8-5.礼羅
結局私は残月と話をしている最中に眠ってしまったようで、残月は夜明け前に屋敷を後にしたらしい。
惟也はほとんど眠っていなかったようだから申し訳なく思うけれど、侍従を務める者はそういう仕事もあるのだと言っていた。いや本当に申し訳ない。
私は惟也に挨拶をして下人たちがいる雑舎に入り、陽光に出会う前に着ていた小袖に袖を通す。
小袖だけを着ているけれどよく触れてみるとこの衣も絹だ。お婆が花街で入手したらしいけど絹衣はそう簡単に貰える代物じゃないはずだ。一体どうやって相手を誑かしたのやら。
小袖を着て私は後から起きてきた水丸に驚かれながらも井戸の方まで案内してもらった。私が向かった先とは真逆のところにあったし厨からはすぐそばにあった。
井戸から水を汲むと頭から被る。ただ体を洗うだけなら妖術で済ませられるけれど今回は違う。
水行を済ませると石畳の上で胡坐になり深く深呼吸をする。
丹田に力を入れつつ精神を鎮め、熱を起こす。呼吸をするたびに己の体温が上がるのを感じる。
すると今まで損なわれた部分を補うように力がみなぎってくる。妖力だ。だけど魔力も同じように補われていく気配を感じてすぐに後ろを見た。
「聖水は嫌がるのに水行はするんだな」
「……陽光?」
陽光はもう魔力の制御が出来るようになったのか。
「昨日は本当にすまなかった」
「ここで謝らないでよ……」
「全員見てたんだ。俺に非があることはみんな知ってる」
確かに向呉以外は全員いたけれど、だからって。
「俺がここで偉ぶっても仕方ないだろ」
陽光はどこか投げやりだ。
「あの、陽光」
「本当は昨日の夜に話そうと思ってたが、朝餉を食べたら改めて話そう。お前がどれくらい残月達から聞いたのかも気になる」
私の話を遮って話すと彼はその場から去ってしまった。
「言いたいことだけ言って、勝手な人……」
その時陽光が全身びしょ濡れの礼羅を前に目のやりどころに困っていたことに気付かなかったのだった。
―――
朝餉の際、童三人から一人づつ握り飯を寄こされた。三人とも陽光が吸血衝動になる前に自分の血を差し出していたらしく、彼らからも弁解されたのだ。
まさか惟也だけでなく子供らの血も啜っていたのかと内心憤ったけれど、許して欲しいと懇願されたら困る。握り飯も一口だけもらってあとはみんなで食べるように言った。昨晩夕餉を抜きにされた麻杜と食いしん坊な向呉が腹の虫を鳴らしていたので。
支度を終えると改めて陽光の部屋に入る。既に人払い(そもそも人が少ないのだけれど)部屋に入ると、深紫の狩衣を着た陽光が中央に座っていた。
お互いに身なりを気にしているのだからなんだかくすりと笑ってしまった。
「何がおかしい」
「いいえ……貴方がそんなちゃんとした格好をするんだもの」
烏帽子すらかぶらない時もあったのだ。身分を気にしないというより、だらしない印象がある。
「残月からどこまで聞いた」
「貴方が以前から血を啜っていたということかしら……」
最後何か話した気がするが覚えていない。
「惟也からお前が寝落ちしたことは聞いてる」
やっぱり寝てしまったのか。本当に気が緩んでしまっている。
「……陽光が血を通じて妖力を欲するようになったのはいつから?」
「……」
帝が知らないということは後から欲するようになったのだろう。そして敢えて残月も隠している。
「元服してこの屋敷に住むようになってから……だけど、寺にいた頃は、結界があったおかげで免れたんだと思う」
言いにくいというより、確信がないからなのか歯切れが悪い。
「そうなってしまったのに心当たりがあるの?」
「……気分が良いものじゃないぞ」
「それでも教えて」
仕えるにも主のことは知らないと私にまで被害が及ぶ。
陽光は重たく口を開いた。
「俺は生まれてから二年は右大臣……母の父の屋敷に住んでいたらしい。赤子の頃のことだし右大臣と話した記憶もない。
だけど父が東宮になったことで正式に参内することになった。すると同じように参内した俺の腹違いの兄姉たちが多く死んでいった。俺が忌み子だと言われたのはその頃からだ。唯一生きてるのは同じく忌み子だと言われた双子の兄姉だけだ」
「……そんなの」
時期が悪かっただけだろう。環境が変わって体調がすぐれなかっただけかもしれないのに。
「関係ないって思うだろ?実際そうだったし、母もそれで何度も俺を庇った。……だけど俺が七つか六つの頃に内裏が全焼してな。そこでその原因が俺だと占いの結果が出た」
「占いって……!」
まさか嫌気がさして火を放ったのがバレたのだろうか。
「陽光が火を放ったの?」
「いいや。その時は俺も寝ようと寝所にいた」
「なら原因じゃないじゃない!?」
「そう占ったのが晴明殿だ」
信じられない。
「占いにもこれ以上俺を内裏に置いておいたら良くないって出た。俺は帝に出家したいと言ったよ。父は反対してたけどな。でも俺の母が死んだのが堪えたんだろ。妹も一生治らない傷を負った。結局俺は出家じゃなく寺に預けることで俺は内裏から出ていくことになった。それからだろうな」
さらっと母が亡くなったことも伝えられて私は陽光をにらむものの、陽光の赤い目に陰りが差している。
「陽光が血を吸うようになった理由が分からないのだけど……」
これ以上聞くのは酷な気がした。けれど結論は聞けていない。
「火事が起きた時、おまえならどうする?」
「……どうって、妖術で水をかけるかしら」
「火は消せても建物が壊れそうだな……」
流石に小火程度なら普通に井戸や池から水を汲んで持ってくるわよ。
「内裏だと神に祈るんだ。汚いって理由で池の水も使えない。神聖な水が流れる川に行くにも遠すぎる。下人も建物の中に入ることが許されない。だから火が消えるように、雨が降る様に祈るんだ。大勢の人数による経や祝詞が唱えられた。その隙に俺は呪われたんだろ」
何処まで神や仏頼みなのか。ただの人が燃え広がった火を消すことは難しいかもしれないけど、緊急時に下人を中に入れないわ、水を選ばないといけないわ、なんてふざけたことを。
「……呪いは解けないの?仕返しは?」
少しの仕返しくらい許されるべきだ。
「仕返しって……呪詛返しは相手が分かってないと無理だろ。
祓うにも、情けないが俺はあの日から経は読めても他人の経は聞くことが出来ない」
「出来ない?」
「……思い出すんだよ。色々」
はっきりと「怖い」って言わないのが陽光らしい。
だけどそこまでとは思わなくて私は何も言葉が出なかった。
「…………おい、おまえがそんな顔をするな」
「そんな話聞いて平然といられる方がおかしいわよ!」
私の顔を見て陽光は「同情を誘うつもりはなかったんだが……」と苦笑しているけど、他人に恨まれまくって頭がおかしくなったんじゃないの!?
「理不尽に恨まれることは慣れてる。だからお前も俺を恨んでも構わない。何なら契約も切ろう。魔力はいくらでもくれてやるが、お前の血は俺の理性が持たない」
私は彼の言ってる意味が分からなかった。
あひだなく事語り言申されば、いかで君を恨みるべきか




