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8-2.礼羅


 私と惟也が共に御簾を上げると残月が潜り、塗籠の中にある寝所に残月が陽光を寝かせる様子を御簾越しに眺めていた。

 私は「その格好で部屋に上がらないで下さい」と惟也に咎められてしまっていたので、泣く泣く部屋の側にある局の中で袿に着替えることになった。(後で気付いたけれど襟元に血が染みついてしまっていた)

 麻杜が私が昼前に着ていた衣を一式持ってきたのだ。


「……さっきはごめんなさい」


 着替える手伝いをしてもらうついでに謝られた。私は声をかけない代わりに頭を撫でてやる。なんだ、可愛い所あるじゃない。


 陽光の部屋に灯りがあるおかげで御簾の向こうはよく見えた。中は前の主と比べると非常に質素だ。清貧もここまで来るとからからと壊れた桶が転がる音がしそうだ。

 上をよく見れば壁に護符が張られていた。本人の手製だろうか。


 着替え終えて部屋に入ると残月に声をかけられた。


「そちらに来て座りなさい」

「……血を抜かれてしまったのです。すぐに意識が遠のいてしまうでしょう」


 着替えている最中に立ち眩みが強く、意識が遠のきそうになった。立っていられてなくて途中座った状態で着替えたくらいだ。


「警戒せずとも取って食いはしませんよ?」


 毒蛇の目をして何を言っているの。


「お二人のご迷惑になる前にお休みさせてください」

「我儘ですねぇ」


 何がわがままだ。私はいわば被害者だ!


「有明の君。そこまでに。血を抜かれた時の症状には心当たりがございます。夜半、几帳を出します故。横になって構いませんから」


 惟也がなだめる。この部屋は広いのによく声が響く。


「……はい」


 ちらりと残月の方を見ると彼は妻戸に結界をかけていた。まさか本気で閉じ込めるつもりだろうか。


「これで式神の繋がりも一時だけ切れます」


 なんてことをしやがる。


「嵐山殿は先ほど大量の血を吸ったのです。互いを繋ぐ糸が太くなると意識までもが繋がると言いますからねぇ。意図せずとも視界が共有されたり、思考が読まれるのはいい気分ではないでしょう」


 晴明の式神のようなものだろうか。しかし思想が読まれるのはよろしくない。惟也は途端に驚いて戸を開けようとしたり叩いているようだけど本当に大丈夫なのだろうか。

 几帳の内側に入ると、畳の代わりに毛皮が敷かれていた。これ熊の毛皮だ。触れてみると手入れがされているようで肌触りも滑らかだった。下手したら畳より寝心地が良いかもしれない。


「主様が目覚める頃合いは?」


 几帳越しに見える残月は持ち歩いている檜扇を閉じている。


「……四半刻ほどかと」


 その間はなんだ。本当に解除する気があるのか。


「侍従殿も手が離せませんからねぇ。忘れる前にお前から聞いておきましょう。先ほどは何があったのです」


 その侍従様は妻戸の前で侍っているのだけれど。

 私はぽつぽつと水汲みをしに外に出た辺りから残月が陽光を止めるまでを説明した。


「おおよそ合いますね。別にお前を疑っているわけではないのですよ……まず、なぜ私がまたこの屋敷に来たのかと言えば、天文博士殿から式神による文が届きましてね。その内容からあの方はそろそろ限界かと思ったからです」


 事実だとしても事実なのかどうか怪しい所だ。

 しかし残月と晴明か。面倒そうな組み合わせだ。


「失望しましたか?」

「失望……」


 誰に対してかは分かる。だけど真っ先に出たのは「分からない」という言葉だった。

 出会って数日。夜に会うことはあっても取り留めもない話をするだけで陽光は、自分に仕える人のことは話しても自分のことを話すことはない。全て人伝に聞いた話ばかりだ。

 妻だの妃だの愛人だのそういうふうに言われるのは本当に勘弁してほしかった。だからはっきりするために話をしようと思っていたのにその機会もないままこの状況まで来てしまった。

 残月は重ねて私に問いかける。


「良い従者とは良い主が居てこそでしょう。今後お前があの方以外の者を選択することは出来なくとも何か思う所があるのでは?」


 今、私の体は陽光の魔力によって生かされている。傷は癒えても減らされた血の量は変わらない。ここは半魔である私の『人』の部分だろう。


「……私は生きる為、彼に従うことを選びました。それ以上でもそれ以外の感情もございません」

「心無い言葉を告げられて『悔しくないの?』と言ったのに?」


 睨めば「冗談ですよ」とのらりくらりと避けられる。晴明め。余計なことを言ったな。


 いつの間にかいなくなっていた麻杜が何かを持って御簾の前に無言で座った。惟也がそれに気付いて麻杜からそれを受け取ると私と残月に湯呑を渡す。


「……白湯です」


 残月だけでなく私にも良いのだろうか。すると惟也が促した。


「血を多く失われたでしょう。せめて何か口にした方がいい」

「あ、ありがとうございます……」


 口にすれば程よい温さが体に染み渡る。惟也の腕の包帯や慣れた手つき、麻杜や水丸達の反応や態度。そして何か知ったかぶりな残月。


「……主様が血を欲するは初めてではないのですね」


 それでも状況は知っておきたい。

 あの時、彼らの口ぶりからして前からあったはずだ。そして惟也のように自ら敢えて陽光に血を差し出していたのだろう。


「私とこの屋敷に勤める者は身分問わず皆知っています。あの方が人を避けるのは魔物のような一面を多くの者から知られないようにするためでしょうねぇ」


 晴明が知らないのは意外だった。それに。


「帝は知らないのですか?」


 残月はお目付け役だ。帝に報告義務があるだろうに。

 白湯を飲んでいたら体が温まる。


「知っていたらあの方を東宮にするのは諦めたでしょう。今、成人している親王は宮様おひとりだけですから」


 東宮!?

 几帳の向こうでも惟也も動揺したのか物音がした。


「おや知らなかったのですか。ならば侍従殿も含めここだけの話に……それに私も、今の立場に甘んじているわけではないのですよ。今こうして神職をしているのも、私を猶子にした義父が神祇の大副(おおきすけ)だからですよ」


 つまり昇進したいから陽光に仕えていると。これ几帳の奥で惟也も聞いているはずだけど話していいのだろうか。


「主様は臣籍降下したいと聞いてますが……?」

「それでも品位(ほんい)か官位(かんい)の違いでしょう?親王に仕えた数少ない従者というだけで箔が付くというものですよ」


 そういうものだろうか。


「それに、血を求めるようになったのは生まれつきでないようですから、どこかに治る手立てがあるはずです。だから私もここだけの話にしているのですよ。あの方は今回を除けばまだ理性がありましたからねぇ」


 残月の説明が右から左に流れていく。

 白湯で体が温まったのもあって、うとうとと睡魔がやってくる。もう限界だ。


「あの方はあの見た目こそ生まれつきですが、お生まれになった頃から血を欲することはなかったようなのです。私もあの方が元服なさってから仕えるようになりましたのではっきりとした原因は存じませんが……おや」


 陽光と帝の距離が遠いのもそういうことがあるからだろうか。彼が一体どれほど苦悩していたのかは私には想像がつかない。

 明日しっかり陽光と話をしよう。私の気持ちもしっかり伝えよう。

 それでそんなくだらないことで悩んでいたのかって笑い飛ばすのだ。


「ようやく眠りましたか。……いい夢を。レ(・)リ(・)エ(・)ル(・)」


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