第31章 館の中の渋谷
講道館の廊下に、ざわめきが、住み始めた。
前から、音は、あった。
足音。
受け身の音。
先生の声。
でも、今の音は、別だった。
誰かを、待つ音。
誰かが、来る前に、少しだけ、姿勢を直す音。
噂が、角を曲がる音。
それは、渋谷に、よく、似ていた。
武志は、そのことに、三日目で、気づいた。
「……館の中、渋谷みたいですね。」
山田は、廊下の先を見た。
今日も、人が、わずかに、道を空けていた。
黒金武志が、歩く前に。
「……たしかに。」
武志は、少し、困った顔をした。
「あれ、嫌なんですけど。」
「どれが。」
「避けられるの。」
山田は、考えた。
制度の中で、人に道を空けられることは、
地位と、だいたい、同義だった。
でも、武志には、そうではなかった。
「……慣れませんか。」
「慣れたく、ないですね。」
その夜、神社で、武志は、老師にも、同じことを言った。
老師は、うなずいた。
「慣れんでええ。」
「ええんですか。」
「あれは、お前が歩いとるんやなくて、
周りが、勝手に、避けとるだけや。」
武志は、少し、考えた。
それから、ようやく、肩の力を抜いた。
自分が、変わったのではなく、
周りの、置き方が、変わっただけ。
そう思うと、少しだけ、楽だった。
渋谷も、講道館も、
たぶん、そういう場所になっていた。




