12-8.礼羅
「生憎うちにはこの侍従と下人三人だけ。女房は一人も雇っていないのです」
「兄からは立派な屋敷を賜っていたと耳にしておりますが?」
異母姉弟とは思えない会話が繰り広げられる。夏なのに冷汗が流れる状況に私だけでなく他にも控えていた女房達も緊張が走っていた。
御簾の向こうには五人くらい人の気配がする。子供がいないのは他のところの仕事を任せているからか、それとも陽光の身分があるからだろうか。
「仲の良い兄妹で羨ましい限りですね」
早速卑屈な陽光が出てくる。念話で名前を呼んでも無視された。
向こうも呆れたようなため息が聞こえた。
「……内裏では随分なことを仰ったそうですが、その厭世も噂通りですね。何方かに袖にでもされたのですか?」
清涼殿の前で堂々と陽光はさも神からの思し召しを受けたかのようなことを話した。
あの後陽光にあの言葉の真意を聞いたけれど「師匠から聞いた」と言っていたが、陽光のせんせいとやらはどれほどの徳を積んだ仏の人なのだろう。
しかし袖にされた話が気になった。あの陽光が折り紙の夕顔を渡そうとした相手だろうか。
「三つ子の魂百までと言うでしょう。子供のころからの性根は歳を取っても変わりませんよ」
陽光からは答えを聞き出すことが出なかった。
「……そうですわね」
陽光の異母姉が立ち上がるので私はそっと目を伏せる。一瞬だけ見えたその目元は化粧の紅が濃いせいか判別できない。けれど笑っていればさぞ少女のように可愛いのだろうなとは思った。
「噂の女狐がいればと思いましたが、時間が惜しいです。案内します」
私はここにいるんだけどなと思いながら黙って彼女に付いて行く。私もお婆の手ほどきで極限まで妖力を抑えた上で変化をしているのだから気付かないのも無理はない。
しばらく歩いているけど廊下が果てしなく長い。いつの間にか後ろを付いて行く女房が増えていたがこの場で咎める人はいない。中納言の屋敷はここまで広くなるのだろうか。私の見立てからして陽光の屋敷よりも広い。
『何かあったらその場で黒弓を呼び出す。お前はギリギリまで惟也を演じろ』
陽光から釘を刺される。何かを疑って私を使おうとしない。文を受け取った時点で予め聞いていたけれど何を気にしているのだろう。
『でも貴方の力が限界になったら元に戻りますからね。貴方のために渡す妖力も無尽ではないので』
『……そうならないよう善処する』
回廊を渡り、隙渡殿にはいると庭が一望できる。
「綺麗……」
広い池にいくつか島とそれを繋ぐ橋がかかっているのが見える。東側に大きな梅の木が植えられており、西には桜も植えられている。桃の木もあった。この庭の主題は春だろか。既に花は無く葉が青々としていたけれど春になればさぞ華やかになるのだろう。
「あの中央の橋に黒い箱があるでしょう?あれから瘴気が溢れているはずです。陰陽師は何もないと言ってましたが、誰が動かそうにも動かせない箱なんて――」
「あの箱はいつからあるのでしょう?」
被せるように陽光は聞いてくる。
「……夫が亡くなった後からでしょうか。下働きに問い詰めましたが分からないと」
「亡くなられたのは具体的にいつでしょう」
「都で瘴気が蔓延していたころです。あの人は身分や立場を省み、真面目につとめる御方でしたから。内裏と行き来している間に当てられてしまったのでしょう……」
私と陽光が出会った日の話だ。憂いの目を浮かべているがその振る舞いがどうも鼻につく。
「生憎私の目は光に弱く眩しい。箱の特徴を教えてくれませんか」
慈雨の宮は一瞬目を顰めるが品に欠けると思ったのだろう質問に答えた。
「……箱は黒漆に赤の組み紐。これといった装飾はありませんが、文箱と同じくらいの大きさでしょう」
「箱はずっと同じ場所にあるのでしょうか」
「いいえ、ですがいつも外にございます」
事前に聞いた話と違う。
「陰陽寮はこの状況をなんと?」
「術師は――」
慈雨の宮と陽光のやり取りの違和感に私は二人を顔を見ていた。
『……ねぇ陽光』
『分かってる。でも黙ってろ』
相手の機嫌を損ねることを避けたいという訳でもないのだろう。陽光の考えが分からない。それにこの事実は伝えないとどちらにせよこの状況はよろしくない。
「――だから屋敷全体と娘の暮らす離に結界を張り禊をして帰ったのです。娘に心配りしてくれたのは良いですがこれではおちおち眠れませんわ」
「別の屋敷に移ることはしなかったのですね」
「何仰るの!?病を持つ娘を受け入れてくれる所なんてございませんよ。ましてや娘を置いて私だけ出ていくなんてことも出来ません!」
突然声を荒らげるので思わず「ひゃっ」と声を上げてしまう。慈雨の宮に睨まれるのですぐに陽光の背中に隠れた。
「でしょうね」
陽光の方はそれでもいたって冷静だった。
「近くに寄っても?」
「穢れを恐れないのですね」
「潔斎の水は持ち歩いておりますから」
陽光が私を見るので慌てて持っていた沓を並べる。自分も着いていこうかと思いながら向かうが陽光は手で制した。
陽光は橋の周辺を見て周り、橋の上で未だ被っていた頭巾を外した。
後ろに付いてきていた女房達は陽光の顔を見ようと必死に目をこらすが、陽光が振り返った途端に見えたその顔を見てはっと息をのんでいた。そこまで怯えるのであれば見なければいいのにと私は女房達を睨む。
頭巾を被り直しもせず歩く陽光の足取りは心許ない。本当に昼間は目が見えないのがよく分かる。階の前で手を伸ばせば陽光はすぐに取った。戻ってきた陽光に慈雨の宮は感心する。
「その顔を見るのは久しぶりですね」
陽光はすぐに目を逸らし無言で持っていた頭巾をかぶり直した。
「生憎私は貴女の顔を覚えていない」
「それはそうでしょう。わたくしが伊勢に行った頃、貴方はまだ四つか五つでしたもの。それに遠くを見えていないのは昔からでしょう?」
「生憎生まれた時からこの目で見たものしか知らぬ故」
慈雨の宮が伊勢で何をしていたのかは知らないが、陽光が幼くて覚えていないだけだったらしい。
陽光は沓を脱ぎ回廊に上がるとまた振り返って庭を眺めた。
「それで、貴方なら祓えそうですか?」
「特に結界を除いて何か仕掛けがあるようには見えません。陰陽寮が様子見にしたのも分かります」
陰陽寮の術師が解決出来ず結界を張ったのも慈雨の宮のためだろう。晴明がそんな気を遣えるとは思えなかったけれど、それで心がまぎれるならと思ったのだろう。
「まぁ、解決できないと仰るの?」
「そうですね。出来ません」
「内裏での事は貴方が解決したと聞いてたのに、それが出来ないと?」
「出来ませんね。それは私の従える他の式神も同様です。それよりも姫君を見に行ってもよろしいでしょうか」
慈雨の宮の扇の持つ手がぷるぷると震える。
むしろどうして彼女はここまで躍起になっているのかが不思議だった。父親とはいえ、帝を巻き込んでまで陽光を呼んだ理由が分からなかった。
「どうしてっ!」
「どうしてって、この場にいる者全員が見えないのですから仕方ないでしょう」
そう、彼女の言う黒い箱はどこにもないのだから。
ゆめうつつ、見えぬものは何も無し。我が見ゆとせば天橋立
見ゆるもの、微睡むわがゆめといふ。いつはりならぬ、いつはりならぬ




