13-4.礼羅
自分の主の帰りが遅くなるとは思わなくて、先触れが出た後急遽麻杜と二人で夕餉の支度をしたのにそれでも帰ってこなかった。
炊き立てほかほかだったご飯は既に冷めかけているけど、主が先に食べてくれないとこちらも食事をありつけない。
私は陽光の式神なので何かあればすぐに分かるから不用意に念話をするなという言いつけを守っていたけれど、向こうから一切何も来ない。
一瞬何かが飛んできたような気配がして雑舎の外に出たものの、あるのは黄昏の空と西側には太りかけた上限の半月。結局何もなかったので首を傾げる。麻杜が雑舎の出入り口から顔を出してこちらを伺う。
「な、何があったの」
「……何かが飛んできたような気配がしたのよ」
ありえないと思うが水丸達が迎えに行ってからこれが初めての会話である。
「有明の君かもしれない」
麻杜がうげえと顔をしかめながらそんなことを言うので私も思わず同じ顔になる。
「残月が?」
「弓矢のような術を使って文を送るの。知らないの?」
一言余計だ。
麻杜は陽光と惟也がいない時はやや平民訛りになる。水丸と向呉ほど訛りはないけれどよほど意識して直したのだろうがその態度は腹立つ。
「なにその顔」
「アンタも同じ顔してるわよ?」
麻杜はそれに気付くとフンと鼻を鳴らして雑舎に引っ込んだ。それにしても腹が減った。
―――
やっとありつけることができた夕餉の後、食べ終えた後他の下人達には眠るよう床に促した。疲れているだろうし特に男児たちは食事中もややうとうとしていたのだ。
牛車については日雇いの下人を近くの村から頼んで行っているようだが、それでも九つの子供二人が嵐山から都まで往復するのは大変だったろうに。
後片付けをした後、私も自分の局に戻ろうとして北の対に上がると念話で陽光に呼び出された。
母屋には惟也もいて、陽光から陰陽寮もとい晴明から言われたことを説明された。
「ではまた慈雨の宮の御屋敷に行かれるのですか?」
「いいや次は兄の方、少外記の屋敷に行く。明日水丸達に頼んで先触れを遅らせる予定だ。慈雨の宮の所縁だし、蹴鞠馬鹿……知り合いの検非違使から話があったからな」
陽光の周囲は山育ちの私でもおかしいと思う人が多い。
「その『けまりばか』という方に引き留められて遅くなったのですか?」
「本当に悪かった」
「なんのことでしょう」
帰りが遅かったことは別にもう責めていない。
「夜半、お前は遠くからでも少外記の邪気を嗅ぎ付けたな」
「微かに、ですが」
少外記、陽光の異母兄だ。それが何の関係があるのだろう。
「実は検非違使の方でも少外記の住まう屋敷で怪異の報告がいくつかあった」
「検非違使に物の怪の報告が上がるのですね」
検非違使には追い回されたのでいい思い出がない。
「アレは都の治安を任されているからな。兵も多い。検非違使は少外記の行動を調べていて、彼がこの屋敷に来たのを見ていたみたいだ。その時の話を俺に聞きに来た」
「怪異というのはどんなものかしら?」
「少外記には妻も子供もいないのに見知らぬ女人が屋敷にいるとか」
「恋人か女房じゃなくて?」
恋人が夜にこっそり忍び入ることもあるだろう。それを怪異とするなんて失礼だ。
「その相談をしてきたのが少外記の屋敷の女房だ。どこに声をかけたものかと悩んだ末に知り合いの検非違使を尋ねたそうだ。その女は庭にいるのに、上等な衣を着ているのに裾を上げないから怪しんだ女房が声をかけたようだが、全く応えないし速足で歩くから追いかけてようやく肩に手をかけても触れられなかったそうだ。
主人にそれを伝えても大事にしたくないのか、見えないから意味ないと思ったのか術師も僧侶も呼びたがらないらしい」
それで巻き込まれる検非違使も大変だ。
「それで俺は慈雨の宮からの依頼を少外記から受けたことを伝えたが、少外記はこの一ヶ月慈雨の宮の屋敷を尋ねてきていないという」
「……なら文を交わしていたのですか?」
文でしか聞いてないのに妹の代わりに相談しに行くなんてそれもそれで妙だけれど。
「文すらも交わしていないことも調べがついてる。陰陽寮は少外記が左大弁に相談して陰陽寮を頼ったと聞いていたから疑いもしなかった。これ以上は検非違使の手に余ると陰陽寮を頼ろうとしたらしいが……」
この二つの出来事は別々に考えた方がいいのだろうか。
そう思うのは陽光の兄姉二人は双子だからだ。同時に同じ胎から生まれた双子は呪術としても深い繋がりがあると言われている。念話とまでは行かなくても意思疎通も無意識に行うことも出来るという。
慈雨の宮が見ていた黒い箱は兄の方が見ていた物だったならあり得る話だ。でもその兄が見たという話は聞いていない。
それにしても検非違使といい陰陽寮といい、陽光に厄介事を押し付けるのはどうなのだろう。今まで冷遇されていたとはいえ、皇子という存在はそんなにも近しい存在なのだろうか。貴族の常識は本人らに聞くしかない。
「主様、貴方周囲から都合の良いようにされておりませんか?その『けまりばか』という方も主様を皇子だと知ってる上で頼んでいるのですよね?」
「……蹴鞠馬鹿ではなく赤松だ。出雲守になった寿ぎを貰ったから知っているはずだ」
そうか。でもなんだか引っ掛かる感じに惟也が口を開く。
「……旦那様、恐らく、今の私たちと近い年頃以下の者らは貴方様が今上帝の実子だと存じてないでしょう」
「えっ!?」
驚く私に反して陽光は「それがなんだ」とさも当然のような反応を示す。いや父子なんだからそれくらいは胸を張りなさいよ。
「なんなら、貴方様の祖父が右大臣であることもご存知ないでしょう」
「……血の繋がりは無いけどな」
内裏にいた時に見たあの右大臣の顔を思い出す。あの者の感情はいまいち読めなかったけれど白いひげを蓄えたまさしく貴族然とした人だった。
「それでも貴方様の後ろ盾は実質あの方です。それを知らないからそうやって扱いが軽くなるのですよ。本来なら貴方は――」
「惟也」
「……過ぎた真似をしました」
陽光の声に怒気が混じるのに珍しく惟也は怯えることなく引き下がった。
もしかして何度か似たような話を二人は以前よりしていたのだろうか。
「でも、侍従様の言い分はご最もです」
「夜半の君これ以上は」
惟也が咎めるが私は引くつもりはない。そうして何度も惟也が引き下がっていたのだとしたら陽光は考えを改めることもなさそうだし、これでは平行線のままだ。
「礼羅」
諱で脅しても無駄だ。私が懐から一枚の紙を出そうとすると陽光も押し黙る。陽光の名前が書かれた式札だと察したようだ。
「主様は、皇子というお立場が嫌なのですか?それとも右大臣や帝が自分の祖父や父である事実が嫌なのでしょうか?」
「……それの何が違う」
「帝に対し、臣籍に降りた上で、仏の道に進みたいと仰るからです。それは貴方にとって帝を父と呼べなくなることと同じではないのでしょうか?」
腹の底が知れない右大臣は兎も角、本当に陽光は父帝との縁を切りたいのだろうか。
帝の実子の中での成人した皇子は陽光だけだから臣籍降下したくても出来ない。しかも帝は陽光を東宮にしてしまいたいとすら思っているらしい。本人にとって本意でなくても、それくらい目にかけている帝が息子を愛さないはずがないと思う私がおかしいのだろうか。
「……帝は帝だ。父として接したことは一度も無い」
「帝が主様の出家を拒む理由を考えたことは?」
「知るかそんなの」
陽光は投げやりに返すが、その顔はただの十四の少年だった。惟也は自分のことのように痛む顔をする。
陽光は生まれてからその立場と体質に苛まれてきたのだ。それ以外の世界を陽光はきっと知らない。だからこれまで源氏になりたいということが「親と縁を切る」ことだと考えたことも無かったのだと思う。
「ならゆっくり考えるといいでしょう。今の生き方をする貴方楽しそうですし。これからも術師として究めるのであれば貴方様の代わりを決めないと行けませんものね」
「俺の代わり?」
何を考えているのかと胡乱げに見られる。
「有明の君から聞きました。帝から東宮になることを断ったと。貴方が嫌なら貴方が東宮にしたい人の後ろ盾になるの。だって貴方は相応の立場を持ってるでしょう?」
陽光が指名した人が必ず東宮になるとは限らないけれど、周囲はそれを見て動くはずだ。陽光も考えるそぶりをするけどそれを惟也が止めた。
「夜半の君、そのぉ……色々と仰りたいことは私も分かりますし、悪い考えではございませんが……その、旦那様は後ろ盾と呼べるほどの立場がございません。……後ろ盾になるということはその東宮が帝になった時、補佐することができなければいけません。つまり関白になるということなのです」
「かんぱく?」
そういえば内裏にいた時そんな人が帝の側にいたような気がする。惟也は「やっぱりわからなかったか」とため息を吐きつつも説明してくれた。
「関白というのは摂政……帝の代わりに政を行う御方と捉えて良いでしょう。時代によってはまだ幼い皇子が帝になられることもございましたから、その代わりとして立つのです。
現状皇子は旦那様よりも幼い方がほとんどですし補佐として関白や摂政の存在は必須です。その役目は経験もあり、左大臣や太政大臣などの役目を負った御方がなることがほとんどです。
そして今の旦那様は若く、そういった役目を担える実力も経験も持ち合わせておりませんから……」
後ろ盾になるとそんな重役を担うことになるなんて知らなかった。確かにまだ十四の陽光に関白の役目を負うのは難しい。
しかし陽光は先ほどのしけた顔から一変して何か閃いたのか顔を上げた。
「いや、後ろ盾とまでは行かなくても――」
「どうやら面白いことを考えていらっしゃいますねぇ?」




