10-4.陽光
『俺は少し出かける。しばらく返事しない』
『もうそんな時間?行ってらっしゃい』
出かける間際に念話で礼羅に伝えればけろっとした声で返事が返ってきた。
「……文なしで意思疎通ができるようになるなんて、普段からどんな事を囁きあっているのかな?」
「誤解する言い回しはよしてくれ吉平兄者」
吉平と俺は牛車の中で揺られていた。
「俺は君達が羨ましいんだよ陽光。君が彼女を子供と言っていたけど、見た限り俺らとそう変わらないじゃないか。それに君よりも年上だろう?」
前世の年齢と足したら十分俺の方がおっさんだよ。
「態度が子供じみていたからそう思っただけだ」
「いつもは血の色が無かったのに契約してからみるみる良くなっているし」
「休んだからな」
「どうやらこそこそと夜に何かしてるようだし」
「式神の術を練習してるだけだ」
間違いではない。
「昼に内裏、いや、都へ来る数日前はいつも張り詰めていたが、今の方が大分マシだ」
「……そんなこと」
「俺が言いたかっただけだ。これ以上は聞かない。その感情は父上も理解しかねるだろう」
俺が晴明殿に気に入られて誘拐同然に連れていかれた時、俺はまさか大内裏の近くに屋敷があるなんて思わなくて心の準備も出来ず情けなくも震えていた。あの時は晴明殿のいつものいたずらの被害に遭ったのだと勘違いしたのが幸いだった。
「しかしまぁ、よく惟也殿は彼女を下女にするのを許したね」
下女というより半分下働きの女房のような気がするが。
「一回倒れたけどな」
「はは、流石に倒れたか」
もう惟也が倒れるのはある種の様式美だと思っている。
「出世出来る下地があるのに、あの性格だ。もったいない」
「有能ではあるんだけどな」
お人好しで、気が弱い性格故に貧乏くじを引かされる残念な奴だ。
しかし貧乏くじを引かされたという意味では吉平も同じだろう。
清涼殿を丸ごと覆う結界を一瞬で張れるくらいの実力を見せてしまったら気に入られるのも無理はない。
本人は俺に仕える残月同様、陰陽師以外のところで得点稼ぎをしようと一日だけ俺の侍従を引き受けたのに、あの騒ぎでは術師として本気で動かざるを得なかったのだ。
それに礼羅が大勢の前で「晴明の長男」と大声で呼んだらしい。なおさら吉平も陰陽師として才能があると思われてしまっただろう。難儀なことだ。
昨晩のことを思い出し、椿の君が吉平にどんな手紙を送ったのか気になった。
「なぁ――」
言いかけたところで牛車は止まる。屋敷に入ったのだろう。吉平は俺に何かを聞くことなく、傍にある傘を手にすると先に外に降りた。
「足元お気を付けてください、嵐山の君」
そう言って吉平は赤い番傘を差し出す。
兄弟子が一転して従者のように俺に頭を下げるのはいつ見ても慣れない。
「……ありがとう」
屋敷の主人が俺の顔を見るやに気味の悪そうな顔を浮かべつつも部屋に案内する。俺も無言でそれに応じた。予め残るよう言っていたので吉平は牛車で待っているはずだ。
(まだ俺の家の方が綺麗だな……)
透渡殿を歩き、離に入ると周囲は一気に鬱蒼とした雰囲気になる。
夏なので影が増える分涼しいが、全く剪定されていない前栽に生き物も棲んでいない池。寂れているのはこの離周辺だけで、他は手入れがされている。その寂れようの差に離にいる者への扱いが目に見えていた。
御簾の向こうにはおかっぱ頭の少女が墨で絵を描いていた。一応後ろに控えている女房はいるようだが俺に気付いても少女に一言も声をかけない。
麻杜よりも一つ二つくらい年上なのに髪もまだ短くその姿は出家したての尼のようだ。主人を見れば自分は悪くないと言わんばかりの顔をされる。
「誰?」
足音で気付いたのだろう少女はこちらを見ている。しかし御簾から離れているので互いの顔ははっきりと見えない。
気軽な感覚で来たわけではない。でもこうして対面するとなんて言えばいいのか分からなくなる。
「……その、元気にしてるか。夕顔」




