……」


 打ち明けられた話に呆然としながらも思い浮かんだのは、異形の顔で光っていた新緑の瞳。

 ……父様と同じ、新緑。

 今にも足下が崩れ落ちそうだった。


「菜乃華、僕も教えて欲しいことがある」


 隣を歩いていた榊様が立ち止まる。

 金の瞳が真っ直ぐ私を射貫いた。


「……君は、あの時、何を見た?」

「……っ!」


 吐き出された疑問に、息が止まる。


「教えて欲しい。少なくとも僕らは……僕と蘭には、執行人は、ただその場に立っているようにしか見えなかったんだ」


 桜様の言葉に、数歩離れたところを歩いていた蘭様も頷く。


「でも、菜乃華は執行人が動く前……刑を執行する前から酷く怯えていたよね?」

「あ……」


 繋いだ手がゆっくりと離れていく。


「……君が見た物を教えて欲しい」


 私に向き合った桜様の瞳に射竦められて、私は俯くことすらできない。


 ――嘘は、吐けない……。


 煌めく金の瞳はきっと、私が吐いたその場しのぎの嘘なんて見破ってしまうだろう。


「……あの時、」


 魅入られたように、金の瞳から目を逸らせないまま、私の口が語り出す。


「あの時、私には、地面から溢れ出る、黒い靄が見えました……」

「黒い、靄?」


 私の言葉に、視界の端、蘭様の顔からさっと血の気が引いたのが見えた。


「その黒い靄は、まるで意思があるようで……執行人の体に纏わり付いて……姿を変えました」


 もう忘れてしまいたいのに、その姿は鮮明に脳裏に焼き付いてる。


「靄は、手と顔に纏わり付いて……爪を伸ばし、牙を生やし、耳を尖らせて……目が……」


 続きが言えなくて口を閉ざす。

 ぎらりと虚ろに光る、父様と同じ新緑の瞳。

 それだけは、二人に告げることはできなかった。


「私が見ているものって……一体、何なのでしょうか……?」


 私が見ている、巫術の光。

 私が見た、獣の異形。

 あれだけこの目の力が知りたかったのに。

 今は、全てを知るのが怖い。


「黒い靄……獣に姿を変えた執行人……」


 桜様の口から独り言がこぼれ落ちる。

 桜様の意識は、完全に思考へ沈んでいた。


「……っ、もう、おやめください!!」


 私達の思考を遮るように、蘭様が声を上げた。

 その声は今にも胸が張り裂けそうな声で。


「あれは……!あれには、お二人はもう、関わらないでください……!」


 目に涙を浮かべて、さらに蘭様は言い募る。


「だって、だって、あれは……!」


 ひゅっ、と蘭様の喉が鳴る。

 蘭様は震える手を口に当てて深呼吸を繰り返すけれど、どんどんと息は荒くなっていって。

 蘭様は大きく目を開いて、とうとうその場にしゃがみ込んでしまった。

 そして、荒々しい息づかいのまま動かない。


「蘭?!」

「蘭様?!しっかりしてください、蘭様?!」 


 息が吸えなくなっている蘭様の背を強くさする。


 ――蘭様は、獣の異形を知っているの……?


 聞こうにも、今の蘭様は答えることができない。

 蘭様を落ち着かせようとして、数分。

 蘭様の呼吸が穏やかなものへと変わった。


「お願いです……桜、さま……菜乃華、さま……」


 まだ息が苦しいはずなのに、蘭様は私達の腕に縋って懇願を繰り返す。

 必死に繰り返される言葉に、頷きそうになる。

 けれど。


「……ごめんなさい、蘭様」


 はっきりと、蘭様に告げる。

 私の言葉に蘭様が勢いよく頭を上げた。


「……私は、止めません」


 眼鏡の向こう、蘭様の深緑の瞳が大きく見開く。


「確かに、怖いです。執行人を知ることは。あの、獣の異形を見てしまったら、尚更。でも……」


 私だけが見えるもの。

 それを知ることができるのは、私だけなのだから。


「私は、知りたいです。この目が見ているものは何なのか」


 少しでも蘭様に安心してもらえるように微笑む。


「それがきっと、私がここにいる理由になるはずだから」


 ふわりと、一陣の風が私の香色の髪を揺らした。


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