第10話「クレーマー(最終ボス)からの着信」
それは突然やってきた。
午前11時、通常の哨戒任務中のことだった。センサーが捉えた映像がメインモニターに映し出された瞬間、ブリッジ全員の動きが止まった。
要塞だった。
直径およそ80キロ。惑星と見紛うほどの巨大な球体が、宙域の向こうに浮かんでいた。表面には無数の砲台が並び、推進システムが青白い炎を噴いている。
「でかい」レオンが呟いた。
「でかいですね」トビーが呟いた。
「でかいです」シドが呟いた。「爆発したら——」
「しません」バルドが言った。「俺が先に撃つので」
「あれを主砲で撃つつもりですか」
「撃ちます」
「惑星を主砲で撃つ人間がいますか」
「います。俺が」
副艦長エレナが要塞のデータを確認した。眉間を押さえた。胃薬を取り出した。今日は最初から3錠だった。
「敵の超巨大要塞『ゴルゴン』です」クロエが淡々と言った。「主砲の射程距離は我々の10倍、装甲厚は旗艦の200倍、搭載兵器は——」
「もういいです」アランが言った。
「まだ終わっていません」
「もういいです」
クロエはタイピングを続けた。読み上げるのをやめただけだった。
艦長席のアランは、要塞を見ていた。笑顔が、いつもよりわずかに引きつっていた。
通信が入ったのは、全員が要塞を眺めたまま固まって3分が経過した頃だった。
「要塞から通信です」マリアがヘッドセットを押さえた。「繋ぎますか」
「……繋いで」エレナが言った。
モニターに顔が映った。
年齢は60代だろうか。白髪、深い皺、鋭い目。軍服の肩章が、画面越しでも重さを感じさせた。敵艦隊総司令官、ドルグ・ヴァイス元帥。その名前をクロエが小声で読み上げた瞬間、シドが「もうダメだ」と呟いた。
「銀河連邦軍旗艦『アルテミス』」ヴァイス元帥の声は低く、静かだった。「3分以内に投降せよ。さもなくば、要塞主砲の射程に入り次第、消し飛ぶのみだ」
ブリッジが静まり返った。
3分。
全員がアランを見た。アランがエレナを見た。エレナがアランを見た。
アランが笑顔のまま、白目を剥いて気絶した。
艦長席から崩れ落ちるアランを、全員が見た。
「艦長!」トビーが叫んだ。
「医療ポッドを——」シドが立ち上がりかけた。
「気絶しているだけです」クロエが脈を確認して言った。「3分以内に意識が戻る確率は62%です」
「3分以内に投降しないと消し飛ぶんですが」バルドが言った。
「知っています」
モニターの中でヴァイス元帥が眉をひそめた。
「……返答はないのか」
全員が顔を見合わせた。
マリアがヘッドセットを押さえた。誰かが答えなければならない。通信担当は自分だ。責任者は気絶している。エレナが何か言おうとしていた。
マリアが口を開いた。
「お電話ありがとうございます、銀河連邦軍旗艦『アルテミス』でございます」
エレナが止めようとして、止められなかった。
「ただいま責任者が席を——いえ、気絶しておりまして、大変申し訳ございません」
『気絶?』
「はい、誠に恐れ入ります。代わりにご用件をお伺いすることは可能でしょうか」
ヴァイス元帥が止まった。
「……投降せよと言っている」
「投降についてのご要望ですね、承りました」マリアはメモを取るような仕草をした。「担当者が戻り次第、折り返しご連絡させていただきますので、ご連絡先を——」
「折り返しは不要だ。3分以内に——」
「3分以内でございますね」マリアが繰り返した。「ただいま担当者が不在のため、ご要望にお応えできる状況ではございませんが、こちらからご連絡できる時間帯はございますでしょうか」
ヴァイス元帥が黙った。
ブリッジで、誰も息をしていなかった。
「……貴艦は今、私が何を言っているかわかっているのか」
「はい、投降についてのご要望をいただいております」マリアは続けた。「ただ、責任者不在の状況でお約束することが難しく、ご不便をおかけして誠に申し訳ございません。よろしければ担当者からの折り返しをお待ちいただくか、改めてご連絡いただけますでしょうか」
「折り返しを——」ヴァイス元帥の眉が動いた。「貴様、要塞主砲の意味がわかっているのか」
「ご指摘はごもっともでございます。こちらの対応が至らず、ご不満をおかけして大変申し訳ございません」
「謝罪は不要だ!投降し——」
「少々お待ちください」
保留音が流れた。
宇宙空間に、のどかな管弦楽が響いた。
ブリッジで、全員が固まっていた。
「マリアさん」エレナが静かに言った。「今、敵の総司令官を保留にしましたか」
「……はい」
「なぜ」
「ご不満が高まっていたので、一度落ち着いていただこうと——コールセンター時代の手順で」
エレナは何も言えなかった。
保留音が流れ続けた。1分。2分。
「繋ぎ直したほうがいいですか」マリアが不安そうに言った。
「待ちましょう」アランが言った。
全員が振り返った。アランが艦長席から上半身を起こしていた。顔色は悪いが、目は開いている。
「気絶から戻ったんですか」トビーが言った。
「保留音で目が覚めた」アランが言った。「続けて、マリアさん」
「え、続けるんですか」
「うん」アランがまだ少しふらつきながら艦長席に座った。「なんかいい感じがする」
エレナがアランを見た。呆れた顔だったが、何も言わなかった。
保留音が3分流れたところで、マリアが繋ぎ直した。
ヴァイス元帥の顔が映った。
様子が違った。先ほどの静かな威圧感が、どこかに消えていた。目が泳いでいた。
「……責任者は戻ったか」
「大変お待たせいたしました」マリアが答えた。「ただいま責任者が——」
全員がアランを見た。アランがエレナを見た。エレナが胃薬を取り出した。
「——まだ体調が優れないようで、引き続き私がご対応させていただきます」
「体調が——」ヴァイス元帥が止まった。「先ほど気絶したと言っていたな」
「はい、誠に申し訳ございません」
「なぜ気絶した」
「それは——」マリアが少し考えた。「お答えが難しい状況でございます」
「要塞主砲を前にして、なぜそんなに落ち着いているんだ」
「ご不便をおかけしていることへのお詫びを最優先にしております」
「……精神操作の罠か」ヴァイス元帥が呟いた。「余裕を見せることで我々を——」
「そのようなことは——」
「気絶した振りをして、こちらの判断を狂わせる作戦か」
「いえ、本当に気絶していまして——」
「なぜ保留音を流した。あの音に何か仕掛けがあるのか」
「いえ、コールセンター時代に使っていた曲で——」
「コールセンター!?」ヴァイス元帥の目が揺れた。「それも撹乱か。まさか貴艦の乗員は全員が——」
クロエが小声で言った。「疑心暗鬼に陥っています。深読みのループに入った」
エレナが小声で返した。「放置しなさい」
ヴァイス元帥が独り言を言い始めてから10分後、要塞から警告音が響いた。
「要塞の主砲システムにエラーが発生しています!」トビーが叫んだ。
「原因は」エレナが聞いた。
「主砲のチャージを開始したまま発射命令が出なかったため、エネルギーが飽和状態に——攻撃を躊躇し続けた結果、主砲がチャージ過多でシステムエラーです!」
クロエが淡々と言った。「発射しなければエネルギーが逃げ場を失います。躊躇している間にチャージが限界を超えた」
「つまり」アランが言った。
「考えすぎて自滅しました」
要塞の主砲システムが沈黙した。砲台が次々と停止していく。
ヴァイス元帥がモニターの向こうで、信じられないものを見る顔をしていた。
「……まさか、これも計算のうちか」
「お客様」マリアが答えた。「この度はご不便をおかけして誠に申し訳ございませんでした。担当者より改めてご連絡させていただきますので——」
『うわあああ』
通信が切れた。
ブリッジが静まり返った。
「撃てませんでしたね」バルドが呟いた。
「無事です」シドが呟いた。「エンジンも要塞も爆発しなかった」
「爆発してほしかったんですか」バルドが聞いた。
「してほしくなかったです」
通信パネルに僚艦からの信号が殺到した。
『旗艦、要塞主砲を無力化!一体どうやって——』
『敵総司令官を精神的に追い詰めるとは、旗艦の戦術は次元が違う』
アランは曖昧に返事をした。エレナは胃薬を飲んだ。マリアは深々と頭を下げた。
「本当に申し訳ありませんでした」
「結果オーライです」アランが言った。
「今回ばかりは」エレナが珍しく言った。「結果オーライで構いません」
マリアが顔を上げた。エレナが「構いません」と言った。それだけで今日は十分だった。
ゴンザレスが要塞からの通信で緊張していたクルーが歩き回ってついた足跡を、黙々と磨いていた。コーヒーを一杯、マリアの通信士コンソールの端に置いた。
マリアは少し驚いて、コーヒーを受け取った。
ゴンザレスは何も言わずに戻っていった。




