第26章 老師、赤を入れる
山田は、五人分の観察記録を、まとめて、持っていった。
自分の記録。
指導員の記録。
見学者の簡易メモ。
武志の、一行だけの記録。
そして、花の、自由記述。
老師は、神社の石段に座って、それを読んだ。
赤ペンを、取り出した。
赤ペンを、持っていること自体が、
山田には、少し、衝撃だった。
老師は、一行目から、線を引いた。
すごい。
迫力がある。
意味が分からない。
全部、消えた。
「……これは、感想や。」
「はい。」
次に、別の記録に、線を引いた。
スピード。
角度。
体重移動。
「これも、途中までや。」
「途中、ですか。」
「結果の、ちょい手前で、止まっとる。」
老師は、花のメモだけ、最後まで読んだ。
読んでから、赤ペンを置いた。
「これが、まだ、いちばん、近い。」
山田は、少し、驚いた。
「……学術的では、ありませんが。」
「ええ。」
「よろしいの、ですか。」
「学術は、あとで、ええ。」
老師は、武志を見た。
「お前も、最近、分かりやすく、しようとしとるな。」
武志は、少しだけ、目を伏せた。
「講道館やと、そうした方が、親切かなと。」
「親切は、ええ。」
「はい。」
「でも、先回りして、答え出すな。」
「……はい。」
老師は、赤ペンで、記録の余白に、短く書いた。
怖さ。
待ち。
呼吸。
見ている側の、都合。
山田は、その四語を、しばらく見ていた。
老師は、紙束を、返しながら、こう言った。
「赤が入るうちは、まだ、生きとる記録や。」
山田は、深く、頭を下げた。
二十二年間、赤を入れられる側に、いたことは、
ほとんど、なかった。
今朝は、それが、少し、ありがたかった。




