9-4.陽光
「はい」
吉平の作った結界を抜けると俺は手袋をはめて階を降りる。その空間に広がっていたのはまだ昼のなのに真っ赤に染まった空に禍々しい空気だった。
大量の黒い蝙蝠が飛んでくる。俺は直ぐに手袋をして十字架を付けた数珠を構える。
「破ッ!」
いくつかは破裂するように消えて行ったが他は霧散するように逃げていった。結界越しに俺を値踏みしようと眺める奴らが大勢いる。魔物一匹祓えないくせに上から目線の爺どもだ。無性に腹が立つ。
『ヒヒッ、どこの誰かが扉を開けたのさァ。扉はさっさと閉じないとナァ!』
先日の悪魔の捨て台詞が脳裏によぎる。数日晴明殿と話して扉とやらを探してみたが占いで出るはずもなかった。
「主様!」
後ろから礼羅が走ってくる。
「やっぱり私のこと忘れてた!式神を置いていかないでよ!」
「いや何だよその恰好!?」
渡殿から飛び降りて駆け寄ってきた礼羅は青い袴に水干の恰好をしている。
「しかし面倒なことになったね」
「晴明殿!」
もう陰陽寮からここまで来たのか。
「帝の方へ行かなくていいのですか」
「生憎私は怒られたくなくてね。清涼殿を守るくらい彼でも問題ないだろう」
確かに吉平兄者なら守る程度の実力はあるだろう。でも初めての代理で殿上人の守りをする吉平が可哀想だと思う。思うだけだが。
「今回のは封じた何かが内裏に持ち込まれて封印が解かれたんだろう」
「魔力の匂いがしたのはそのせいかしら?」
しまった清涼殿を調べてから外に出るべきだった。
「へぇ悪魔の方が鼻がいいのかな」
「そうね。身近にいるもの」
礼羅は前に出ては晴明に対して蹴り上げた。
「礼羅!?」
礼羅の魔力を帯びた拳は晴明殿の鳩尾からバラバラと塵となって消える。
「流石に本体じゃないわね」
「おいどうして偽物って分かった!?」
「吉平を彼と呼んだ。息子相手に不自然でしょう。それに私を悪魔だと言ったからよ。晴明には私から名乗ってもそう呼ばれたことは無いわ」
直感で動いているわけじゃなくて少し安心した。
だけどすぐにドクンと大きな力の気配を感じる。
「「!?」」
その気配に視線を向けると鹿の頭に黒い狩衣姿の人のような何かが立っていた。
『神の匂いがする』
二人の頭に声が響く。目の前の鹿頭がそう言ったのは明白だった。
「内裏を魔力で覆ったのはお前?」
「おい夜半!」
躊躇せず問いかけるな!?
『ホウライがここにあると聞いた。ホウライは神の楽園だという。神の理想は踏み潰さなければならい』
普通に答えるのかよ。
ホウライは「蓬莱」のことか?だけどそんな名前が内裏にあるなんて知らない。
「蓬莱……三神山のことならここじゃない」
『だが神の匂いがする。神の気配がある。すべて潰さなければならない。そこの色白は神の子か』
俺は袖の中に隠した十字架を握る。
「この御方は天の御子です」
いや待てそれを言ったら。
『天の御子……ならサタン様の名の元に討たねばならぬ』
俺の目の前に瞬きする間もなく立ち、鋭い爪が俺の心臓目掛けて突き刺そうとしていた。俺はすぐに後ろに倒れながらバク転をする。
「はる、あるじ!」
様を付けろ様を!じゃない。
「天の御子とか言うな!向こうの天使と勘違いされるだろうが!」
「知らないわよ!アンタも帝が認めたんだからいい加減受け入れなさいよ!」
「そうじゃない!」
だからアイツの言う神と帝の言う神は違う神なんだってば!
それを言う前にまた俺の目の前に鹿頭が来る。
礼羅も向こうの狙いが俺になったのを良いことに水の龍と炎の龍を出しては交互に追いかけていく。
双龍に囲まれた鹿頭に向かって礼羅が扇を取り出す。
「【縛】――!」
鹿頭が縄に縛られる。これは残月の使っていた技だ。
『呪術だったから再現も容易かったわ』
礼羅の念話が届く。まさかアレを一度見ただけで自分で習得したのか。だけどその術はすぐに礼羅の持っていた扇が一瞬で破壊されることで解ける。
「な――」
『小癪な』
あの悪魔も一瞬で術を看破した。礼羅は扇を見て「北の方になんて言おう……」と唖然とする。そんな大事なモノ戦闘で使うな!
俺はすぐに竹筒と十字架を取り出す。
「主よ、汝を憐れみ給え――!」
周囲に聖水を巻きながら十字架を示す。一瞬怯んだように見えたが、そう簡単には消えない。俺は十字架を構えたまま対峙する。
『ウコバクの数体を一瞬で消したのは貴様か』
ウコバクは悪魔の名前か?
「知らないな」
礼羅はまた鹿頭に攻撃を仕掛けるが全く効いた様子がない。
鹿頭の顔がぐにゃりと歪む。緑色のゴブリンのような顔と目が合った途端赤い空が青空に変わる。
「は……」
「にいさま」
「!?」
もう忘れかけていたはずの記憶が蘇る。
「……夕顔?」
振り返るとただ微笑む少女がいた。だけど火事の記憶が重なり俺は直ぐに両手で平手を打つ。
気付けば目の前まで鹿頭が爪を向けてきた。俺は懐から炎の護符を出して鹿頭を燃やす。
幻覚まで寄越してきたか。厄介な。
鹿頭は一瞬で炎を消し元の鹿頭に戻る。火が効かないのかもしれない。
「鹿なら爪は蹄だろうが!」
頬からじわりと血が流れる。地味に痛い。
「……お婆……媽媽?」
「夜半!」
礼羅にまで引っかかったか!
鹿頭はその隙に礼羅を狙っていた様だが俺は直ぐに礼羅に式神の術を使う。
「俺を見ろ!」
「!」
式神の術で命令して意識を逸らさせると瞬時に気付いたのか避けた。良かった、式神の繋がりまでは切られていなかった。
『あの悪魔、俺らの記憶から幻覚を見せてくる。お前はアイツと目を合わせるな』
『幻覚……?』
まだ意識が戻っていないのかぼんやりしている。俺の中で罪悪感が募る。
『集中しろ。そして俺に妖力をくれ。この空間だと俺は十分に力が出せない』
『……わかった』
礼羅はまた両手を合わせ呼吸を整え、俺の魔力を吸い取り己の妖力に変えていく。
「幻術なら私の得意分野よ」
「よし」
目を隠す仮面の下で唯一見える口元が勝気に歪ませる。
「【帳】」
一気に空は星夜に変わる。
すると俺の体が途端に軽くなった。やはりこの術は味方の強化をする効果があるのか。
『私の月は貴方にあげる』
狐面の穴からのぞく金色の瞳が光る。やめろ地味に照れる。
『結界は清涼殿までは覆ってる。それでも長く持たないから文句は言わないで。私はあの鹿頭を引き寄せた者がいないか探してみる』
『頼んだ』
この場から離れた礼羅を見送り、俺は再度敵と対峙する。
「念の為言っておくがお前の崇める神と俺たちの崇める神は違う」
『それでも天を統べる者なれば潰すまで』
聞く耳を持たないな。




