11-4.陽光
「百年も経ってないのに、わえを起こしたのは由良の子か?」
突然生まれた狸の口から出たのは妙齢の女の声だった。
「狸が喋った!?」
「お前が言うなよ!?」
お前半分でも妖狐だろ!?
「ならそこの黒狐か?」
「それは知らないわ。でも鏡に触れたのはそこの主様よ」
余計なことを言うな。
「……知らないな。俺は鏡に触れただけだ」
俺ではなく礼羅の影響だろう。よく見ると腹にある鏡は鏡台の鏡と同じもので、しかもこの声は母の声だ。付喪神か。これは結界があるからと油断していた俺の落ち度だ。
「そうかや。ところで、わえは由良に会えておらなんだ。由良の子よ。由良は今どうしておる?」
「俺が持ち主の子だと分かってるならここにいる時点で理解してるだろう」
今更の問いに俺はやや呆れる。もう七年も経ってるんだぞ。
「……いいや、お主の口から聞きたい。由良はわえが作られてからずっと由良の物だった。何が分からないまま長らく箱に眠らされたかと思えば今度は使われないまま部屋に放置されとる。そこの家人が時々他の同僚と共にたまに手入れしてくれとったが、わえは何も聞かされていないのだぞ」
「同僚?」
惟也がたまに部屋に入って掃除していたのは知っているが同僚ってお前ら会社員か?
とたんにかたりと机の筆が筆置きから落ちて転がった。周囲には誰もいないのに。狸は「あの筆も由良が屋敷で使っておったわ」と俺の感情に答えるように呟く。
礼羅がそっとその筆に触れようとしたが一瞬手を離し、もう一度持ち上げる。何かに気付いたか。
「……驚いた。どれも呪力が溜まってるわ」
「呪力?」
惟也が問う。若干意識がおぼろげのようだ。礼羅は筆を元の場所に戻すと惟也に答える。
「え、えぇ。……別に誰かを呪わなくても想いが籠っているものはそういうものには力が集まるものです。恨みとか、不満や不安だけでなく、誰かの想いとか願望もその気持ちが強くなればなるほど欲望となりやすいですから」
道具たちは俺に譲られた時から既に呪力が籠っていた。あの人の出入りが多い右大臣の屋敷で仕舞われていたから知らず知らずのうちに吸い取っていたのだあろう。
この北の対には個別に結界を張ったから妙なことは起きないと思っていたが、礼羅を入れるのは良くなかったのだろうか。
「由良が使う前は由良の母が使っていたからな」
母方の祖母がなんだというのだ。霊験あらたかといった話を聞いたことはないが。丹波だったか。
「……?ひぃっ!?」
惟也はまた悲鳴を上げる。
先ほど勝手に動いた筆同様、他の道具たちもカタカタと音を立て始めた。警戒する。本当にまずいな。今は十字架も数珠も式神もない。思わず和歌集を丸めて握ってしまったがこれで対抗できるとも思えない。
式神の術で呼び出すことも出来なくはないが、惟也もいるし部屋を荒らしたくない。
「主様、元の持ち主がどうなったか答えて差し上げたら如何です?何も知らず箱に閉じ込められていたなら可哀想です」
礼羅の一言に狸はじっと俺を見る。
物への扱いなんて大抵ぞんざいだ。長年使われた物はこの呪力が宿った道具たちのように魔が宿るから魔物が現れる前に壊すなんてこともある。
それに鏡にそんな事を言うなんてまるで自分で言い聞かせているような気分になる。事実その狸の腹にある鏡は俺の顔がはっきりと映っていた。
「……由良の君、母上は七年前、内裏の火事に巻き込まれて死んだ。……燃え尽きた頃には骨になっていたからきちんと荼毘に付すことすら出来なかった」
「……そうかや」
少し間を開けて狸はそう返事をする。周囲も徐々に静かになってきたが次は何が起こるか分からない。礼羅だけでなく、しばらく大人しくしていた狐もその辺で寝そべっているが絶対コイツの影響もあるだろう。
「夜半、この道具らを供養出来ないか」
「無理よ。この鏡、付喪神がつくほど魔が強くなってるし、本体ごと壊すしかない。ここの屋敷の結界で守られているけど他の道具も付喪神か悪霊が取り憑く一歩手前じゃないかしら」
即答される。物を故意に壊すのは気が引ける。片付けようと思っていたのに、礼羅は答えこそすれども壊して欲しくないような顔だ。
「あのぉ……旦那様」
惟也が恐る恐ると手を挙げる。
「どうした惟也」
「他の道具にその御力を与えて天文博士のように下人の式神に変えることはできませんか?……あの黒弓も言葉は交わせませんが駿馬相応の役はこなせていますし……」
惟也はこの道具を式神にして人手にできないかと言いたいのだろう。
黒弓も正体は馬に化けた俺の式神だ。名前の通り元は黒い弓なのだが。惟也から黒弓のことも指摘されれば何も言えなくなる。
礼羅は狸の前にしゃがんだ。
「あなたは、主様の式神になるのは嫌?」
「……わえを使ってくれるのか?」
「能力次第じゃないかしら。それに場合によっては同族殺しをするかもしれないけど……」
「放っておかれるよりかはいい!同僚もそう言っとる」
カタカタとまた道具らが動く。
惟也が訴えるのは無理もない。あまり霊感のない惟也が今そこの狸を識別出来ているのかは分からないが、屋敷を管理する人手は欲しい。それこそ猫の手も借りたいくらいだ。
しかし俺は意図的に付喪神を作ったことがない。だけど式神の媒介として利用することで黒弓みたいな式神が生まれる可能性はあるだろうか。黒弓が現れたのもほぼ事故みたいなものだし再現されないと思っていたがこれなら再現ができるかもしれない。
「……試したい。紙を持ってくる。少し待て」
そうなれば早速準備しないと。だけど母屋の前で後ろから妖力を感じた。
「うちの子を随分と可愛がってるやないの、術師殿」
はんなりとした口調の女の声。正体は分かっているから目を合わせるつもりはない。
「……今は話す時間が惜しい」
「かまへんよ。また夜にね?」
振り向いた時には廊下に誰もいなかった。




