第7話「恐怖の深夜シフト」
深夜シフトというものがある。
宇宙艦は24時間稼働するため、クルーは交代で艦橋を守る。通常、深夜帯は穏やかだ。敵も休む。宇宙も静かだ。ベテランの副艦長が仮眠を取り、若手数名が当直に就く。何も起きない。それが深夜シフトの常識だった。
『アルテミス』の深夜シフトは違った。
今夜の当直はトビー、クロエ、バルド、シド、レオンの5人だ。副艦長エレナは「非常時は即座に起こしなさい」と念を押して仮眠室に消えた。オリヴィアは「軍規に則り行動するように」と言い残して廊下の向こうに歩いていった。艦長アランは「明日の書類があるんで」と言って自室に引っ込んだ。
ゴンザレスだけが、いつものようにブリッジの隅で床を磨いていた。
扉が閉まった瞬間、バルドが立ち上がった。
「撃っていいか」
「何をですか」
「なんでもいい。的になるものがあれば」
「深夜に主砲を撃つ理由が存在しません」
「日中は副艦長がうるさいから」
「深夜も同じです」
トビーは2人の会話を聞き流しながら、クロエの横顔を見た。クロエは猛烈にタイピングしている。今夜のタイピング速度は、いつもより明らかに速かった。
「クロエさ、何入力してるの」
「マリアへの詩的散文の第三稿です」
「夜中に?」
「インスピレーションは時間を選びません」
「そっか。俺、クロエってさ——」
「メインコンピューターを借ります」クロエが遮った。「演算リソースが必要なので」
「ちょっと」シドが顔を上げた。「勝手に使わないでください、航行システムと共有してるんで——」
「5%だけ借ります」
「5%でも——」
「では3%」
「交渉じゃないです!」
通信士席では、当直に就いていないにもかかわらず、マリアが座っていた。
「マリアさん、今日は非番では」トビーが聞いた。
「はい。でも眠れなくて」
「俺たちと一緒だ」とレオン。
「あなたは当直です」とシド。
マリアはヘッドセットを外したまま、通信パネルをぼんやり眺めていた。癖というのは恐ろしいもので、通信パネルを見ているとつい、何かを処理したくなる。指がヘッドセットに向かう。職業病というやつだった。
レオンが操舵コンソールに足を乗せて、退屈そうに天井を見ていた。
「なんか面白いことないっすか」
「ありません」
「深夜シフトはそういうもんです」
「じゃあちょっとドリフトしてみても——」
レオンが操舵桿に手をかけた瞬間、4人同時に「ダメです」と言った。マリアも含めて。
レオンは舌打ちして、また天井を見た。
0時を過ぎた頃、廊下からスリッパの音がした。
アランがパジャマ姿でブリッジに入ってきた。目が半開きで、コーヒーを持っていた。
「眠れなくて」
「艦長席は仮眠室ではありません」
「わかってる。ちょっと座るだけ」
5分後、アランは寝ていた。コーヒーがコンソールの端でゆっくり冷めていった。
廊下からまた足音がした。今度はヒールだった。
オリヴィアが書類を抱えてブリッジに入ってきた。
「眠れなくて」
全員が振り返った。オリヴィアは表情を変えずに隅の席に座り、書類を開いた。
「……監査は24時間行われます」
レオンが姿勢を正した。足をコンソールから下ろした。
問題が起きたのは1時過ぎだった。
センサーに反応が出た。
「敵影!」トビーが前髪を忘れて叫んだ。「右舷30度、距離6万!巡洋艦2隻!」
全員が動いた。ただし、ストッパーがいなかった。エレナが。
「撃ちます」バルドが射撃管制パネルに飛びついた。
「エンジン出力70%、主砲なら——」シドが機関コンソールを確認する。
「十分です」
「十分じゃないです!」
「撃ちます」
「落とします」
「撃ちます!」
「落とします!」
マリアが反射的にヘッドセットを装着した。敵の通信チャンネルに信号が入ってくる。
『夜間強襲作戦を開始する。銀河連邦軍旗艦『アルテミス』は——』
「夜分に大変恐れ入ります」マリアが答えた。「銀河連邦軍旗艦『アルテミス』でございます。只今担当者が——」
『な、なんだ』
「——席を外しておりまして」マリアは続けた。「このままお待ちいただくか、折り返しのご連絡先を——」
『強襲作戦中だぞ!』
「夜間のご連絡、誠にありがとうございます。担当者の就業時間は朝8時から——」
『就業時間!?』
敵の通信が一瞬止まった。
その隙にバルドが発射ボタンを叩いた。シドが出力を落とした。クロエが「詩の第三稿完成」と呟いてリソースを全解放した。
3つが同時に起きた。
艦が左に10度傾いた。主砲が通常の1.3倍の出力で予定と違う角度に放たれた。エネルギーが敵艦2隻の間を通り抜け、後方の小惑星に直撃した。直径3キロの岩塊が砕け散り、破片が扇状に広がって敵の進路を完全に塞いだ。
敵巡洋艦2隻が、破片を避けながら後退し始めた。
「なるほど」クロエがデータを見た。「岩塊を破砕して破片を散布し、敵の進路を面制圧する。通常の直接射撃より効果的です」
「そういう意図じゃないです」
「意図は関係ありません。結果がそうなっています」
通信パネルに敵からの信号が入った。
『き、貴艦は……夜間に強襲をかけた我々に対して、就業時間を……』
「ご不満はごもっともでございます」マリアが答えた。「担当者より改めてご連絡させていただきますので、ご連絡先を——」
敵の通信が切れた。
ブリッジが静まり返った。
オリヴィアが書類から目を上げた。レオンを見た。レオンは姿勢よく操舵コンソールに座っていた。オリヴィアは書類に戻った。
艦長席で、アランがすやすや寝ていた。
「副艦長を起こさないとまずいですか」とトビー。
「戦闘は終わりました」とクロエ。「起こす必要はありません」
「報告書は」
「書きます。『艦長の指揮のもと』と書けばいいので」
「寝てたんですが」
「指揮とは必ずしも覚醒を必要としません」
バルドが今夜も撃てた主砲コンソールを見た。それで十分だった。シドがエンジンの無事を確認した。それで十分だった。マリアがヘッドセットを外した。なぜか少し、すっきりした気分だった。
通信パネルに僚艦からの信号が入った。
『深夜帯に岩塊破砕による面制圧で敵撃退。旗艦の練度、夜間でも衰えません』
トビーが曖昧に返事をした。副艦長の代わりに。
夜明け前、エレナがブリッジに戻ってきた。
艦長席で寝ているアランを見た。冷めたコーヒーを見た。隅で書類を読んでいるオリヴィアを見た。当直でないはずのマリアがヘッドセットを首にかけて座っているのを見た。通信パネルの戦闘記録を見た。
「何があったんですか」
静寂。
バルドが視線を逸らした。シドが目のクマをさらに深くした。クロエがタイピングを続けた。レオンが天井を見た。トビーが前髪を直した。マリアが「夜分に大変恐れ入ります」と言いかけて口を閉じた。
「敵が来て、撃って、退けました」とトビー。
「詳しく」
「以上です」
エレナは全員を順番に見た。全員が何かを隠している顔だった。胃薬を取り出した。まだ朝の6時だった。
アランが目を覚ました。
「……おはよう」
「おはようございます。戦闘報告書を出してください」
「え、戦闘あったの」
「艦長の指揮のもと行われた、とクロエさんが書いてくれたそうです」
アランはコンソールの端の冷めたコーヒーを見た。また天井を見た。
「……ありがとう、クロエさん」
「どういたしまして」クロエはタイピングを止めずに答えた。「マリアへの詩、第三稿が完成したので第四稿に入ります」
ゴンザレスが、深夜から磨き続けていたブリッジの床に、最後のワックスをかけた。どこまでも鏡のように光っていた。




