閑話0-2.礼羅
薫物合をすることになった。
私が北の方に教えるという方が正しいかもしれない。私自身お香の知識をよく知らないからだ。
北の方の部屋に机が運び込まれコの字型に並べられていくと、椿を初めとした女房達も香木や香料を慣れた手付きで用意していくのを私は北の方と見ていた。
「今はその季節ではないので、作り方はおいおい知っていきましょうね」
そう言う北の方は楽しそうだ。
薫物は湿気に弱く、今作ってしまうとうまく出来ないので今回は材料を燻らせて嗅ぎ分けるだけだという。
見ていると椿は北の方の女房達の中で一番若い。住み込みで勤めている女房は椿だけらしい。椿が童女と呼ばれていた頃からこの屋敷にいるとかいないとか。他の女房も子供が一人立ちをしてしまったり、出家しようにも寺に納める金がないのでという理由で集まったのだという。実際北の方よりも老いた者も少なくなかった。
「若い子が増えてこちらも教え甲斐があるというものです」
「私も子供が嫁に行ってからはこんな催しをすることは滅多に御座いませんでしたからね」
女房達も口々揃えてそんな話をする。
宮中で陽光が狐の娘を拾ったことが知られてしまい、私は北の方の紹介で女房達と対面することになったけれど目の前のご婦人たちは中には見える者もいるだろうに狐耳を晒す私を気味悪がらない。
「……皆さん、わたくしを気味悪がらないのですね」
「そんなことおっしゃっていたら、この屋敷では務まりませんもの」
「奥様に気を遣っているおつもりなんでしょうけど、旦那様は己の式神に下人の真似事をさせているくらいですから一々驚いていたら身が持ちませんわ」
ほら、と指さす先を見れば庭師が掃除をしているがよく見ると晴明の妖力を纏った式神だ。
北の方の目にはあまり触れないようにしているが女房には隠す気がないのかと思うくらいにはよく目にするらしい。
「……どこまで規格外なのよ」
勝手に動く式神なら妖くらいなものだけど、その気配ではおそらく神霊に近い。北の方の目に触れないようにしていると言われても気配で気付くだろうに。
そうこうしているうちに準備が整い、椿さんがそれぞれ目の前に並べた香木や香料を説明する。
薫物は基本的にそれらを粉状に砕いたものを蜜と混ぜて丸め、土の中で寝かせ熟成させる事で出来上がるようだ。
「時には果物の汁や花弁の汁を混ぜることもあるそうですよ」
「へぇ、美味しそうな香りがしそうですね」
「……夜半の君は面白い感性をお持ちですわね」
この場の空気が微妙になった。
北の方が切り替えるように手を叩く。
「じゃあ、まずは一つずつ燻らせてみましょうか」
女房の一人が中央に香炉を置くと、順に沈香、薫陸、白檀、丁子と燻らせていく。その香りを女房達が口々に評しては和気あいあいと談笑する。
私の前には燻らせる前の香木の欠片たちが並べられており、私はそれを触ったり嗅いではその違いを確かめる。
私はお婆が教えてくれた香りと知識をすり合わせるために字に記してみると思っていたよりもその字の通りで、混ざった香りが時折自分の慣れ親しんだ香りとよく似ていて懐かしく感じた。
陽光はどんな香りが好きなのだろう。最近覚えた念話で遠くにいるであろう陽光聞いてみれば、甘くなければなんでもいいと素っ気ない返事が来た。まさか香りの違いが分からないとかないだろうな。
「鬱金は染物でも使われるそうです」
「まぁ。でも鮮やかな黄金ですものね」
「染まったら禁色になってしまわないかしら」
「これだけなら鮮やかな黄色になるそうよ」
女房は口々に色んなことを話す。椿がそっと私に耳添えをした。
「夜半、皆様のお話することを聞き逃してはなりませんよ」
「えっ?」
どういうことか分からず首を傾げていると女房の一人が言う。
「今朝方、屋敷に向かう途中にとある衛門が屋敷から出て行ったのですよ」
「まぁ、どちらから?」
「わたくしも気になってこっそり見ていたら、かの大納言の妾が暮らす御屋敷でしたの」
「まぁ!」
「でも用があるなら、その女房か姫かも知れませんよ?」
「その御方はどれくらいのお年でしたの?」
女房達は人の噂話に花を咲かせる。
やれ家の息子が帰ってこない、旦那がこういう話を聞き付けた、どこの屋敷の姫が男を連れてきただの、北の方はそれらを黙って聞いていた。
椿は妄想でも繰り広げているのは目をキラキラと目を輝かせている。
これは平民でも井戸端で女たちが雑談話をしていた様子とよく似ている。
どこの身分でもそういった話に夢中になるようだ。
「そういえば、一昨日、七条にいる知り合いの元に行ったのですけど、その時こんなことを小耳にしましたの」
「あら、随分と遠い場所ですわね」
ふと香炉の守りをしていた女房が中央に置いてある香を変えた。香木ではない。
「これは荷葉の香でございます」
気になった私に気付いたのかその女房が言う。話が変わった故に香木から季節の薫物に変えたようだ。爽やかな香りが鼻をくすぐる。
「まぁ、そんなことが?物の怪でしょうか」
「どうしましょう。しばらくここに留まろうかしら」
都で妖でも出たのだろうか。聞きそびれてしまったけど後で椿に聞こう。
「主人の結界がございますから。数日滞在するならわたくしはいつでも大歓迎でしてよ。その前に祓ってしまうかもしれませんが」
北の方は冗談めかして言う。その雰囲気だと本気かもしれないが。
「本当に安倍の天文博士様は頼もしいですわ」
「左大臣の屋敷には火避けの護符があるお陰で火事にならないとか」
北の方はほほほと誇らしげだ。
「ですが、せめて母屋の中を散らかすことはやめて頂きたいのですが……」
「まだ可愛い方ですよ。昔は泥まみれにしたのですから」
「そういえば、この前塗籠の中を見てしまったのですが大きな樽がありましたの、中に入れておくには不自然で御座いましょう?」
「きっと聖水の試しでしょう。嵐山殿が作ったものと同じものを作りたいのでしょうね」
「そういえば細工師を呼んでましたわね。紙には箱か櫃のような形をしたものが描かれておりましたわ。中身が珍妙でしたが。近くに護符がありましたわ」
「……塗籠の水といい嫌な予感がしますわね。今度問い詰めましょう」
「この前、次郎君の屋敷に向かうのを見ましたが、大きな荷物を運ばせておりましたわね」
「まぁ吉昌さんの屋敷に?ふふ、もうこの前太郎坊を泣かせたのにまだ懲りないのかしら」
女房が口々に晴明の話をすると北の方が反応を見せる。
「椿さん、これは……」
「旦那様が悪戯に屋敷を壊す事が御座いましたので北の方が時々女房の皆様にお願いして見守り報告をします。旦那様の侍従にも聞きいたりしますね」
「……」
もはや大きな子供だ。北の方の気苦労が絶えない。




