第22章 山田、受け身を取り戻す
二日目の朝、老師は、山田に、こう言った。
「今日は、お前や。」
山田は、自分の後ろを、見た。
誰も、いなかった。
「……私、でしょうか。」
「お前以外、誰がおる。」
「……私は、連絡役、です。」
「受け身取れん連絡役は、信用ならん。」
山田は、返す言葉を、持たなかった。
講道館の職員になってから、受け身は、見本としてしか、
取っていなかった。
それも、十年以上、前だった。
老師は、境内の土の柔らかい場所を、顎で指した。
「そこで。」
武志が、少しだけ、気まずそうな顔をした。
「……軽く、やります。」
「軽くで、ええ。」
山田は、上着を脱いだ。
神社の空気は、朝でも、少し湿っていた。
武志の前に、立った。
向かい合った瞬間、山田の体が、勝手に、二十二年前の、
位置を、探し始めた。
探したが、すぐには、見つからなかった。
武志が、静かに、言った。
「右足、半歩、後ろです。」
「……ああ。」
「肘、固いです。」
「……ああ。」
「あと、息、止まってます。」
山田は、ゆっくり、息を吐いた。
武志は、襟を、取らなかった。
腕も、引かなかった。
ただ、山田の中心を、ほんの少しだけ、ずらした。
山田は、驚くほど、素直に、地面にいた。
痛くは、なかった。
でも、忘れていた高さが、そこにあった。
空が、一瞬、近かった。
砂の匂いが、した。
受け身を取る音が、自分の耳に、よく響いた。
山田は、仰向けのまま、しばらく、空を見た。
老師が、覗き込んだ。
「死んだか。」
「……生きております。」
「なら、もう一回。」
二回目は、少し、よかった。
三回目は、かなり、よかった。
四回目で、山田は、受け身の後に、笑っていた。
自分でも、なぜ笑ったのか、わからなかった。
ただ、背中が、地面を思い出していた。
二十二年間、制度に預けていた体が、
ようやく、自分のものに、少しだけ、戻ってきた。
武志が、手を差し出した。
山田は、その手を取って、立ち上がった。
「……ありがとうございます。」
武志は、少し考えてから、こう言った。
「受け身、まだ、間に合いますね。」
山田は、笑ったまま、答えた。
「二十二年、遅かったですが。」
老師は、横で、首を振った。
「遅いだけや。終わっては、おらん。」
山田は、その言葉を、今日いちばん、深く、受け身した。




