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十段を三人倒したので俺は十一段です  作者: 三流小説家QIfengRR


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第7章 山田の藤村

山田は、藤村恵三について、自分が思っていたより多くのことを知っていた。


これが問題だった。


本来、このレベルの職員は、百三十年前の理論家の名前を知っていては

いけなかった。


知っているということは、過去にどこかで、業務時間外に、自発的に、

個人的な興味で、それを調べたことがあるということだった。


山田は、自分がそれを調べていた夜のことを思い出した。


十二年前。


妻がまだいた頃。


夜中の二時。


国会図書館のデジタルアーカイブ。


何を探していたのかは、もう覚えていなかった。


ただ、藤村の論文にたどり着いて、一晩読んだことは覚えていた。


空投。


実演不可能とされた技。


「実践者は相手を投げない。相手は自ら投げられる。」


山田は当時、その一文を三回読んだ。


三回目で、意味が少しわかった気がした。


意味がわかった気がしたので、すぐに閉じた。


ああいう一文は、深く理解しようとすると、人生のいろいろなものに

触れてしまう。


山田は当時、柔道五段だった。


仕事は順調だった。結婚していた。家のローンを組んでいた。


深く理解してはいけなかった。


閉じて、寝て、忘れた。


十二年間、忘れていた。



今、山田はその論文をもう一度開いていた。


職場のPCで。勤務時間内に。


これは、職務規定的にはギリギリだった。


厳密にはアウトかもしれなかった。


山田は、職務規定のギリギリに踏み込んだことが、二十二年間で

たぶんなかった。


今日は踏み込んでいた。


画面の中の藤村は、相変わらず静かに、同じ一文を言っていた。


> 実践者は相手を投げない。

> 相手は自ら投げられる。

> 実践者はただそこにいるだけだ。


山田は、今回はその一文を四回読んだ。


四回目で、初めて理解したかもしれない、と思った。


その瞬間、胃のあたりが冷たくなった。


理解したくなかった。


二十二年の制度的キャリアが、「理解しないでください」と胃のあたりで

叫んでいた。


山田は画面を閉じた。


別のタブを開いた。


入会申込フォーム。


今日:五百三十二件。


昨日より九十一件増えていた。


五百三十二件の人間が、今朝、「柔道を始めたい」とウェブサイトに

書き込んでいた。


五百三十二件の人間が、ある動画を見て、人生の選択を変えていた。


そしてその動画の中で、五百三十二件の人間が見ているものは、

山田が理解しないようにしている一文を、無自覚にやっている男だった。


山田は、コーヒーを飲んだ。


冷めていた。


飲み直した。


まだ冷めていた。


諦めて飲んだ。



上司からメールが来た。


件名:「緊急・黒金の件」


山田は開いた。


> 山田君、

>

> 黒金武志本人と接触できないか検討せよ。

> 穏便に。

> ただし、講道館としての公式な接触ではない形で。

> 個人的な訪問として。

> 君に任せる。

>

> (※このメールは記録に残さないこと)


山田はこれを読んだ。


読み直した。


もう一度読んだ。


「記録に残さないこと」と書かれたメールを受け取ったのは、二十二年で

初めてだった。


削除ボタンを押した。


押せなかった。


押した。


ゴミ箱からも消した。


メールは、もう存在しなかった。


存在しないメールによって、山田は、存在しない任務を、存在しない

形で、遂行しなければならなかった。



山田は、受付に降りて、受付の女性にこう言った。


「今日はもう上がります。」


受付の女性は驚いた顔をした。


当然だった。


山田が午後三時に退勤したのは、二十二年で初めてだった。


山田は静かに、でもはっきりと、こう付け加えた。


「私用です。」


受付の女性はうなずいた。


山田は建物を出た。


外は晴れていた。


山田は、自分がこれから、存在しないはずの人間を、存在しない資格で、

存在しないメールに従って、探しに行こうとしていることに気づいた。


そしてそれが、最近の数日間で一番心が動いた瞬間だったことにも、

気づいた。


電車に乗った。


行き先は、三軒茶屋だった。


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