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十段を三人倒したので俺は十一段です  作者: 三流小説家QIfengRR


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第17章 二十メートル

二十メートル。


武志と、師匠との、距離だった。


二人の間には、渋谷センター街の、夕方の、人波があった。


人は、左右に、流れていた。


どちらも、動かなかった。


川の真ん中に、岩が、二つ。


川の方が、ゆっくり、気を使って、避けていた。


武志の後ろでは、四人が、それぞれ、違う反応をしていた。


森は、無意識に、腰の、警棒に、手を伸ばしかけた。


伸ばしかけて、気づいた。


「……職務じゃない。」


手を、戻した。


代わりに、コンビニの袋を、握り直した。


今日も、水分は、二本、買っていた。


職務ではないが、なぜか、常備するようになっていた。


健二は、反射的に、カメラの録画ボタンを、押した。


押した瞬間、カメラの、赤いランプが、点った。


そして、押した瞬間、自分の中の、撮影者としての、

すべての経験が、こう言った。


「これは、編集できない映像だ。」


なぜなら、これから起きることは、カットしたら、

何かを、失う種類の、ものだった。


健二は、ワンカットの構えで、腰を、落とした。


重心を、沈めた。


長時間、撮る気になっていた。


花は、ノートパソコンのバッグを、胸に、抱えた。


スマートフォンは、出さなかった。


今日は、書くべき言葉を、先に、決めていなかった。


書く前に、見る。


そう決めた。


見ること自体が、いまは、書くことより、重要だった。


彼女は、それに、気づけるようになっていた。


喫茶トネリコ以来、彼女は、少しだけ、

研究者であることから、自由になっていた。


「……自分に、気づいていない」という呪いは、

もう、解けていた。


今、彼女は、ただの、観察者だった。


学術でも、偽装でも、ない。


観察者。


山田は、息を、していなかった。


十二年ぶりに、彼の中の、すべての制度的反射が、止まっていた。


目の前に、立っていたのは、昨夜、老師が語った、

藤村恵三の、弟子の、弟子。


名前も、住所も、年齢も、不明の男。


四年ぶりに、姿を現した、武志の、師匠。


山田の中で、二十二年の、キャリアが、

完全に、無音になった。


そこには、ただの、一人の、人間が、立っていた。


老人の方が、先に、動いた。


右手を、上げた。


人差し指だけ、立てた。


ついで、こちらへ、と、手招きをした。


武志は、うなずいた。


そして、老人の方へ、歩き出した。


武志の後ろの、四人も、自然に、歩き出した。


誰も、止めなかった。


老人も、止めなかった。


ただ、五人が、一人の老人に、近づいていった。


距離が、十メートル。


老人の、顔が、はっきり、見えた。


武志の、見た目の、三倍くらい、古く、

武志の、見た目の、三倍くらい、軽そうだった。


身長、一六〇センチほど。

体重、五〇キロ、あるか、ないか。


服装は、薄いジャケットに、ズボン。

足元は、運動靴。

背中には、小さな、布のリュック。


旅人のような、格好だった。


ただ、ポケットに、何も、入っていなかった。


重心が、ずれていないからだった。


花は、それを、三メートル手前で、見抜いた。


重心が、ずれないように、物を持たない。

あるいは、持っていても、重心を、ずらさない。

それは、何十年もの、習慣の、結果、だった。


距離が、五メートル。


老人は、武志を、じっと見た。


武志は、老人を、じっと見た。


二人は、しばらく、何も、言わなかった。


それから、老人が、口を、開いた。


第一声は、予想外だった。


「……髪、伸びたな。」


武志は、うなずいた。


「四年も経てば、伸びますわ。」


「切れ。」


「はい。」


老人は、うなずいた。


武志は、うなずいた。


花は、「髪」という単語を、頭の中の観察ドキュメントに、

足そうとして、やめた。


今は、書くより、見る時間だった。


老人は、武志の右足を、見た。


じっと、見た。


武志は、その視線に、気づいた。


そして、何も言わずに、重心を、ほんの少し、

内側に、寄せた。


本当に、ほんの少し。


センチにも、ならない、調整。


老人は、それを、見ていた。


見た後、小さく、うなずいた。


「……分かっとったか。」


「昨日、気づきました。」


「遅い。」


「はい。」


「四年、何しとった。」


「探してました。」


「何を。」


武志は、少し、間を置いた。


それから、静かに、こう言った。


「……先生、呼ぶ、方法を。」


老人は、しばらく、武志を見た。


それから、小さく、笑った。


本当に、小さく。


唇の端が、一ミリほど、動いただけだった。


でも、それは、四年ぶりの、師弟の、笑いだった。


山田は、その笑いを、見逃さなかった。


なぜなら、山田自身も、二十二年ぶりに、

誰かの、笑いを、ちゃんと見た夜だった。


老人は、武志の、肩を、軽く、叩いた。


本当に、軽く。


でも、武志の体は、その瞬間、少し、緊張した。


花は、それを、見逃さなかった。


老人の、指先が、武志の、肩のどこに、どう触れたかで、

武志の、次の動きが、変わる。


そういう、タイプの、触れ方だった。


老人は、触れただけで、武志の、体の、

情報を、読み取っていた。


そして、武志の、体の方が、それを、読まれたことを、

認識していた。


触診、ではなかった。


診断でも、挨拶でもなかった。


もっと、柔らかい、なにか。


武志の体は、師匠の、指先を、覚えていた。


四年ぶりに、思い出していた。


老人は、指を、離した。


そして、こう言った。


「……立派になったな。」


武志は、目を、伏せた。


「……はい。」


「でも、まだ、雑や。」


「はい。」


「直しに来た。」


「はい。」


「そのために、呼んだんやろ。」


「……はい。」


「よし。」


老人は、うなずいた。


それから、辺りを、見渡した。


後ろの、四人を、ちらっと、見た。


見たあと、こう言った。


「……連れとるんか?」


武志は、少し、考えた。


「……いや、ついてきとる、だけです。」


老人は、うなずいた。


「場所、どこがええ?」


「……先生が、決めてください。」


「じゃ、公園や。」


「代々木ですか?」


「いや、小さいとこ。」


「……NHKの、裏の?」


「せや。」


武志は、うなずいた。


老人は、振り返らず、歩き出した。


武志は、ついていった。


そして、武志の、後ろの、四人も、

それぞれの、距離で、ついていった。


渋谷の、人混みの中を、六人の、行列が、

静かに、進んでいった。


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