9-6.礼羅
残月が指さした先に向かって走る。
確かに魔力の臭いが強くなってきたけど、やけに人が居ないのが気になる。
(そういえば陽光の折り紙も内裏の外に出られなかった……)
以前に椿が内裏の見取り図を書いて見せてくれたけれど、正しければここは仁寿殿という場所にあたる。
魔力と微かに瘴気が濃くなる。仁寿殿の渡殿の下には少女が蹲っていた。
「あなた、ここにいるのは危ないわよ。大人はどうしたの?」
声をかければ黒い目をこちらに向けてくる。一瞬人ではない何かかと思ってしまったけれど見れば見るほど普通の人の子だ。
ただその雰囲気が独特なのだ。歳は数え六つか七つくらいだろうか。
「……にげてきた」
「逃げた?」
「どいつもこいつも妾に付いてきてうっとおしいのじゃ」
そうは言いつつ口調は淡々としている。それに言葉遣いがやたら古めかしいのが気になるけれど、宮中なら普通なのだろうか。
魔物でもいるのだろうかと警戒したけどこの子供が怯えている様子はない。不思議な娘だ。
「そうだお主、妾より強かろう。開けられぬ箱があるから開けてくれまいか」
「箱?」
「見たことない箱なんじゃ。中身が気になる」
こっちじゃと私の袖を引いていく。今はそれどころではないのにこの子供。
(瘴気から守る術をもう身に着けているの?)
基本的に瘴気は人だけでなく善良な妖にとっても害悪な気だ。瘴気から守る術を身に着けるには妖力を常に体中に纏う修行をしなければならない。
人間も同様に呪力などを纏って中和させる必要があるけれどこの子供はその力を体全身に纏っていた。この力にはどこか覚えがあるけれどまさか。
「これじゃ」
娘に連れられた場所からは魔力だけでなく瘴気が漏れ出ていた。そして目の前には赤い組み紐で縛られた真っ黒な漆塗りの箱が一つ。不自然にぽつんと地面に落ちている。
娘が箱を開けようと試したのか周辺にはいくつか足跡があった。箱もよく見ればペタペタ触ったのか子供の手形の跡も付いている。
「あなたの手を見せて頂戴」
「これか?」
娘は素直に両手を見せる。無理矢理こじ開けようとしたのか指先が真っ赤になっていた。執拗に触れたのか瘴気も混じっていた。
「ここまで赤くして、痛かったんじゃないの?」
「分からない。いつの間にか赤くなっていた」
陽光の聖水があればよかったけど、生憎あの水は私にとっても天敵なので持ち歩けない。
裾を捲らせて妖術で水を出し洗い流す。そう言えば椿が唱えていた祝詞はなんだったか。
「祓へ給へ、清め給へ……」
娘が唱えながら両手を擦ると指先の赤みが自然と引いてきた。
「祓えの祝詞を覚えてるのね」
「外記に教えられた。治るのは本当のようじゃな!」
気で治るにしても行き過ぎている気がする。教えた者もおまじないのようなものとして教えたはずだ「痛いの痛いの飛んでいけ」のような。
「じゃ、箱を開けるから離れて頂戴」
「なんでじゃ」
「なんでも。もともと私はこれを壊しに来たの」
「なんでじゃ」
「これは悪いものだからよ。あなたの手も真っ赤になっていたじゃない」
「む……」
どうにか言いくるめたので私はその隙に箱の組み紐に手をかける。妖力ではびくともしなかったけれど魔力を込めた手で触れれば手ごたえを感じた。
「はっ、でも箱の中身が見れぬ」
「ちょっと!」
「妾に見せろ!」
無表情の癖にやたら好奇心旺盛じゃないのこの小娘!どこぞの誰かにそっくりだわ!
体当たりしてきたのでしゃがんでいた私は倒され、手をかけた紐はその拍子に引っ張ってしまった故にあっさりと解ける。その箱の蓋は娘がぱかりと開けてしまった。
「こら!開けちゃダメでしょ!」
「……なにもない」
「は?」
「持てないから入っていると思ったのに……」
まさか魔物の臓物でも入っていたのかと思っていたが、箱の隅には僅かに塵が溜まっておりそれ以外は赤漆の箱の底が見えるだけだった。本当に何もない。
自分の手にある組み紐を見ると紐には術の跡がある。組み紐に髪の毛が編みこまれていたのだ。
(魔力だったとはいえ、髪の毛を使った呪術って強力だったりするのよね……あっさりと終わるなんて気味が悪いわ……)
あとで陽光に渡しておこうと思い懐に入れる。晴明辺りが嬉々として調べるだろう。
すると清涼殿の方で自分のかけた結界が解ける感覚を覚える。だけど空はまだ赤いままだ。陽光はまだ戦っている。手伝いたいのは山々だけどこの娘一人残していたら色んな意味で危ない。
「……」
「なんじゃ?」
空の箱を持ってきょとんとした顔でこちらを見ているけどこの子に何かあって、私が関わっていたことが分かったら首が飛びかねない気がする。バレてしまうのであればいっそ清涼殿に連れて行って吉平の結界に入れてもらった方がいい気がしてきた。帝も小さい子供を放っておけるほど悪人でもないだろう。
「ねぇ、面白いもの、見たい?」
「……!」
黒い瞳が一瞬輝いた。




