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十段を三人倒したので俺は十一段です  作者: 三流小説家QIfengRR


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第12章 雑、の話

自己紹介が終わった後、武志は、少し黙った。


それから、山田を見た。


「あんたに、聞きたいことがある。」


山田は、背筋を伸ばした。


「はい。」


武志は、スマートフォンを出した。


動画②を開いた。


0:52に合わせた。


一時停止した。


画面を、山田に見せた。


「……これ、何に見える?」


山田は、画面を、じっと見た。


数秒。

十秒。

二十秒。


それから、小さく、ため息をついた。


「……分かりません。」


武志は、うなずいた。


「ほんまに分からんか?」


山田は、しばらく、画面を見つめた。


「……説明がつかない、という意味では、分かりません。」


武志は、うなずいた。


それから、こう言った。


「藤村恵三って名前、知っとるか?」


店の空気が、三段階、変わった。



山田は、一瞬、呼吸を止めた。


森は、知らない名前に、怪訝な顔をした。


健二は、メモを取り始めた。


花は、静かに、息を飲んだ。


花は、その名前を、三日前から、自分のドキュメントに書いていた。


彼女は、この場で、それを知っているのが、自分と、山田の二人だけ

だということを、即座に理解した。


そして、この場で、その名前を、最初に口に出したのが、

武志本人だということにも、気づいた。


武志。


本人。


名前を、知っていた。


花の、スプレッドシートの全シートが、再度、爆発した。



山田は、慎重に、こう言った。


「……どこで、その名前を?」


武志は、テーブルの上で、指を組んだ。


「師匠に、聞いた。」


店の空気が、四段階目、変わった。


山田の背中が、見える範囲で、冷えた。


「師匠、とは。」


武志は、肩をすくめた。


「昔、世話になった人や。」


「……お名前を、伺っても?」


「言えん。」


「なぜ?」


「本人が、言うなと言うた。」


山田は、数秒、黙った。


それから、慎重に、こう言った。


「……今も、ご存命ですか?」


武志は、うなずいた。


「たぶんな。」


「お会いに?」


「最近は、ない。」


「どのくらい?」


「四年。」


山田は、もう一度、黙った。


四年。


それは、一つの区切りに、ちょうど合致する長さだった。


山田の頭の中で、ある仮説が、静かに、形を取り始めた。


仮説は、まだ口にしなかった。


口に出したら、戻れなくなる気がした。



武志は、話を続けた。


「その師匠が、藤村のこと、話してくれたことがあった。」


「何を?」


「名前と、一行だけ。」


「一行?」


武志は、少し考えた。


それから、思い出したように、こう言った。


「『投げる気でおったら、投げられんぞ』って。」


山田は、息を飲んだ。


その一文は、藤村の論文にあった、

あの一文の、現代的な意訳に、ほぼ近かった。


実践者は相手を投げない。

相手は自ら投げられる。

実践者はただそこにいるだけだ。


武志の師匠は、藤村を、読んでいた。

読むだけでなく、理解していた。

理解するだけでなく、武志に、口伝で、残していた。


山田は、静かに、こう思った。


「……これは、失われた系譜だ。」


「制度の外で、生きていた、空投の継承者がいる。」


「そしてその人物は、今、七十代か八十代で、どこかに生きている。」


「そして、その弟子が、今、目の前で、コーヒーの味を評価している。」


山田は、少しだけ、頭がくらっとした。


制度的キャリアの、すべての基盤が、音を立てて、傾いた。



武志は、画面を戻した。


「で、それで、昨日、変なコメント来たわ。」


彼は、コメント欄を開いた。


「雑やな」の投稿者のページを見せた。


「これ、師匠やと思うか?」


山田は、画面を見た。


アカウント、投稿二件、フォロワーゼロ、プロフィールなし。


山田は、首を振った。


「……分かりません。ただ。」


「ただ?」


「もし、この方が、本当にあなたの師匠なら。」


山田は、少し、慎重に、言葉を選んだ。


「……この方は、あなたが動画を出したことを、

よく思ってはいない、かもしれません。」


武志は、うなずいた。


「それな。」


「それ、って?」


「師匠、動画、嫌いそうやった。」


「……どういう方なのですか。」


武志は、少し、笑った。


「ジジイや。」


「はい。」


「カンジ、厳しい。」


「はい。」


「ガラケーや。」


「……はい。」


「スマホ、嫌っとる。」


「……その方が、ネットに、コメントを?」


「せんはずなんやけどな。」


店が、静かになった。


武志は、静かに、続けた。


「でも、『雑やな』は、師匠の言い方や。」


山田は、うなずいた。


健二は、メモを取る手が、止まっていた。


花は、ノートパソコンを、もう、諦めていた。


森は、制服のまま、真剣に、聞いていた。


武志は、カップを、持った。


「だから、俺は、次の動画を出す。」


「師匠に、届くように。」


全員が、武志を見た。



武志は、カップを、少し傾けた。


「俺を、見つけに、来させる。」


「師匠に、一発だけでも、投げてほしい。」


「そしたら、次が、見える気がする。」


山田は、静かに、うなずいた。


健二は、カメラを、拾った。


マスターを見た。


マスターは、今回は、首を振らなかった。


代わりに、一度、小さく、うなずいた。


撮影してよい、という許可だった。


健二は、カメラを構えた。


赤いランプが、点った。


武志は、レンズを、まっすぐ、見た。


そして、静かに、こう言った。


「師匠。」


「俺、雑なままや。」


「直しに、来てくれ。」


「場所は、わかってるやろ。」


録画、停止。



店の中は、静かだった。


窓の外で、昼の光が、少しだけ、向きを変えていた。


マスターが、カウンターの奥から、静かに、こう言った。


「……コーヒー、もう一杯、どうです。」


全員が、ほとんど同時に、うなずいた。


武志だけが、こう言った。


「今度は、ちゃんと、うまいやつ、くれ。」


マスターは、初めて、少し、笑った。


「……はい。」


マスターは、奥に、戻っていった。


店には、コーヒー豆を挽く音だけが、しばらく、響いていた。


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