能天気は罪ですか?
フィリクス・ブランチフィールドは実に理性的な青年だ。それは彼の家族も彼の友人達も理解している。
いつも柔和な笑みを浮かべ、その見事な金髪にちなんだ陽光の貴公子の通り名を聞くだけで世の女性がざわめくほど。
「っ、あんの野郎……!!」
そんなフィリクス・ブランチフィールドは現在とても理性的とは言いがたい顔で、ブルブルと震える手に、届いたばかりの手紙を握りしめ、ついでにギリギリと歯も食いしばっていた。
視線の先には青ざめた母とオロオロとする頼りない父がソファで項垂れている。
もともとブランチフィールド伯爵家は歴史こそあるが、パッとしない下位貴族だった。
伯爵という地位であるものの、領地は少ないし、田畑だらけの田舎の上、特産品は花と野菜くらいで、それを納める父は人の良さだけが取り柄のような、ふんわりとした貴族に向かない男だ。
フィリクスが知るだけで二度、人の良さ故に騙されかけて借金を負わされそうになった。
今まで大した借金も負債も負わずに、なんとか伯爵家として生きてこれたのは奇跡に近い。
早々にフィリクスに爵位を譲ったのは、英断であっただろう。戦争に駆り出されたりもしたが、運良く無事に帰ってこれたし、最近ではブランチフィールドの財政は少しだけ上向き傾向にある。
2人の妹は目に入れても痛くないほど可愛いし、内気とお転婆で性格は正反対だがお互いなんやかんやで慕い合っている。 今も2人でタウンハウスにいるはずだ。
ソフィアは王都でも変わらず、せっせと刺繍を刺していることだろうし、元気すぎてたまにトラブルを起こす派手な末の妹は元気に社交界を賑わせていることだろう。
そろそろ末の妹には婚約者でも作って大人しくして欲しいところではあるが、まあ、いい。デビュタントを終えたばかりで遊びたいざかりなのも大いにわかる。
とにかく、平和だった。
戦争が終わって、面倒な事後処理がようやく片付き、領地に戻れてからこっち、我が家は平和だった。
強いて言うならソフィアにやたらとちょっかいを出しているアレンが煩わしいくらいなものだ。しかしそれはいつもの事だし、あんなのはカミラが徹底的に追い払うだろうから心配することでもない。
何度でも言おう。我が家は平和だった。
そしてこれからもずっとそれが続くものだと思っていた。
「フィ、フィリクス」
「なんですか父さん」
「ヒィ、ま、まさか本気じゃないよな。そんな、だって、なんだってうちみたいな…」
「ええ、はい、本気なわけないでしょう。あの男は先の大戦で顔に大怪我を負い左目も失っていますが、どうやら、その際に頭も打ったみたいですね」
「で、でも、フィル。もし……もし、それが本気なのだったらアシュウォース辺境伯様の、それもディアリスの赤き英雄の要求を、うちなんかが断れるわけないわ」
ディアリスの赤き英雄。
先の大戦で一騎当千の働きをし、ジリ貧で士気の消えかけてた兵達を自らの存在で鼓舞し、ついには砦を守りきった男に戦後つけられた異名だ。
一体誰が呼び始めたのかは謎だが、国民は奴の燃えるような赤髪を示唆し、そう言って称えた。
確か、陛下からの恩賜もあったはず。「戦争が終わったら結婚しようと思うんだ」だのなんだの似合わない事を言っていたから、てっきり恩賜に降嫁かなんかを願うのだと思っていた。なんたって王家には姫が6人も居るんだから。
目の前の手紙には「傷を負ってからこっち、女性は特に俺の顔を見て怯えてしまう」とか「姫達には泣き叫ばれて参った」とか溜息をつきたくなるセリフがつらつらと綴られていた。
「フィリクス、アシュウォース辺境伯様の傷はそんなに酷いのかい?」
不安げな父に問われフィリクスは笑顔のまましばし硬直し「手紙に書かれているほどでは」と言った。
父にはそう言ったが、確かにあれは酷い傷だ。
だが、顔だけだ。もともと整った顔形はさして変わっていないし、鼻の付け根から左頬に抉ったように引き攣れた傷が走り、左目が無くなっただけじゃないか。嫌味ったらしく長い両手両足は変わらずついたままだし、後遺症でどうのこうのも特に聞かない。
身体機能に問題は無いし、まだ禿げてもいない。体つきは実に雄々しく引き締まり、生来の精悍さに多少の野性味と勇猛さが足されただけだろう。
今まで振り払っても振り払っても湧いて集ってきていた女性達が、そんなことで引いていくなんて、全くもって女心はよく分からない。
「というか、だからといってなぜソフィアなんだ……」
女心は理解できないが、あの友人の考えることはもっと理解に苦しむ。
結婚したくとも女に困ったからと言って、だからと言って、な、ぜ! なぜ、家なんだ。
探せば傷を気にしない女性だっているだろうし、もっと家格の合う家がいくらだってあるだろう。
「ヒィ!」
無意識に笑顔のまま、手紙を握り潰していたフィリクスに両親は手を取り合ってブルブルと震えた。
それはまだ見ぬ、明らかに不釣り合いな国の英雄の求婚に対してだったし、我が息子の額に浮かぶ数本の太い血管に対してであった。
「ど、どうしたらいいだろうか」
「とにかく!」
「ひぃ!!」
「ギルバート・カーリングと話をしないことには始まりません。そもそも何故ソフィアなのか、全くもって分からない。あいつは僕の話の中でのソフィアしか知らないし、僕はちゃんと言いました。陰気で刺繍狂で、おまけに傷があるせいで社交界のしゃの字も知らない、不出来な妹だと!」
「まあ、フィルがソフィアをそこまでこき下ろすほどに、アシュウォース辺境伯様はソフィアにご興味を?」
「そんなわけが無いでしょう!真面目な癖に面倒臭がりな所があるから、大方近場でさっさと見繕うという魂胆なのですよ! というか散々女性に怖がられているのだと言うのなら、なぜうちの妹が大丈夫だと思ったんだアイツは!」
「う、うちが格下だから断れないと思ったのかも……それに友人の妹だと色々と面倒が減るだろうし」
「アイツめ! これだからお坊ちゃんは!」
「貴方も一応お坊ちゃんなのだけれどね……」
「あんなくそ真面目筋肉野郎にくれてやるなら、まだアレン・エルドリッジの方がマシです」
「ああ、エルドリッジ侯爵様の……。アレン君ならばご両親との親交も深いし、ソフィアとカミラとも仲が良い。ソフィアは結婚自体望んでいないようだが、辺境伯様にわけも分からず嫁ぐよりは……」
「そうね。何よりアレン君が熱心に結婚を望んでいるもの。アレン君良い子よねえ〜ソフィアには勿体ないくらいよ」
王都で騎士として働いているはずのあの癖毛の男を思い出しながら両親がほっこりしだした様子にフィリクスは頭を抱えた。
全くもって悠長でいられる状況では無いのだが、この二人はいつもそうだ。そしてこの気質をしっかりと継いだ内気なソフィアに辺境伯夫人なんかが務まるわけが無い。
知人も寄る辺もない北の辺境伯領で、与えられた部屋に引きこもり毎日泣きながら刺繍を刺す妹の姿が目に浮かぶようだ。
兄として、そんな妹の末路はとても歓迎できたものでは無い。
「……とにかく、ソフィアとギルのクソ野郎に手紙を書かなければ……」
フィリクスは稲穂のような金の髪を掻き毟り、勢いよくペンを手に取ったのだった。




