13-3.陽光
「嵐山殿ぉおおおお!!」
どすどすと走る足音と野太い大声が周囲に響いた。
「帰るぞ惟也」
「えっ!?」
俺を呼ぶ声を無視したことに惟也は声の先と俺を見て困惑している。
検非違使にいるあのにかっと歯をきらめかせたむさくるしい奴が脳裏に過る。先日会った時はお互い仕事中だったから助かったのに今捕まれば面倒になりかねない。
「検非違使の赤松ですぞぉおおお!!嵐山殿ぉおお!!」
ここで振り返るわけにはいかない。牛車まで走るが「お待ちくだされ嵐山殿ー!嵐山殿ー!」と何度も俺のことを呼びすぐに回り込む形で追い付いてきた。己の足の遅さを恨むと同時にその巨体で足が速いってどういうことだよ。
「ご健勝のことと何よりでございます!出雲守になったと耳にしました!おめでとうございます!」
「うるさい声を落とせ!」
帰宅する官吏たちがなんだなんだとこちらを見るが赤松を見ては「あぁ、またこいつか」という目で素通りして行く。
惟也が割り込むように前に出て赤松の前に立った。
「宮様、このお方は……?」
「おっと、これは失礼」
赤松はそっと下がる。惟也が「宮」と強調するのに少々引っ掛かったが紹介だけはしておく。
「検非違使の赤松だ」
「それはご本人が名乗っていたので存じております」
惟也のたまにくる冷静な返しは容赦がない。
「はい!私は以前嵐山殿と蹴鞠で熾烈な闘いをし合った仲でありまして!」
俺が皇子の身分を隠して陰陽寮からの依頼を受けていた頃、仕事で検非違使と関わることは何回かあった。その中で唯一好意的に示してくれた者が赤松だ。
ある日晴明殿が「これまでに類を見ない身のこなしで毬を操る検非違使がいる」という噂を聞いて俺を連れて検非違使庁に行ったことがあった。
そこにいた赤松は毬を膝、爪先、時には胸を使って毬を一人で地面に落とさず前世のサッカーのリフティングさながらの芸をして見せては「ぜひ私と蹴鞠をしあいませんか!」と大衆の声をかけると晴明殿が真っ先に俺の手を引いて名乗り上げたのだ。
帝に一目置かれる天文博士と検非違使一の蹴鞠上手、そして胡散臭い覆面をした俺という謎の組み合わせで蹴鞠することになったのだが、晴明殿が先に結界術を駆使して毬を操ると赤松も調子に乗って胸や膝を駆使して蹴り上げた。
二人に比べて背の低い俺も二人の身体能力の高さと身のこなしに追い付かんと、頭上に上がった毬を宙返りをして蹴るなど応戦を繰り返していれば常人ではありえない蹴鞠が繰り広げられた。もはや元のルールを完全に無視した超次元サッカーならぬ超次元蹴鞠だ。
「アレは蹴鞠の範疇を超えてるだろうが」
赤松が熱く語るのに俺は突っ込みを入れるが聞きやしない。惟也も初めは興味が湧いたのか真面目に聞いていたのだが赤松の熱が強くなるとそれに反して段々目が死にかける。
それにあの日の話には続きがあって、あの超次元蹴鞠に野次馬も増えて歓声が上がったからか、晴明殿はさらに調子に乗り、試験中だった水の術を繰り出すと勢い余って大量の水が俺に被ってしまったのだ。
水の勢いで覆面と烏帽子が外れ、ついでに黒く染めていた髪の染料も落ちて白髪が露になった。大衆の目の前で。しかも丁度その時も残月が遠くで見ていたようで数日後「あの時は災難でしたねぇ?」と笑っていた。嫌なこと思い出したあの野郎。
「それで赤松とやら、嵐山の宮にどういった御用でしょう」
「是非嵐山殿には私と蹴鞠を行いたく!先日も珍しい術をこなしたと耳にしたので是非それも見てみたい!」
ほらやっぱり。
「旦那様は蹴鞠がお好きなのですか?」
「知るか。二度とアレはやりたくない」
そっと自分の烏帽子を抑える。この時代男が烏帽子を外した姿を見られることは恥ずかしいと言うが、そうでなくてもあの時は色んな意味で恥をかいた。ずぶ濡れだし白髪も見られたし、この蹴鞠馬鹿は俺の正体が分かっても気にせず付き纏うし。
「そんなことをおっしゃらないでください。今度は天文博士殿抜きでなんならそちらの侍従の君と三人でも――おや、あなたは……」
「私になにか……?」
「もしかして民部の者と所縁があるのでしょうか?そこの者と顔が似ていらっしゃる」
赤松が惟也を見て首をかしげる。左大弁の息子だから近い親戚が民部にいてもおかしくないだろう。
「いるとすれば兄上の誰かでしょうね。ですが蹴鞠はご遠慮いただきたい。旦那様ほど上手くないでしょうから」
「……それは残念」
赤松はあからさまにしょんぼりした顔をする。そんな性格だから周囲からドン引きされて避けられるんだろうが。
迎えに来た牛飼と厨人が日雇いの下人と一緒に車宿で待ってるはずだ。早く行かないと日が沈むし夕飯に遅れる。
「もういいか。俺は帰りたいんだが」
「あぁ!お待ちくだされ!実は……」
赤松の話の内容に俺と惟也は目を見開いた。
―――
赤松の話に時間が取られ、俺らが屋敷に戻った頃にはとっくに日が沈んでいた。
「主様、これから帰るという便りを見てすぐにわたくしと童女は厨人の下ごしらえを引き継ぎ早く帰ってくると思い急いで準備したのに、遅くなるとはどういうことでしょう?」
玄関の前で腰に前かけをかけた下女の恰好で両腕を組んだ礼羅とその後ろには同じようにむくれた顔をした童女が立っている。二人そろって不機嫌を隠さない。
「先に食べなかったのか」
「先に?」
「あ、いや……何でもない……」
家長が先に食べないと下人が食事にありつけないのはこの時代からあったらしい。
「夜半の君、旦那様は帰り際とある貴人に声をかけられまして……」
惟也が後ろからフォローする。
「侍従様、旦那様はその御方よりも尊い方なのですよね?そうでなくても遅くなるとお伝えしていただいてもよろしかったのではなくて?」
惟也もぐうの音も出なくなる。それに大内裏から嵐山までが俺と礼羅の念話がギリギリ届く距離だ。そうでなくても惟也に頼んで牛車を待つ二人のどちらかを先に嵐山へ帰らせることも考えるべきだった。
「お出しするお食事が冷めてしまいましたがそれをお出してもよろしくて?」
後ろでは既に牛車を仕舞った牛飼とぎゅるると腹の虫を鳴らす厨人がいる。
惟也は何も言い出せず黙っていた。
「……悪かった」
この屋敷のヒエラルキーは変化しつつあることを俺は実感したのだった。




