11-2.礼羅
主の屋敷に着いたと思ったら大掃除が始まった。
普段は母屋と北の対、その他局がある回廊しか解放していないけれどそれに今は六月晦日の大祓が近い。祓の神様の働きが強い時期だから都合がいいということもあるらしい。
陽光は惟也から不在時の話を聞いてから掃除をするそうで、童三人は先に閉じていた扉を開きに取り掛かるようだ。
白狐を洗うのは私に任せてくれた。嫌がるような鳴き声を上げるが我慢してほしい。
たらいから出してやればすぐに身体を振るって水飛沫を上げては母屋に向かって走る。上がりたいのかこちらを見るので足を拭いてやると、白狐は透渡殿をてくてくと歩いては母屋の庇で身体を丸めてしまった。そのまま寝ころんで乾かしていて欲しい。
「主様ー、終わったわよー」
惟也がいないので話はとうに終わったのだろうと思って母屋の中を覗く。
「あぁ、東の対から手伝ってやれ」
既に上にあがっている御簾を潜ると母屋の塗籠からたすきで袖を捲った黒衣姿の陽光が出てくる。家財道具は母屋に出ているのがほとんどないようで、塗籠の中は本当にがらんどうだった。宝物の一つもない。
「主人の部屋なのに何もないわね」
「清貧しているんだ」
「他の離もそうなの?」
「帝からこの屋敷を賜ってからまだ一年半しか経ってない。調度品も御簾や畳以外ほとんどないはずだ」
「何ですって!?」
つまり伽藍洞ということか。東の対を見れば本当にそのようで、日に当たっていなかったのかまだ新品の青さがある畳を男子の下人二人が外に出しては箒で払っていた。
「失礼だな。とにかく行ってこい」
再度促され私は東の対に向かった。
「あぁ、夜半の君」
「侍従様、調度品はこれだけでございますか……?」
下人らが掃除している畳を指さして言えば惟也は眉を下げた。
「……今は要らないと言って全て売り払ってしまったのです……せめて畳は母屋でも使うからと止めてもらいました」
本当のことのようだ。呆れる。
「ではなぜこんな広い御屋敷を賜ったのでしょう」
「私にも帝のお考えは分かりません……」
本当に帝は何がしたかったのだろう。
ちなみに掃除は調度品を全て外に出しては、私が妖術で床に壁に天井まで水龍で洗浄することで済んだ。あとは乾いた布でふき取って夕方まで吹き曝しにして湿気を飛ばせば終わりだ。
陽光は「妖術の無駄遣い……」と呆れていたけど便利なのだから別にいいだろうに。
とはいえまだ昼前なのに少しだけ疲れた。
「惟也、夜半、北の方を少し手伝え」
「はい」
「……はぁい」
間抜けな返事に惟也が一瞬私を見るも無言で陽光について行った。向かう先は北の対だ。そういえば北の対は誰も掃除をしていなかった。
本来なら正妻が住む離だけど、陽光には妻はいないからか中は母屋とそう変わらないと思っていた。
「……綺麗ね」
他の離が何も無さすぎて物があることに驚いてしまっている。中は晴明の北の方と同じくらいだ。だけどよく見ると置いてある調度品は北の方が持っている物よりも高価に見える。
「ここは帝から賜った時のままにしてる」
化粧道具の入った引き出しや螺鈿や蒔絵が施された文箱。衣が仕舞われていたのであろう四つ足の付いた唐櫃に楽器も琵琶や琴、笛まで置いてあった。
物語が書かれた巻物や和歌集が読みかけのように床に落ちている。厨子棚には日焼けして古ぼけた鳥の折り紙が置いてあった。
読みかけの写本といい、誰も住んで居ないはずの場所で妙に生活感がある。というか文箱も開けっ放しだし化粧道具も引き出しから飛び出ていて散らかっていた。
惟也と私しか呼ばなかったのは童子らに任せると調度品を壊しかねないだろうけど、部屋の主は普段から雑な性格だったのではなかろうか。
陽光はその辺に座り引き出しに手を添えると懐かしむような顔でそれを撫でる。
「物は全て帝に返す。向こうが要らなくても誰かに下げ渡してくれるだろう」
「よろしいのですか?」
惟也が訳知り顔で聞いてくる。
陽光は困った、というより諦めたような顔をしていた。その顔は昨晩と同じだ。
「別に捨てる訳じゃないし、いつまでも過去に縋ってても仕方ないだろう。……和歌集や巻物は別に残してもいいか」
そっと床に置いた写本を取って埃を払う。自選の和歌集か、『由良集』と書かれている。
「誰かが住んでおられたのですか?」
惟也がいる手前、私は敬って陽光に伺う。
「いいや……この辺にあるのは母上の形見だ。内裏にいた頃を再現してみたりもしたが、母の私物でも俺が見たことがないものばかりだからうまくいかなかった」
内裏にあるのは全て燃えてしまったが。と付け足す。返答しづらいことを言われてしまった。
惟也も同じで何か物言いたげな顔をしている。散らかっていると思っていたのは陽光はここでかつての思い出を再現して己を慰めていたのか。
「きゅう」
先程の白狐がひょいと御簾から潜り込んで入ってきた。
「ひっ!?狐!?」
「あ、こら!入ってきちゃダメでしょ!?」
しかし白狐は我関せずとずかずかと入り込みひょいひょいと物を避けるように進んでは真っ先に布がかけられた鏡の布に爪をかける。
「っ!?」
私はすぐに白狐を捕まえて抱きかかえる。
鏡は割れることなく、布だけがぱさりと床に落ちた。鏡が顕になり私は目を見張る。なんだかその鏡がおかしい。
惟也は私が捕まえたことに安堵すると落ちた布を拾い上げては慣れた手つきで鏡を拭き元に戻す。
その一連の流れでずっと鏡面が気になった。鏡をはめ込んだ枠は金箔を散らした意匠で素晴らしい物だけど、こんなにも自分の顔が綺麗に映る鏡も初めて見る。
陽光も同じなのか惟也が元に戻した鏡に吸い寄せられるように手を伸ばすと薄暗い部屋でそれは光った。
この鏡、付喪神になる一歩前の状態だ。
「陽光離れて!」
「は?」
まずい。このまま触れていたら陽光の妖力が吸われてしまう。
私は咄嗟に狐を放しては陽光の身体を突き飛ばすが既に陽光の指先は鏡面に触れていた。
ぼふんと白い煙が部屋に広がる。
小袖で顔を覆うが視界が悪い。近くで大きな音がしたけれどまた惟也が倒れたのだろう。煙が晴れるとそこにはお腹に鏡を抱えた妖がちょこんと地べたに座っていた。
「……狸?」
陽光が困惑するのもそうで、その妖は真っ白な毛に黒い目の周りは緑色が勾玉のように縁どられた神々しい見た目をしているが、ずんぐりむっくりなお腹の狸だった。そのぽよんとしたお腹には鏡を抱えている。
鏡の付喪神は見た事がないけど付喪神は取り憑く物の形に手足や顔が付いたような姿になるはずだ。獣の要素が混じるのは珍しい。
陽光は懐から札を取り出そうとしたようだけど、今は無いのか慌ててその辺に落ちていた和歌集を丸めて対抗しようとしていた。妖を虫と同義にしないで欲しい。
ちなみに惟也は案の定倒れていた。
狸は私達を見て何かを悟ったような顔をする。
「百年も経ってないのに、わえを起こしたのは由良の子か?」
狸の口から出たのは妙齢の女の声だった。




