第12話「全艦隊、阿鼻叫喚(中編)」
ゴンザレスのワックスがけで急ブレーキをかけた結果、敵の第一波射撃をかわした『アルテミス』は、しかし依然として200隻以上に包囲されたままだった。
状況は何も変わっていない。
「今のは」バルドが言った。「ゴンザレスさんのおかげで助かったんですか」
「結果としては」クロエが答えた。
「ワックスがけで」
「はい」
バルドは腕を組んだ。何も言わなかった。言えなかった。
ゴンザレスはワックスがけを終えて、モップを手に取った。いつも通りだった。
「敵、第二波準備に入っています!」トビーが叫んだ。「距離4000!今度は全方位から——」
「動きます」レオンが操舵桿を握った。
「どこに」オリヴィアが言った。
「とりあえず前っす」
「とりあえずで動かさないでください」
「止まってたら撃たれるっす」
「動いても撃たれます」
「動いたほうが当たりにくいっす」
「それは——」オリヴィアが止まった。「……まあ、そうですね」
レオンが操舵桿を引いた。
艦が動いた。全員がシートに押しつけられた。ゴンザレスだけが微動だにしなかった。
そこから15分間、『アルテミス』は包囲網の中を走り続けた。
レオンが操舵し、バルドが撃ち、シドがエンジンを守り、クロエが演算し、トビーがレーダーを見て、マリアが通信し、オリヴィアがレオンを監視し、エレナが全体を統率し、アランが艦長席で固まっていた。
うまくいっていた。
うまくいっていたのだが。
「シド!出力を上げてください!」バルドが叫んだ。
「これ以上は炉が——」
「上げないと包囲を抜けられません!」
「抜けなくていいです!生きてれば——」
「生きてても包囲されてたら意味ないでしょう!」
「爆発するよりマシです!」
「爆発しません!」
「します!」
バルドが機関コンソールに向かって歩き出した。シドが「来るな!」と叫んで両腕を広げた。バルドがシドを押しのけようとした。シドがしがみついた。
2人が機関コンソールの前で揉み合った。
その隙にエンジン出力が不安定になった。艦速が上がったり下がったりを繰り返した。
「なんか速度が——」レオンが操舵桿を握り直した。「面白いっす」
「面白くありません」オリヴィアが言った。
「でもこの不規則な速度変化、敵が追いにくそうっす」
「それは——」オリヴィアが止まった。「まあ、そうかもしれませんが——」
「ちょっと極端にしてみるっす」
「極端はダメです」
「少しだけ——」
「レオン」
「姉さん、信じてっす」
オリヴィアは1秒止まった。
「……Gが——」
「覚悟してっす」
レオンが操舵桿を限界まで引いた。
艦が跳ねるように加速した。全員がシートに叩きつけられた。バルドとシドが取っ組み合いのまま床に転がった。トビーがレーダーから吹き飛んだ。マリアがヘッドセットを押さえながら通信パネルにしがみついた。
オリヴィアが椅子から落ちた。
「レオン!」
「すみませんっす!でも——見てっす!」
モニターに映る敵艦隊が、混乱していた。不規則な速度変化と急加速を繰り返す旗艦を追いきれず、陣形が崩れ始めていた。包囲網に穴が開いていた。
「穴がある」エレナが立ち上がった。「バルド!」
「今シドと——」
「バルドっ!」
バルドがシドを押しのけて射撃管制パネルに飛びついた。シドが「エンジンに触るな!」と叫びながら追いかけた。
「撃ちます」
「出力を落とします」
「撃ちます!」
「落とします!」
「2人とも!」エレナが怒鳴った。「バルドは撃ちなさい!シドは落とさないでください!」
2人が止まった。
「……両方やっていいんですか」バルドが言った。
「両方やりなさい!」
「了解です」バルドが発射ボタンを叩いた。
「……了解です」シドが渋々出力を維持した。
主砲が唸った。包囲網の穴に向けて、エネルギーが放たれた。
敵艦3隻が光った。
「抜けられます!」レオンが叫んだ。「今っす!」
「行きなさい!」エレナが言った。
レオンが操舵桿を引いた。艦が穴に向かって突進した。
その瞬間、クロエが叫んだ。
「待ってください!」
全員が止まった。レオンが急ブレーキをかけた。全員が前のめりになった。バルドとシドがまた転がった。
「なんですか!」エレナが言った。
「要塞です」クロエが画面を指さした。「包囲網の外に、さっきの要塞『ゴルゴン』がいます。主砲システムは復旧しています」
全員がモニターを見た。
包囲網の外、逃げようとしていた方向の先に、あの巨大要塞が待ち構えていた。
「……抜けた先に要塞がいるんですか」トビーが言った。
「はい」
「包囲網を抜けても要塞に撃たれる」
「はい」
「詰んでますか」
「現状では」
ブリッジが静まり返った。
アランが艦長席で天井を見ていた。
「クロエさん」アランが言った。
「はい」
「あの要塞、弱点ないですか」
「演算中です」
「どのくらいかかりますか」
「リソースを全投入すれば——3分ほどで」
「詩は」アランが聞いた。
「書きません」クロエが答えた。
「書いていいですよ」アランが言った。
クロエが止まった。エレナが止まった。全員が止まった。
「……艦長、書いていいんですか」クロエが言った。
「マリアへの詩を書きながら要塞の弱点を探すほうが、クロエさんはうまくいく気がして」
クロエは0.5秒考えた。
「……確かに、並列処理のほうが演算効率が上がる可能性があります」
「じゃあそれで」
「艦長」エレナが言った。
「なんとなくですけど」アランがヘラヘラ笑った。「なんとなく」
エレナは何も言わなかった。胃薬を取り出して、また仕舞った。
クロエがタイピングを再開した。詩と演算、両方同時に。その速度は今まで見たことがないほど速かった。
3分間、『アルテミス』は包囲網の中で逃げ回った。
バルドが撃ちながら、シドがエンジンを守りながら、レオンが縫うように操舵しながら、トビーがレーダーから目を離さないでいながら、マリアが敵の通信をコールセンター対応しながら、オリヴィアがレオンを監視しながら、ゴンザレスが床を磨きながら、エレナが全体を統率しながら、アランが固まりながら。
マリアの通信パネルに敵から信号が入った。
『旗艦『アルテミス』、いい加減に——』
「大変恐れ入ります」マリアが答えた。「銀河連邦軍旗艦『アルテミス』でございます。ただいま担当者が——」
「マリアさん!」エレナが叫んだ。
「す、すみません!」
3分後、クロエが顔を上げた。
「見つかりました」
全員がクロエを見た。
「要塞『ゴルゴン』の排熱口です」クロエが画面を指した。「主砲システムを復旧させたことで、エネルギー炉の稼働率が上がっています。排熱が追いついていない。排熱口は要塞後方の1点のみ、直径およそ50メートル。そこに主砲を直撃させれば——」
「爆発しますか」バルドが前のめりになった。
「連鎖爆発で要塞全体が——」
「撃ちます」
「距離があります」エレナが言った。「現在位置から排熱口まで——包囲網を抜けて、さらに要塞の後方に回り込まなければ——」
「できるっす」レオンが操舵桿を握った。
「包囲網200隻を抜けながら、要塞の後方に回り込む軌道を取れますか」
「やってみないとわからないっす」
「やってみないとわからないで命がかかった操舵をするんですか」
「いつもそうっす」
オリヴィアが何か言おうとした。やめた。
「バルド」エレナが言った。「包囲網を抜けながら、動き続ける要塞の後方排熱口に主砲を当てられますか」
「当てます」バルドが即答した。
「直径50メートルです」
「当てます」
「要塞は動いています」
「当てます」
「確証はありますか」
「ありません。でも当てます」
エレナは一瞬止まった。
「……わかりました」
アランが艦長席から立ち上がった。全員がアランを見た。アランが立ち上がることは珍しくない。ただ今日は、なんとなく雰囲気が違った。
「みんな」アランが言った。
ブリッジが静まり返った。
「なんとかなると思います」
沈黙。
「根拠は?」バルドが聞いた。
「なんとなくです」
「それだけですか」
「それだけです」
バルドが腕を組んだ。シドが目のクマをさらに深くした。レオンが操舵桿を握った。クロエがタイピングを続けた。トビーがレーダーを見た。マリアがヘッドセットを押さえた。オリヴィアが書類を持ったまま立った。
エレナがアランを見た。
「根拠のないことを言わないでください」
「はい」
「ただ」エレナは前を向いた。「今回だけは、まあ」
それだけだった。
ゴンザレスがモップを置いた。雑巾を取り出した。何かを拭き始めた。コーヒーメーカーだった。最終決戦の前に、コーヒーを淹れる準備をしていた。
To be continued.




