閑話0-1.惟也
私は惟也と申します。陽光様の侍従であり、陽光様の乳兄弟でもございます。
かくいう私もそれを知ったのは母が宮仕えを辞めた後のことですので、陽光様とご対面するのはかの方が元服してからのことでございました。かれこれ一年半ほど前のことでございます。
異母兄弟にいびられる幼少期を終えこの性格なので女人に声をかけることも出来ず独り身、仕事でも上司からは身分の割に地味でパッとしない性格だという理由で閑職に異動されたかと思えば、間もなく乳兄弟として陽光様の元で務めを果たせと父から言われた時は数日部屋の隅で泣いておりました。(それでも母が尻叩かんばかりの剣幕でしたので嵐山に向かったのでございますが……。)
用命されてから七日遅れて向かった嵐山の御屋敷は今上帝のご子息としてふさわしいご立派な御屋敷でございましたが、やけに静かであらせられました。
一人屋敷を尋ねると出迎えたのは黒い頭巾をかぶった御方でございました。この方が白子であることは存じておりましたが、首や腕、指先までもが白粉でも塗ったかのような白さだったことに驚いたものです。
「来てくれたところ悪いが帰っていい」
「はい?」
両親に追い出された身なので来て早々の追い出し宣言は私もめまいがしました。
「今この屋敷には私とお前の二人しかいない。帝が呼んだ内来てくれたのはお前だけだ」
母が乳母でしたのでこの方のお話は幼い頃から聞き及んでおりました。冷遇されている御子の世話をしたいと思う者がいないのも不思議ではありません。
私もその一人でしたから。
ですが一人もいらっしゃらないことに屋敷に訪れて一刻も経っていないのに、たらたらと冬なのに冷たい汗が流れました。
「し、下働きの者は……?」
「他の屋敷から来た者がいたんだが俺の顔を見た途端逃げた。仕方ないな」
なんということでしょう。平民が逃げ出すなど不敬にも程があります。
にしてはそのお声に悲観の色が見えません。
「寺で修行僧と同じ生活をしていたんだ。身の回りのことは出来る」
そう言っておもむろに頭巾を取りその顔が露になりました。
(ひっ!?)
白い肌に紅も差していないのに赤く薄付いた唇。烏帽子と衣がなければ女子と見間違えていたでしょうが、兎のような真っ赤な双眸と唇の隙間から垣間見える白く尖った牙に言葉を失いました。
「驚いた。お前は驚かないんだな」
いいえ。驚いておりますしなんなら怯えております。足が竦んで動けません。
この方は帰ってもいいとおっしゃいますが実家に追い出された私に帰るところはございません。この方が冷遇されていたから父も私を選んだのでしょう。乳兄弟であるので選ばれても不自然ではございません。
陽光様は一人でも生きていけると仰っておりましたが、この御屋敷を綺麗に保つだけでも何人の下人が必要であるかわかっておられるのでしょうか。
「……み、帝はご存知なのでしょうか?」
「従者が辞める際に文を預けているが返事がない」
果たしてその文は届いているのでしょうか。いや、辞めた者も帝にお目通りできるきっかけを逃すことはないはず。
まさか帝はご立派な御屋敷を手切れ金にしたのでしょうか。
「分かりました。私が下人を集めます」
「だからお前も帰って――え?」
「お恥ずかしながら、帰ったところで私の居場所はありません。それに貴方様の指先。水仕事をなさっていたのでしょう。まだこの季節の水は冷たかったでしょうに……」
この方が屋敷を賜ってからまだ一月も経っていないはずです。袖からちらりと見えた指先はあかぎれで所々赤くなっておりました。元々白いのでその赤みがよく見えるのです。
他に行う勤めもございましょう。この御屋敷で一人でなんでも出来るとは思えませんでした。
直ぐに背を向けたのでこの方がどんなお顔をしているのか分かりませんでしたが、「集められなくてもお前を責めない」とだけ仰り部屋を後にしました。
それから私は周囲の村に足を運び人手を集めました。
大学寮に入った下っ端でしたので宮中の仕事で貴人以外の者とも話をする機会は大いにありましたし、そちらの方が気楽でした。
ですが向こうも陽光様の噂を聞いていたのか、寄越されたのは童三人だけ。聞けばまだ七つ八つくらい。瘦せ細っていたのでもっと幼いと思っていました。
その辺で横になっていた者を首根っこ掴んでこちらに連れて来た時は流石に憤慨しましたが他にいないと言われてしまえば仕方がありません。
連れて帰る時は途方にくれたものです。この童も一人が途中で歩けなくなり私が抱えて戻ることになったのですから。
「は、マジで連れて来たの!?」
「まじ?」
「いいや何でもない。でも子供か……」
確かに童では背も低く力もないのでろくな仕事が出来ません。せいぜい出来ることとするなら床の掃除くらいでしょうか。
それでも陽光様は連れ帰った三人を見てすぐに湯を沸かして洗い流し、食べ物を与えになりました。
三人はすぐに陽光様に懐きました。ただ一人が女子だったのを知った途端戸惑っていたのはこの人も人の子かと少々納得してしまいましたが。
仕方なく三人には私が宮中で行っていた雑用事を教え、食事の支度については陽光様が教えることで何とかなりました。
そしてその生活が始まって三日経った頃。
「……惟也、色々やってくれてとても有難いんだが、金がない」
「はい?」
「俺は品位もない。無位無官だ。金策、いやまず食べ物が……」
この方がずっと屋敷にいる時点で私も考えが至りませんでした。母に頼んで支援を頼み一時は凌げましたが、それを続ける訳にはまいりません。
「ではそのようにいたしましょう。しかし仕方のないことですが、ここまでとは……」
後から有明の君にも帝へ奏上してもらうよう伝えましたが、何か事情をご存知だったのか「助けを求めようにも何かに憚られているようでしてねぇ」と困った顔をされておりました。
しかし陽光様は陰陽師に師事を受けていたらしく、その繋がりで仕事をする事が出来たようですので食べ物に困る事はなくなりました。
ですが私だけでなく下人への俸禄のことまで考えておられたようで悩まれておりました。
童なら衣食住を提供できればそれで充分でしょうに。慈悲深い御方でした。
この方は内裏にいた頃よりも多くのことを寺で学んだのでしょう。私がこの方に勝ることとすれば歌の才と字の綺麗さでしょうか。その才が役立つ機会も文を送る時くらいにしかございません。
仰る通り身の回りの事は出来たようで私は必要あるのか疑問に思ってていた頃。
「捌き方が分からないんだが、どうしたらいい?」
あの方が自らの手で鹿を捕らえて戻られた時は私も気を失いました。
鹿は下人三人が出来るというのでが処理を任せることになりました。童が行えるとは思えなかったのか陽光様は様子を見に行こうと必死でした。
「いけません!穢れたらどうするのです!?」
「血抜きは済んでる!それに汚れても洗えばいいだろ!」
「そう考えるのは陽光様だけでごさいます!」
この方は毎日のように水浴びをされていました。流石に冬は沸かした湯を浴びておりましたが、それでも暦を選ばず毎日体を洗うなど非常識です。髪も乾くまで時間がかかります。この季節に風邪でも引いたら命取りです。
この時私はなぜこの方は獣の処理は出来ないのに血抜きが出来たのか疑問に思いませんでした。
「旦那様。大丈夫でしょうか?」
「麻杜」
下女の麻杜と二人で隠れて何かをする頻度が多くなりました。そしてその日の麻杜は疲れていることが多いのです。
それで私は察しました。麻杜は畑仕事をする平民らしく肌が焼けそばかすも多く、宮中に出仕している女性を知る身からすれば言うほど美人とは思えません。ですが陽光様も男です。女性に手を出すことくらいございましょう。
まさか童に手を出すとは思いませんでしたが少々忌避感はありつつも初めは気にしないふりをしておりました。
ですが麻杜だけでなく水丸に向呉と私に内緒で二人きりになることがあると発覚すると流石に年長者として黙っておりませんでした。
「陽光様。私に隠していることがございますでしょう」
「なんのことだ」
白を切るなぞらしくない。
「お気持ちは分かりますが下人相手とはいえ童らに手を出すなど、彼らにも疲労が見えます。使い物にならなくなったらどうするのです」
何か言いあぐねている様子でしたが陽光様は深々と頭を下げた。
「……すまない。でもどうすることもできなくて」
やはりこの方も一人の男だったようです。添臥の相手に指一本触れないまま部屋を後にして相手に恥をかかせたという噂も耳にしましたが、この御方の添臥になるならその後正妻になる女人が相手になるはずです。手を出さなかったのは相手を気遣ってのことだったのではないのでしょうか。
「ですが童趣味はまだ譲りますが男にまで手を出すのは……やはり仏の道では女人その者が穢れという認識があるからでしょうか?」
「は?」
「いいえ、言わずとも人の好みなぞ千差万別。私が知らないこともあるのでしょうが流石に加減を……」
「ちょっと待て惟也。何か勘違いしてないか!?」
その後話を盗み聞いていた三人が飛び出して揃って弁解することでこの方が彼らの血を啜っていたことが発覚しました。
血を啜る?まさか本当に陽光様は人ならざるモノたったのでしょうか。また私は気を失いました。
「それは、元からでしょうか?」
意識が戻ったあと、私は恐る恐る聞きました。
「……内裏が火事になってからそういう衝動に駆られるようになった。今までは獣の血で凌いでいたが麻杜がそれに気付いて身を差し出してきた」
血を吸いたくなるなんでまるで血肉を欲する魔物のようです。ですが様子を察するにこの方が欲する血の量は日に日に増えているのではないでしょうか。
「旦那様は新月が近付くと血を吸いたくなるだけで満月になると問題ないのです!」
「だんな様わるくない、です……!」
「麻杜だけじゃ足りないからおら達も血をあげてたんだぜ!……あげていたのです!」
麻杜、向呉、水丸が順に拙いながらもそんなことを言うので私は陽光様を見ました。
「それを知っているのは?」
「残月だけだ……どういう風の吹き回しか帝には黙ってくれている」
陽光様が未だに気を許していない御方ですら知っていたことに私は少々落胆しました。
「陽光様、私は信用なりませんか?」
「惟也……」
「私は貴方様の乳母の息子としてこの屋敷に来ました。乳兄弟とはいえ御心を許さなくても構いません。ですが従者として主の秘密を守ることはできます。そう思われるよう今までこの屋敷で務めていたつもりでしたのに……」
これは八つ当たりです。本当ならこんなことを言うべきではありません。ですが私は童や有明の君よりも信用されていなかったことが悔しかったのです。
「惟也、悪い……俺はお前が乳兄弟であることを今初めて知った」
「えっ……」
向呉の「ちきょうだいってなに?」という場の読めない言葉が空虚に溶けたのでした。




