9-3.礼羅
先頭に陽光、その次に残月と吉平。次に私、その後ろには椿が並んで歩いていた。
向かう途中にあらゆるところから視線を感じる。後宮はもっと奥にあるらしく、女人は少ないけれど様々な色の狩衣や直衣の姿をした男がひそひそと話をしながらこちらを見ている。
「夜半の君。視線は真っ直ぐにしてください。見くびられますよ」
やっと口を開いた椿の言葉は小言だった。心配していたのに少し損した気分だ。
「それでわたくし達は何処で待っていればよろしいのでしょう」
椿の君が女官の迎えが来ないことに怪訝な顔を残月に向けている。
私は大勢の官人達を避けるために時間をずらして帝と対面すると聞いている。
「それが、困った事に……」
残月は眉を下げてはあからさまに困った顔をして檜扇を仰いだ。何事かと私と椿は顔を見合わせた。
―――
清涼殿ではその日出仕していた殿上人がずらりと並んでいた。ほとんどが壮年の男だが中には女人もいる。宮仕えの女性だろうか。唯一深紫の狩衣を着て参内していた陽光や私達が浮いて見える。
「しかし誰の昇殿かと思えば、白髪の宮がまだ生きていたとは」
「術師の真似事をしていた噂は本当だったようですね」
「後ろに控えている女房は誰なのです」
「狐だと聞きましたぞ」
「なんと……」
色んな陰口がよく聞こえる。一番清い場所でなければならないこの空間は様々な言葉が飛び交う。ここまで腹黒い感情が流れ込んでいると邪気になりそうだ。
しかし陽光の方はやけに魔力が安定していた。子供のころからそんな後ろ指をさされて生きていたのだろうか。
――妃でもないのに、どこの生まれかもわからぬ娘を裏で呼び寄せるなんて。
帝の正妻。もとい中宮がそんな事を言って帝を責めたらしい。
自分を帝に押し上げた関白の娘である故に帝も強気に出られなかったとか。
お陰で隅っことはいえ、急遽清涼殿に上がらなければならなくなった状況に目眩がした。
(これで私が首を撥ねられたら残月も地獄に連れて行ってやるわ……)
そんな恨み節を隣に座る残月に向けるとこちらに笑みを向けられたので怖気が立った。やめよう地獄でも兄貴面されたらたまったもんじゃない。
しかし少し風に流れて慣れない臭いを嗅ぎ取った。
『ねぇ、陽光』
『帝の御前だ黙ってろ』
『違うわよ。かすかに魔力を感じるの。私達じゃないわ』
一拍、陽光が黙り『まだ様子見だ』と返事する。動くにも衣を着た私は何もできないのだけれど。
「……今日は一段と目が多いな」
慌てて深く頭を下げる。
こう前触れもなく現れるものだろうか。
「頭をあげよ」
顔を上げても視線は下にする。お面があるから目は合わないけどそういう作法だ。
「あれからよく休めたか、陽光」
「……陛下のお心配りに感謝申し上げます」
「そうだな。今度は共に月見酒をしたいものだ」
本題に入る前に世間話が始まる。でもその帝の口は穏やかでやはり陽光を息子として扱っているように見えた。
「以前其方は臣下に降りたいと言っていたな。その気は変わらないか」
周囲がざわついた。そして部屋の隅で控えていた私達は硬直する。陽光が臣籍降下したい話は聞いていたけれどそれを望まない帝からその話をするとは思わなかった。
「はい。この身で帝の御前に出ることも畏れ多く」
「以前、お主が言っていた話も理解できる。その身では生きづらかろう。……だが敢えてこの場で言おう。余はそれを許さん。それは先帝とは別の理由でだ」
周囲は一気にざわつく。
帝の考えに怪訝な顔を浮かべる者、黙ったまま何を考えているのか分からない者、笏で隠している口元の下は狡猾に歪んでいる者。
つんと檜扇でつつかれ思わずぞわりと怖気立つ。犯人の顔を見るとにっこりとした顔でこちらを見ていた。
「左側にいらっしゃるあの方が橘殿、宮様の義理の祖父に当たります。覚えておいてください」
話しかけるなら驚かせないで欲しい。わざわざ残月がこっそり私に伝えてきた男は好々爺のような老人だった。
帝と陽光の関係ばかり目に行っていたけれど祖父の存在を知れば陽光も人の子なのだと思い知らされる。あと政治で本人よりも周囲がうるさくなるのはどこの時代も同じらしい。お婆が言ってた。
「……ならば陛下。私からも敢えて口にしましょう。私は七つから十の頃まで寺で修行をし、それ以降は天文博士の下で陰陽道を学んでおります」
「それがどうした」
「これまで私が行ってきた努力は、事あるごとに私のせいだという者達全てを呪うためだと言えば、陛下は私を退いて下さいますか」
陽光の言葉が私の身体にどくんと大きく響いた。
「夜半の君?」
椿が後ろから私に声をかけるけど問題ないと首を振る。
一瞬身体が大きく跳ねたような感覚がしたのは何だ。
「ほう、面白いな。……だが其方は相応の恨みを持っていてもどうせ呪いはしないだろう。其方の心根には神仏への信心深さがある。余はそれを誇りに思う。それに其方はただこの場から逃げたいだけだろう。余の子供の頃とよく似ている。雑談はここまでにしよう」
唐突に話がぶった切られる。え、これが雑談?
「都の瘴気を祓ったこと、右近衛府の憑き物を祓ったこと。その功績を持って陽光に――」
ふと気配を感じて天井を見上げた。残月が私の様子を見て怪訝な顔を隠さない。
「来る」
その瞬間突風がその場に入り込む。砂埃が舞うのを袖で覆った。
「見つけた」
「!?」
何か聞こえた気がするけど見えない。風が止むとこの場は大きな結界に囲まれていた。
「……もう少し分かりやすい合図をしてくれませんか」
吉平が印を結びながらぼやいた。晴明と同じ結界術だ。
「吉平様の反応が遅いのですよ」
「手厳しいな……」
弓を構える椿の冷たい一言に吉平が肩をすくめる。だけどそのこめかみには汗がたらりと流れていた。
「ですが護符もなく広範囲の結界を一瞬で敷くとは流石天文博士のご子息ですねぇ、若くとも実力はある」
残月は先程まで閉じていた檜扇を仰ぐ。呑気なのか警戒しているのやら。
外が一気に暗くなる。上から瘴気の気配がする。様子を見るため立ち上がろうとすれば椿が私の袖を引いて止める。
「貴女も動いたら主に更に疑いがかかります」
じっとしていろというのか。陽光はその場でじっと座り頭を垂れていた。
「これは何の騒ぎだ!」
「きっと魔の仕業です!おぉ、汚らわしい!」
「まさか……」
貴人の何人かが陽光を疑い始めた。
(陽光が呪うなんて煽ったせいよ――!)
陽光が自嘲しているのが伝わる。正式に契約してから互いの感情が伝わりやすくなった。いい加減そのひねくれをどうにかしなさいよ!
「近衛はどこだ!今のうちに捕らえよ!」
「黙れ!」
臣下に守られていた帝がその場で声を荒らげる。
「陽光、この原因を明かし、祓ってその身の潔白を示せ」
控えを押しのけ、帝は陽光の前に立つ。
「へ、陛下……!?」
「陽光、出来るな」
帝のそれは命令だ。出来る事を確信している。
「はい」
陽光は立ち上がると一礼して結界を抜ける。私も彼を追いかけようと立ち上がった。
「夜半の君!」
「あの方の式神が行かないわけにはいかないでしょう。あの方を誰が守るの?」
変化で着ていた衣を着替える。ボンと煙を立てて変わったことを確認すると。私は結界の外に飛び出そうとして足を止める。
「あ、そこの……えっと、晴明の長男!」
「は、はい」
自分が話しかけられると思わなかったのか吉平は背筋を伸ばす。
「絶対に結界を解かないで頂戴。そして何人たりとも入れてはいけないし出てもいけません」
「そこの娘!突然面妖な術を繰り出したと思えば、なんという無礼なことを言うのだ!」
比較的若い貴人の一人が声を荒げる。この状況を理解できない愚か者がいるようだ。
「ならそこの生け花を一つ結界の外に向かって投げてみては?一瞬で枯れるはずです。術師には守る術がございましょうが、あなた方にはないでしょう?」
貴人は大きく動揺したが、帝が「それは面白そうだな」と侍従を呼んで花瓶を持ってこさせるとそこに活けていた佐葦(現代で言う百合)の花を投げた。すると砂利の上でぽとりと落ちた佐葦は枯れて消えてしまった。
「ひ、ひぃいいっ!?」
「枯れるどころか塵となったな」
官人は情けなく腰を抜かしていたが、帝はもう一本生け花を投げては塵になる様子を眺め、三本目を投げようとして別の貴人に止められていた。子供か。
「なので絶対にその場から動かないように」
「よろしく頼みますね」と脅すように吉平に釘を刺すと私は結界の外に出た。
静かになったこの場でようやく口を開いたのは吉平だった。
「椿の君、彼女はいつもこうなのか……?」
礼羅がいた場所には衣が落ちていた。椿は衣を引き寄せては無言で畳んでいく。
「主が心配なのでしょう。……旦那様の奇行に慣れている貴方が言うのもおかしいですね」
「いや、相手は父上じゃないからな……あれ、有明の君がいない」
残月が座っていたはずの場所は伽藍としていた。




