13-6.礼羅
夜もお開きになったところで惟也が私を局まで送ると言ってきた。
暗い渡殿を灯りを持った惟也と横並びで歩く。この屋敷に来たばかりの頃は惟也の後ろを歩いていたはずなのに妙な気分だ。
「送らなくてもよろしかったのに」
「いいえ、ただお礼を申したかったのでその口実です」
何のことだろうと思えば「東宮のことで」と応えるのですぐにはっとする。
「私も貴女のような考えは思い浮かびませんでした。私はあの方の気持ちを考えることが出来なかった。……侍従失格ですね」
働き者の惟也が陰りを見せることは中々ない。初めは久しぶりの大内裏で慣れないことをして疲れたのだろうと思ったけれど、そうではないようだ。
「……少し話をしましょうか」
広い屋敷だがゆっくり話せばもうすぐ自分の局だ。惟也はここでいいと言うので、局に入らず廊下の隅で二人対面して座って話すことになった。
「侍従様は、もしかして、先ほどのような会話は主様に何度もしたのではないですか?」
「分かりますか」
「貴方があの方の怒りに怯えなかったので……慣れてらっしゃるのかと思ったのです」
「お察しの通りです……」
惟也もよく気絶はするがずっと特定の何かに怯えてばかりの性格ではない。幾度も同じ目に遭えば慣れる。でもあまり主人に強く言えるような性格でもない。
惟也のことは乳兄弟だと陽光は言っていたけれど、二人にそれなりの信頼関係はあっても兄弟らしさはない。
「先日、旦那様が品位を賜って出雲守となり、私はとても喜びました。これで旦那様も認められたと。旦那様もようやく報われると思っていたのです」
惟也も貴族の生まれだ。今でこそ清貧を尽くす陽光に合わせながら誠実に仕えているようだけれど、やはり根底の考えは権力を欲する宮中の貴族のそれと変わらないのだろう。
だから今まで冷遇されていた陽光がようやく皇子として日の目に出ることが存外嬉しかったのかもしれない。
陽光もきっと惟也の言い分を否定するつもりはない。ただ、己の立場や身分を認めたくなかった。それを陽光がどれくらい惟也に自分の想いを伝えているかは知らないけど、アレではずっと話は平行線のままだ。
惟也は話を続ける。
「ですが昼間、天文博士様や検非違使の赤松殿の旦那様への扱いが軽く見受けられました。それを旦那様へ当たるのは違うと分かっているのに、旦那様も彼らの振る舞いを当然のように受け止めていることが許せず……」
赤松が何者かは知らないが、惟也は晴明と面識が無いというわけではないだろう。その惟也が引っ掛かった扱いというのが気になる。
「どのようなことをその二人は主様にしたのでしょう」
惟也がまず陰陽寮で見たことをぽつぽつと話す。
陽光は陰陽寮からすれば客人である。いわば部外者だ。なのにその陰陽寮だけで解決すべきことを話し、それだけでなく陽光に雑用を任せていたらしい。後ろでは得業生が大勢いたのに。
「……旦那様は碌は貰っているとおっしゃいますが、雑用も費用をまとめるための帳簿でした。……以前は髪を黒く染めてお忍びでいらしていたので隠すためにそういうこともなさることもあったでしょうが、今はそうする必要は無いはずです」
つまり晴明には陽光を丁重に扱い接して欲しいということだろうか。いや晴明にそれを押し付けるのは無理があるだろう。
「では赤松殿とは……?」
「あの方がどんなお立場の方かは存じませんが、口ぶりからして別頭のような上役ではないでしょう。旦那様の鬱陶しそうな顔を気にされることなく、本題よりも先に蹴鞠の誘いをしたのです」
「それは、かなり変わった方で……」
陽光も災難だな。ただでさえ大多数の人間から良い印象を持たれていないというのに。
山で暮らしていた時、麓の村にも執拗に息子の嫁に来いと言ってくる女性がいた。自分が父親を待ってあの山で暮らしているのだと伝えても聞く耳を持たなかった。あまりにもしつこいからお婆に愚痴をこぼしたりもしたのだ。何があったのか突然言わなくなったけれど。
「最後にはきちんと仕事のお話しをされましたが、帰りに夜半の君が旦那様を『尊き方』と言ったので流石の私も目が覚めました」
これは私が発破かけたことになるのだろうか。
「……侍従様は、主様には身分相応の振る舞いをして欲しい。そしてその周囲もそのように見て主様を敬って欲しいと思っているのですよね?」
「左様です。あの方はどんなに不遇な目に遭われていても、皇子であることに変わりないのですから……」
惟也は陽光の傷に障りがないよう言葉を選ぶし、避けることもあるのだろう。
だから伝えようか迷ったが、やっぱり言うしかない。
「以前、右近衛府の一件の後、お忍びで駆け付けた帝の御前で主様は己の感情を見せたことがございました。拳を床に大きく叩き付けるほどです。それが親に向ける気持ちなのかは分かりません。ですが帝も主様を愛しんでいるのは私でも分かりました。誰がなんと言おうと帝と由良の君の子だと仰って」
惟也が動揺を見せるも「だからそのような話を……」と腑に落ちたようだ。
「仕事では、相手が父であっても上司であるなら頭を下げます。ですが上下関係が変わっても仲違いをしない限り縁が切れることはございません。ですが臣籍に降りた方が皇族である相手を父上と呼ぶことは難しくなるでしょう」
惟也も陽光と一つしか歳が変わらない。同じく歳の近い私が言えたことではないけれど、二人もまだ成人してそう経っていない。残月も陽光を皇子たれと思って指導しているから、陽光が残月にその思いを話しているかは分からないけれど、残月は敢えて陽光に逃げ道を作ることもしなかっただろう。
彼らの感情の落としどころすら見つけることが難しかったはずだ。
「私が主様と共にいる時、何かございましたら、侍従様にもお伝えした方がよろしいでしょうか?」
「……そうしていただけるとありがたいです。外でどんなことをされているか分からず、私も心許ないですから」
陽光が外に出なければならない時いつも留守を任されていた。下人の童たちだけでは留守を任せられないからだ。
だけどその間陽光がどんなことをしているのか分からない。任務で怪我をしていないか、大勢からの侮蔑を一人で受けて耐えているのではないか、時には政の渦中に巻き込まれることもあるだろう。その度に惟也はさぞ不安で心配だったろう。
惟也は阿呆でも馬鹿でもない。ただ臆病なだけだ。その分陽光のために考えている。誠実な侍従でもある。
「多くの主従を見ていたわけではないですが、侍従様は良い従者だと思います」
「ありがとうございます」
惟也がふわりと笑みを浮かべた。
堰きとめし巌を砕く瀬の如し。隙見つくるがげに賢しな




