8-3.陽光
空が燃える。
何人もの僧侶が経を上げ、神祇官が神頼みをする。
逃げ遅れた俺らを助けてくれる人は何処にも居なくて、母は自分のことを省みず妹を俺に向かって投げるように突き飛ばした。
『かかさまぁ!かかさまぁあああ!!』
『この化け物……!』
はっと目が覚める。また嫌な悪夢を見た。
起き上がろうにも身体がとても怠い。二日酔いのようだ。
「お目覚めになられましたか?」
真っ暗で何も見えないけど惟也の声がする。塗籠の中だろうか。俺はまた酔いつぶれて状態で寝てしまったのだろうか。
「だるい……」
「もうしばらく横になってください」
惟也の言葉に甘える。しばらくすると妻戸の向こうから衣擦れの音と誰かの声が聞こえてきた。
「そちらに来て座りなさい」
「……血を抜かれてしまったのです。すぐに意識が遠のいてしまうでしょう」
『起きているのもやっとなのよ……』
礼羅と残月だ。そして俺はようやく直前の記憶を思い出して頭を抱えた。
「警戒せずとも取って食いはしませんよ?」
『毒蛇の目をしておいて何言っているの!?』
そしてまた礼羅の心の声がはっきりと聞こえてくる。以前は触れたら聞こえたのだと思っていたのに、まさか今は礼羅の血を吸ったからか。
「お二人のご迷惑になる前にお休みさせてください」
「我儘ですねぇ」
『何がわがままだ。私は被害者よ!めまいがするのを踏ん張ってるのに』
魔力は十分渡しているはずなのに礼羅は回復していないのか。というか残月も何処まで本気で言ってるんだ。
「惟也……」
惟也も同意だったのか無言で塗籠から出て行った。
「有明の君。おやめください。血を抜かれた時の状態には心当たりがございます。夜半、几帳を出します故。横になって構いませんから」
「……はい」
貧血を治す薬はない。鉄分を補うにもレバー肉は狩らないとないし、薬の知識もないので薬草も出せない。むしろ山暮らしだったという礼羅の方が詳しそうだ。
入れ替わりで残月が塗籠に顔を出してきた。
「もう目覚めになられたので?」
「……起き上がるのは難しい。それと礼羅に無理をさせるな……」
「あの娘は以前瘦せ細った身体で大技を繰り出したのですよ?」
下人相手に侮蔑の目を向けたかと思えば身綺麗にした姿を見たら妹にしたいと言い出し、今度は魔物だから多少の無茶をしても死なないだろうと考えるなんて本当に残月は思想が貴族らしい。
「アイツは魔力だけじゃなく普通の食事も必要なんだ。傷が癒えても減った血はそう簡単に戻らないんだろう」
半妖の晴明殿が何かに熱中して部屋に引きこもっている最中も食事は欠かさなかったということは人並みには必要なはずだ。
出会ってまだ一週間ほど、礼羅という生き物の生態は未だ分からない。傷は治せても減らされた分は自分で補うことが出来ないのだろう。
「……そう心得ておきましょう」
コイツはなから気配りをするつもりがないのか本気で分からないのか判別しづらい。
「ですが女人の思考を読み取るのはいけませんねぇ」
「はあ?」
残月はそのままパタンと妻戸を閉じた。え、おい待て結界をかけやがったなコイツ!
「これで式神の繋がりも一時だけ切れます」
丁度部屋に入ってきたらしい礼羅の方に向かって残月は声をかけた。
おい待て式神のつながりを切るなんて本気で言ってるのかコイツ!?
「嵐山殿は先ほど大量の血を吸ったのです。互いを繋ぐ糸が太くなると制御が難しくなると言いますからねぇ。意図せずとも自分の視界が共有されたり、思考が読まれるのはいい気分ではないでしょう」
礼羅にばれた。いや心を読んだのは意図的じゃない不可抗力だからな!?
「主様が目覚める頃合いは?」
「……四半刻ほどかと」
最初から起きてるわ!ここまで話してなんでお前は気付かないんだよ!?慌てて妻戸に手をかけるけど全くびくともしない。術で覗き込むことも聞き出すことも出来ないようになっている。封印を内側から解くのは至難の業だ。
惟也も突然俺が閉じ込められてパニックになったのかずっと妻戸をドンドン叩いていた。
あ、頭が冷めてきた。
「旦那様……!旦那様!」
「落ち着け。今は大丈夫だから、礼羅達の方を気にかけてくれ」
声を潜めて伝えるとようやく惟也も落ち着き始めた。
「侍従殿も手が離せませんからねぇ。忘れる前にお前から聞いておきましょう。先ほどは何があったのです」
いや惟也ずっと妻戸の前にいるんだけど。
内心のツッコミも聞こえない礼羅は初めは戸惑いつつも話し始めた。
厨から井戸に行こうとしたら迷ったこと、俺と惟也がいるのを見て思わず逃げてしまったこと、俺に気付かれて捕まった後突然俺に噛みつかれて血と妖力を吸われたこと。
俺は礼羅に噛みついた辺りから記憶がない。妖力を吸っていたなんて思わなかった。
「おおよそ合いますね。別にお前を疑っているわけではないのですよ……まず、なぜ私がまたこの屋敷に来たのかと言えば、天文博士殿から式神による文が届きましてね。その内容からあの方はそろそろ限界かと思ったからです」
嫌なタイミングで晴明殿は文を送ったな。
「失望しましたか?」
そっと俺は妻戸に耳を当てた。「失望……」と礼羅は反芻する。
残月は俺が起きていることを分かっていてそんな質問をしてくるのだろう。
「良い従者とは良い主が居てこそでしょう。今後お前があの方以外の者を選択することは出来なくとも何か思う所があるのでは?」
残月は言葉を重ねる。少し間をおいて礼羅は返事をした。
「……私は生きる為、彼に従うことを選びました。それ以上でもそれ以外の感情もございません」
全身が底冷えする感覚がした。礼羅に嫌われて当然なのに、はっきりと言われるとかなり堪える。
「心無い言葉を告げられて『悔しくないの?』と言ったのに?……冗談ですよ」
毛を逆撫でるような台詞だ。
(……だってしょうがないだろう。事実なんだから)
俺は思わず鼻で笑ってしまう。
嫌な感情を割くように、ことんと遠くで床に何かを置く音が響いた。
「……白湯です」
惟也の気配がないと思ったら下人が持ってきたのを受け取っていたのか。
「血を多く失われたでしょう。せめて何か口にした方がいい」
「あ、ありがとうございます……」
惟也は気配りがよく出来ている。そして忘れかけた罪悪感がまた湧き出てきた。
「……主様が血を欲するは初めてではないのですね」
礼羅が話を切り出す。
「私とこの屋敷に勤める者は身分問わず皆知っています。あの方が人を避けるのは魔物のような一面を多くの者から知られないようにするためでしょうねぇ」
どうせ後々知ることだからって色々話すなコイツ。
「帝は知らないのですか?」
俺もそれには気になっていた。残月が黙っている理由は何だろう。以前聞いた時ははぐらかされたが。
「知っていたらあの方を東宮にするのは諦めたでしょう。今、成人している親王は宮様おひとりだけですから」
それこそ今言うな!マジでその口縫い付けてやろうか!?
「おや知らなかったのですか。ならば侍従殿も含めここだけの話に……」
ほんと白々しいなこの野郎!
「それに私も、今の立場に甘んじているわけではないのですよ。今こうして神職をしているのも、私を猶子にした義父が神祇の大副だからですよ」
椿の君の父だけじゃなく残月の義父も神祇官府の副官だったのか。いやそうじゃない平然と嘘を吐くな!
「主様は臣籍降下したいと聞いてますが……?」
「それでも品位か官位の違いでしょう?親王に仕えた数少ない従者というだけで箔が付くというものですよ」
それは俺が帝になった時の話だろ。……なるつもりは無いけど。
「それに、血を求めるようになったのは生まれつきでないようですから、どこかに治る手立てがあるはずです。だから私もここだけの話にしているのですよ。あの方は今回を除けばまだ理性がありましたからねぇ」
そうだったな。寺にいた頃に気付いて事前に生き血を飲んでおけば大丈夫だって分かってたからな。
晴明殿の屋敷に滞在するのは久しぶりでその用意をするのを忘れていた。せめて聖水をがぶ飲みして魔力を削っていればそんなことにはならなかっただろうか。
でもこの体質が治るなんて俺は思っていない。俺を呪うやつなんて都にはいくらでもいる。平民の中でも俺の噂は流れているのだから。
「あの方はあの見た目こそ生まれつきですが、お生まれになった頃から血を欲することはなかったようなのです」
数え七歳以前の記憶なんてもうおぼろげで覚えてないことが多い。
「私もあの方が元服なさってから仕えるようになりましたのではっきりとした原因は存じませんが……おや」
礼羅に何があった?
「ようやく眠りましたか」
きぃ、と妻戸も開いた。やっと解除されたようだ。
塗籠から出て几帳の裏を覗けば惟也が毛皮の上で眠る礼羅に上掛けをかけており、残月がそれを見ていた。
「……勝手に閉じ込めるな」
「そう言われて貴方様は応じましたか?」
噛みついてからの記憶がないのだ。応じたかと言われればそうではないが。
「……そう思うなら何故彼女をここに入れた」
礼羅の血は正直言って今まで啜ってきた獣や人の血よりも美味かった。
いや味はよく知ったものだけど、今まで満たされなかった乾きがようやく満たされた気分だった。今思えば依存性の薬物を服用したらこんな感じだろう。
「貴方様のお部屋に入れたことは謝りましょう。ですがこの娘は半妖です。血だけでなく妖力を吸われた妖がどうなるか貴方様もご存知でしょう。もしかしたら先ほどの貴方様のように手負いの獣になることもあります故……」
そうかもしれないけどその時は俺の妖力、いや、それだといたちごっこだ。
「それとも、また先のように理性を失い、この娘を殺めてしまうことが怖いですか?」
「……」
残月は愉悦の笑みを浮かべる。
「嵐山殿の顔色も戻っておりますし、少し、私の見解をよろしいでしょうか?」
「……言ってみろ」
だめだ。気を鎮めろ、陽光。
守らばや。さ思ひつつ侍へど、我が心地なぞ知るまじからむ




