一葉 十三節 街へ
日課の白銀杉参りを終え、朝、父様に「気をつけていってくるんだよ」と言葉を頂いて、私は一人私室で蘭様が来るのを待っていた。時間の無駄遣いをしないようにと、膂力の巫術についての書を捲ってはいるけれど、少しも頭に入ってこない。
桜様は宮廷を出て行くのは昼前と言っていた。まだ朝議が始まったばかりのこの時間に、蘭様が来るわけがないと分かっているのに。
「集中しないと……」
街に降りる目的は「庶民の巫術を観察すること」
何故、桜様だけ光の量が多いのか、何故、萩太郎だけ光が極端に少ないのか。光の量がその人が持つ巫術の力に伴うものでないのなら、何故見え方に差があるのか。それを探るために、比較対象として庶民が使う巫術を見るために街に降りるのだ。
――それは分かっているのですけど。
「街は一体どんな感じなのでしょうか……!」
私は、今か今かと街に降りるときを待ち望んでいた。
――分かっているのです、観光に行く訳ではないと言うことは!……でも、楽しみなのです。
なんて言ったって生まれて初めて街へ降りるのだ。朝議の書類を整理する度に、一体どうなっているのだろうと想像を膨らましていたあの街に、とうとう行くことになったのだ。
――確か、街には女の子に人気の髪飾りのお店があるとか……。紬家の傍家の方が余った端切れで新しく髪飾りを作ったので認めてほしいと嘆願書がありましたよね。そこに行けたりするのでしょうか。
そのとき、ぱっと脳裏に私の頬に手を伸ばした桜様の顔が浮かぶ。
――あぁ、とてもよく似合うよ。
ふわりと、頭の中の金の目が笑った。
「っ!?」
頬に熱が集まるのを感じながら、慌てて頭を振って浮かんだ想像を打ち消す。
――違う!違うのです!今日はお店巡りではなくって巫術の確認に……!
でも、もしかしたら少しぐらいならお店巡りの時間があるかも……。
「菜乃華様、お待たせしました」
「ひゃい!!」
扉の向こう、凜然とした声が私の名を呼ぶ。
あまりにも突然で舌を噛んでしまった。
「菜乃華様?」
「う……す、すみません。どうぞ、蘭様。お入りください」
少し血の味がする舌を宥めつつ蘭様に入室許可を出す。
するりと音もなく扉が開いて、簡素な深緑のワンピースを着た蘭様が入ってきた。
「菜乃華様、この前は大変無礼な態度を……」
「あ、謝らないでください、蘭様!」
入ってすぐ、目も合わせるまもなく頭を下げた蘭様に慌てて声を掛ける。
蘭様は頭を上げてくれたけれど、眼鏡の奥の目は伏せられたまま私を見ない。
そこに蘭様が私に対して築いた壁を感じて、胸の奥が痛くなった。
「……もう、大丈夫です。私の方こそご迷惑を掛けてすみませんでした」
「菜乃華様は悪くは……!」
「でも、蘭様を困らせてしまったのは私です。……もう、あんなことは言いませんから」
――今の私はうまく笑えているのでしょうか。
確かめるための鏡はこの部屋にはない。
「さぁ、着替えでしたよね。この前決めた服は隣の部屋に置いてますので、行きましょう?」
「……かしこまりました、菜乃華様」
ちくりちくりと痛む胸を無視しつつ、一足先に隣の部屋へと歩みを進める。
「……全てを無事、終えることができたら、」
「蘭様?」
震える声で小さく呟かれた声に思わず振り返る。
初めて眼鏡の向こうの蘭様の瞳と目が合った。
深い新緑の瞳が、決意を込めて私を見据える。
「そのときは、是非、私を姉様とお呼びください、菜乃華様。……私も年下の妹に憧れがあるのです」
ゆるりと潤んだ深緑が優しく笑う。
「……是非!」
蘭様の言葉が嬉しくて思わず大声で返事をしてしまう。
そんな私を見て、蘭様はくすりと一つ笑みを溢した。
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「二人とも、よく似合っているじゃないか」
約束の時間になり、私と蘭様は桜様と合流した。桜様はいつもと同じ学生帽に外套、黒の制服で、おそらく高等学校の生徒として街では振る舞う予定だ。
そして、私たち二人はその学生に街を案内されるアルメリア国の商家の娘の設定だ。私の目立つ香色の髪を完全に隠すのは不可能。ならば、隠さずにそのままの方が紛れると蘭様と話し合ったのだ。幸い、アルメリアの商家が街を歩いている事も多く、あまり目立たないとのこと。誂えたかのように母様の衣装箪笥から私と蘭様にぴったりな揃いのワンピースがあったのでそうしようと話し合ったのだ。
――何故、母様の箪笥に今の私と蘭様にぴったりなワンピースがあったのでしょう?
それも、蘭様のワンピースの色は髪色と綺麗に一致している。
――考えても仕方がありませんね。
きっと、一度あった蘭様を驚かせるために母様が特別に準備したのだろうと無理矢理納得して、桜様に向き合った。
「お待たせいたしました。その……変ではないでしょうか?」
私が着ているのは瞳に合わせた明るい緑色のワンピースだ。こういう物だとは分かっていても、膝下までしかないスカート丈にはいまだに慣れない。
「大丈夫、しっかり可愛いよ」
「か、可愛いだなんて……!さ、桜様!」
「ふふっ!」
からかうために笑いながらのたまった桜様に思わず声が出る。
「お二人とも、それまでにして行きましょう」
「あぁ、そうだね。さ、菜乃華」
「えっと……?」
蘭様が私をからかう桜様を宥めてくださった。そして、桜様は言葉とともに私に手を伸ばす。
桜様の意図が分からずに固まる私。
桜様はしかたがないと伸ばした手で私の手を取り、そのまま固く繋ぐ。
「舗装してあるとはいえ、下り坂だ。手を貸すよ」
「あ、あの、私なら大丈夫で……!」
「さ、行こうか」
私の言葉を聞くことなく歩み始める桜様。
跳ねた鼓動が手を通じて桜様に伝わるのではと気が気じゃない。
「さ、桜様……!」
「そうだ、菜乃華は神居街についてどれくらい知ってる?」
「え、えぇ?街ですか?えっと……」
こつこつと足音を奏でながら山道を降りる。
桜様の言葉に書庫殿で見た地図を思い出しながら話し出す。
「私たちが住む白杉神社は、神織山の二合目から始まる参拝道から三合目の白銀杉を祀る拝殿までがその範囲です。そして、山道の入り口すぐに広がる街が今日行く神居街で、この天峰国の王都ですよね?」
「そうそう、さすが書庫殿の申し子だ。続きは?」
「も、申し子ですか?えっと、続きは……」
聞いたことのない二つ名に気を取られつつも、促された続きを考える。
「神居街は南北に広く広がっていて、道は碁盤の目のように整えられています。白杉神社に近いほど大商人の店が建ち並び、南に下がるにつれ庶民向けのお店が広がっていますね。そして、街の西側には白波瀬川が街に沿って北から南へと流れていて、そのまま西海へと続いています」
「今日はさすがに海までは行けないな。さて、話している内に……ほら」
「あ……」
花咲の季節を感じさせる温かな風が微かに頬を撫ぜる。
山道を抜けたその向こう、眩しい日の光が桜様の背中から差している。
ふらふらと、その光に吸い寄せられるように一歩一歩と前へと進む。
桜様を追い抜いた途端、急速に視界が広がった。
「ここが……」
色とりどりの着物や洋服に身を包んだ人々。
がやがやと騒がしい声の中には老いも若きも、赤子の泣き声すらある。
それすらも耳に心地いい。
「ここが……神居街……」
暖かな日の光と微かな風に包まれた街であり。
王族が……私たちが統べる人々の街だった。




