10-6.椿
それは雪が積もった日の事だった。
加茂家のお屋敷では大君と呼ばれていた梅の君が「太郎君」とお呼びになられていた男子が長男で、時々晴明様について師事を受けていた同い歳くらいの男子は「次郎君」と呼ばれていたから次男だと思い込んでいた。
次郎君は晴明様の共をして宮中を出入りしていらした太郎君とは違い、お屋敷で童侍従をつとめており、文を届けたり下男らと掃除をしたり、愛想も良く、色んな大人に頼られていた。
今思えば屋敷の主人の甥御君がやっていることにしては少々相応しく無かったけれど。
「俺も母上と離れ離れだから同じだな」
そう仰りながら白い椿の花をくれたこの人が母がいなくて寂しかった私との話し相手になってくれた。
「いつになったらわたくしを妹と呼んでくださいますか」
「……はは、大きくなったらね」
時々私に意地悪してきた異母姉とは違って、大人びているこの人からの優しさがとても心地よかった。
ませた子供だったとはいえ、妹と呼ばせようと必死になるくらいに私はこの人のことが好きだったらしい。
「次郎、そこの童女を連れて外に出よう」
雪がとても積もった日、太郎君が私と次郎君と屋敷の外に遊びに行こうと話しを持ちかけた。
「いけません。せめて大人がいないと」
「お前はいつも一人で外に行くではないか」
「それは使いを頼まれたからです」
太郎君のわがままで私は大人達に内緒でお屋敷の外に出ることになった。
だけどその日お屋敷から出た外の道はお通りができない日だったようで、私が顔に妖から魔障を受けるのは仕方のないことだった。
それから私は実家に戻され、魔障のある娘を気味悪がった父は私を離の奥に閉じ込めた。
「あぁ、可哀想。憑き物の臭いがします」
時々異母姉が私のところに来てはそんなことを言ったが、閉じ込められている間私は和歌集をひたすら読み耽った。たった一年の記憶を振り返り、もし次郎君に歌を送る日が来たらなんて送ろうかと妄想する事もあった。
魔障が消えたのは三月経った頃だった。
それが晴明様のご長男が祓ったと母から伺った時、あの太郎君が祓って下さったのだと思った。まだ私の勘違いが解けていなかった。
魔障が消えてもこの体質のおかげで行儀見習いに行けるところも限られていた。
実家での思い出が少ないのは私がどこからか見えない何かを無意識に引き寄せて身体を乗っ取られてしまうからだ。いつも気付いた時には離の塗籠に閉じ込められ、時々芥子の臭いと読経の声が聞こえた。
加茂家の屋敷は結界が強く、私が何者かに乗っ取られることも無かった。あの頃の思い出が忘れられなくて、私はひたすら読み書きや齊部家のことをたくさん学んだ。
稽古もした。巫術に結界術に雨乞いや豊穣の舞に出来ることはなんでもした。だけど古今集や日本紀だけでなく、既に家を出ていた同母の兄が置いていった書き損じの唐詩の写本や恐らく兄が書いたのだろう漢詩を前に机にかじりつくように一人で筆を執る私に父は「女が文字を読めるなど可愛げがない」と言って本を取り上げた。
私の手元にはかろうじて写本を終えていた仮名文字の和歌集と魔物から避ける為の梓弓しか残っていなかった。
数年して十歳になった私の話を聞いたらしい晴明様が父を説得し、私を呼び寄せる事でまた二人と再会する事となった。
大君と呼ばれた梅の君も今では北の方と呼ばれていた。
「お久しゅうございます。北の方におかれましては、ご壮健で何よりでございます」
「貴女こそ、見ない間に大きくなられました。少副……だと少し堅苦しいわね。好きな花は何?」
白雪のお庭で白い椿を髪に差してくれた、あの人。
「白い椿が……好きです……」
私に白椿という名をくれた人。
「なら椿ね。皆にも伝えておくわ」
「ありがとうございます」
やっと次郎君に会えるとそう思っていた。
次男の吉昌様は得業生として陰陽寮に在籍しながらも、計算高く主計寮でもその優秀さを発揮しており、将来有望であると耳にしている。
だけど再会しても私との思い出をほとんど覚えておらず、私の知らない誰かと既に契りを交わしていた。
その代わり長男の吉平様は、大内裏では何かと口を出して結果的に人の手柄を横取りしてしまったり、突然予言めいたことを告げて周囲を混乱に貶めたり、世俗から離れたはずの尼の住む屋敷に頻繁に出入りするなど、どうしようもないろくでなしであると噂が絶えない。
私には時々和歌を送ってくれるものの、なにか含みを持ったことを仰ってはぐらかしてくるような、意地悪な人だった。
晴明様も新しい御屋敷を建てられ、結界の張られた敷地は魔物も私以外住み込みの女房もいない夜はとても静かで、梓弓を叩けば、ぼん、と鈍く不格好な音がとてもよく響いた。
違う御屋敷、違う呼び名、そして男と女の差。
大きくなったら自然と離れてしまうものだと分かっていても、寂しさは募った。
それから私は父方の祖父である神祇伯に呼ばれ、時々巫女として出仕することになった。
その際に和歌を殿方から送られることはあった。
舞が素晴らしかったとか、声が心地よかったとか、そんな事誰からも言われたことがなかったから、あまりにも私は驚いてありがとうのお礼すらも言えなかった。
斎部の娘が舞が上手いのは当たり前だ。歌も、巫術も、雨を呼ぶことも、豊作を祈ることも、神にその芸を捧げるためなら出来て当然なのだ。
苦しくても、辛くても、褒めて欲しい人に褒めてくれないのは、出来て当たり前だから。
それを認めてくれたのだと純粋に誇らしかった。
だけど母方の祖父と母が立て続けに急死する事で、また私の魔障持ちの噂が上がり、神祇伯も私を庇えなくなったのか私を呼ぶ事は減った。
母の四十九日の日、側室から正妻になった継母と異母姉の顔は嘲笑に満ちていて、あぁ、この人達が広めたのだなと、確信してしまった。
異母姉はその後とある内親王への出仕に内裏へ入っていった。
そしてかつての想い人だと思っていた人から謝罪と今までの誤解が解かれ、絶望すると同時に、なぜ今まで分からなかったのだろうとむしろ絶句した。
当時まだ吉平様は晴明様に引き取られたばかりで、北の方からすれば吉昌様がご長男だ。それに吉平様は冬のお生まれで吉昌様が春のお生まれ。
年をまたいで三月ほどしか生まれた日が変わらないから子供の頃の背丈もほとんど同じくらいだった。
そう考えが至らない私が愚かだったのか。椿のように花弁を散らすことなく、花ごと落ちたような気分だった。
『青楓 萌ゆる若葉を見初むれば いつうつろふや心もとなし』
(青楓のように萌える若葉を見初めてしまったので、いつになったら色付くのかと待ち遠しく思います)
いつ読んでも気障な歌だ。
写本をしてまで愛読している和歌集に載っている歌だったら心躍ったのに、渡してきた相手が相手だからその心根を疑ってしまう。
だけどその相手も明日になったら出雲に出立してしまう。四年なんてとても長い。
『お元気で』と文を送ったものの、彼からの返事は無い。自分からは歌を送ってくるのに私から送った文には返事をしないなんて身勝手にも程がある。
(それでも、せめて謝った方がいいのだろうか――?)
何を謝るというのだろう。弟だと勘違いしたこと?それとも私が父に見放されたのは貴方のせいだと責めたこと?
これまで贈られた言の葉を素直に受け止められなかったこと?
『椿の君』
あれはどう思ってそんなことを言ったのだろう。せめて歌を送れば答えが分かるだろうか。
筆を執り、紙に一首書き記すとそれを折り畳む。
季節外れの歌だったとしても、私にとってあの白が貴方との思い出の全てだから。
弓矢に見せた指先にそれを番え、かの方を念じて穿った。




