一葉 十五話 執行人
「菜乃華?どうしたの?顔色が悪いよ?」
陽の差さない冷えた路地裏に、場違いな桜様の平坦な声だけが響く。
そして、近くでこれだけ声を出しているのに、地面に座った孤児達は魂が抜けたかのように微動だにしない。
その目は虚ろに空をさまよっているだけだ。
――おかしい……。
孤児達を哀れに思うことすらしない桜様も。
これだけ騒いでいるのに何の行動もしない孤児達も。
助けを求めるように蘭様へ視線を向けるけれど、蘭様は沈痛な表情をして顔を伏せる。
そして、むしろ私にすがるような目線をよこした。
――私にどうしろと言うのですか、蘭様……!
少なくとも、蘭様はこの件に関しては助ける気はないのだろう。それどころか、私に全てを一存するらしい。
私もそれどころではないというのに。
――なんとかして、この場をまとめなければ……。
でも、どうすれば良いのだろう?
このまま桜様の言うとおりに孤児に施しをして巫術を見せてもらえば良いのだろうか?
でも、例えひとときの施しを与えたとして、この子達の環境が改善される訳ではない。
そもそも、本当に桜様の言うことを聞いたままで良いのだろうか……?
「急げ急げっ!!始まるぞ!!」
考えに耽る私の耳に荒々しい男の声が届いて、思わずびくりと肩を竦める。
人々の声は白波瀬川の方から聞こえてきた。
「白波瀬川に集まれ!処刑だ!」
「執行人が来るぞ!!」
男達の囃し立てる声とともに、表通りの方から人々が次々と白波瀬川へと向かう気配がする。
その熱気に、何故か嫌なものを感じた。
「執行人……?」
聞いたことのない、でも、何故かとても嫌な響きの言葉に胸騒ぎが止まらない。
安心したくて桜様の方を見て、ぞっとする。
桜様の顔から表情がごっそりと抜け落ち、まるで能面のような顔になっていた。
そのまま、声のした方を見つめている。
微かに顔に浮かんでいる感情は……失望?
――どうして、そんな目をしているのですか……?
桜様が分からない。
「桜、様……?」
薄ら寒いものを感じながら、桜様に声を掛ける。
くるりと首を回して桜様がこちらを向く。
虚ろに光を反射していた金の瞳に光が戻った。
「あぁ、ごめん、菜乃華……」
手で目を覆い、軽く頭を振りながら落ち着こうとしている桜様。
堪らず、もう片方の手を取り握りこんだ。
「菜乃華?」
不思議そうにこちらを伺う桜様を見つめ返す。
「……帰りましょう?桜様」
金の瞳がはっと揺れる。
「私のわがままを聞いてくださり、感謝いたします。けれど……」
握った桜様の手に力を込める。
「執行人と、関わりたくないのでしょう?」
正確には、執行人を望む人々だろうけど、と思いつつも言葉を紡ぐ。
「私はもう十分楽しみました。巫術に関しては、調査はできてませんが……もう十分です」
桜様を安心させるように微笑む。
「孤児達も何も反応がありません。これ以上ここで人目を集めても困りますし……」
だから、と言い募ろうとした言葉は、唇に乗せられた桜様の人差し指で止められた。
「ありがとう、菜乃華。……もう、大丈夫」
金の瞳が柔く緩む。
「気を遣ってくれてありがとう。でも……執行人の事は、王族に連なる者なら見た方が良い」
さっきまでとは違う、上位者の覇気を纏った桜様が静かに告げる。
「……覚悟はいい?」
金の瞳に浮かぶ感情は、間違いなく心配の感情で。
――私は、間違っていました……。
桜様は、私にだけは、温かな感情を向けてくれている。
どうしてそこまで私の事を気に掛けてくれるのかは分からないけれど。
「……はい。行きましょう」
繋いだ手から伝わる温もりは本物なのだから。
今は、それだけで十分だった。
****
桜様に手を引かれて向かったのは河川敷の上にある小さな広場。
少し遠いけれど、ここからなら集まった人々がよく見えた。
「早くしろぉ!!」
「この大罪人め!!」
「獣の罰を受けるがいいわ!!」
そして、熱に浮かされた人々の声もよく届いた。
その人々から視線をはずして、私は川の側に佇む人々を見やる。
そこには、立てられた柱に四肢を縛り付けられた罪人らしき男と、それを見張る黒の袴を着た役人が二人。
そして、そこから少し離れたところにもう二人の役人がいる。
そのうちの一人が異様な姿をしていた。
その人は襦袢までも黒く染められ、袴も足袋もわらじさえも黒一色だった。袴から覗く手も炭か何かで黒く染められている。
そして、その顔はさらに黒い頭巾ですっぽりと覆われていた。
「あれが、執行人……?」
何故だろう、ただ漆黒に身を包んだ男なだけであるはずなのに。
胸騒ぎが止まらない。
「粛に!!」
大罪人の横に立つ役人の一人が声を張り上げた。
ぴたりと群衆の声が止まる。
「今より、大罪人、名、源五郎の罪を読み上げる!」
役人の声は少し離れたこの広場までもよく通った。
「源五郎は養子となった兄に対し、暴力を振るった!これは、初代様が定めた法“子は国の宝なり。慈しみ育てるべし”に反する行為である!」
群衆が大きくどよめく。
初代様である陽葵様は、国を治めるにあたっていくつかの約束事を定めていた。“子は国の宝なり”は陽葵様が一番に定めた法であり、人々に広く知られた法の一つだ。
だからこそ、それを破った源五郎にこれだけの憎悪が向けられているのだろう。
「そして、源五郎は同じく養女となった妹に対し、その身を押さえつけ貞操を蹂躙しようとした!」
さらに大きく群衆がどよめく。
私も大きく目を見張った。
――なんてことを……!
兄への暴力だけに飽き足らず、妹にも手を出そうとするなんて。
こんな人がこの天峰国にいるだなんて、私は信じたくなかった。
大声で罪人に罵声を浴びせる群衆に対しもう一度「粛に!」と役人が声を上げる。
「兄だけに飽き足らず、妹に対する、口に出すのもおぞましい行為!これらをもって、源五郎を大罪人とし、執行人による刑を施行する!!」
その声とともに、大罪人の横に立っていた役人二人がその場を離れた。
瞬間、わぁぁと、一際大きな声が河川敷に響き渡る。
そして、執行人と思われる男の側に立っていたもう一人の役人が執行人の側を離れた。
刹那。
執行人の姿が黒い靄に包まれる。
「えっ?!」
底冷えするような黒い靄に思わず声を上げた。
「菜乃華?」
「菜乃華様?」
桜様と蘭様が声を掛けてきたけれどそれどころじゃない。
地面から滲み出た黒い靄は執行人を包み込み、まるで意志を持っているかのように体を異形へと変えていく。
一つは長く伸びた耳に。
一つは鋭くとがった牙に。
一つは異様なまでに伸びた爪に。
そして、顔に留まった黒い靄が晴れた瞬間。
背筋が凍った。
「何故……?!」
靄が晴れた先、黒い頭巾の上にぎらぎらと輝く目が浮かんでいる。
その目の色は、新緑。
――父、様……?!
遠くからでも見間違うはずがない。
あの新緑の瞳は父様と同じだった。
「菜乃華?!しっかりしろ!!」
隣で桜様が私を呼ぶ声がするけれど。
執行人から目が離せない。
「かかれ!!」
役人の声が河川敷に響く。
ゆらりと執行人がその場から動いて、首が、こちらに。
「……っ!?」
遠く離れているはずなのに、その目に見つめられた。
「見てはいけません!!」
蘭様が私達の前に滑り出る。
次の瞬間。
「うわぁあ、……!!」
中途半端なところで途切れた大罪人の悲鳴と、ぐしゃりと何かが潰れる音。
そして、微かな鉄錆の匂い。
「きゃぁぁぁ!!」
「はは!!これこそが獣の罰だ!!」
人が死んだというのに、その場は歓声に包まれた。
その声が私の頭を強く揺さぶる。
立っていられなくなり、私はその場にへたり込んだ。
――狂ってる……。
うっすらこみ上げる吐き気を堪えながら、ぼんやりと頭に浮かんだのはその言葉だけだった。
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