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7-4.礼羅


「侍従様ー!?」


 童女が惟也を揺らす。陽光も失神しかねないから気をつけろとか言ってたけど、名前呼んだだけで本当に気を失うなんて思わなかった。

 他の下人か御簾の向こうから視線を感じた。


「おまえ何をしたのですか!?」


 疑うだけじゃなくお前呼ばわりか。


「名を呼んだだけです」

「うそだ!」


 狐じゃないと言ったくせに私が何か術でもかけたと勘違いしてるらしい。この童女、最初は可愛く見えたけどここまで来ると面倒だ。

 それに惟也もまさか名を呼ばれて魂を抜かれるとでも思ったのだろうか。え、本当に?


「それよりも、この方を介抱出来る人はいるの?主様を呼んだ方がいいのではなくて?」


 童女がはっとすると御簾の向こうから「呼んでくる!」と子供の声と共にバタバタと走る子供の足音がした。盗み聞きしていた下人らだろう。

 そっと膝立ちで惟也の所に近寄よろうとするけどそれを童女が両手を広げて私の行く手を阻む。


「何をする気ですか?」

「脈くらい測らせなさいな。死んでいたらどうするの。それともアンタに医術の心得でもあるの?」


 うっ、と呻く。でもこの娘は譲らない。本当に信用がないらしい。私も医者じゃないから脈を測っても遅いか早いかくらいしか分からないけど。

 でも惟也をよく見ると呼吸で胸が上下している。死んではいないらしい。

 童女もちらりと後ろを振り向こうとするけど私と惟也どちらを見るかで迷っている。


「童女!旦那様連れてきた!」


 角髪(みずら)の少年が陽光を連れてくるとすぐに御簾を潜り陽光を通した。


「やっぱり倒れたか……」


 陽光と角髪の少年が自らの手で惟也の体勢を変える。童女は陽光の袖を引いて訴えた。


「旦那様!この者が悪いのです!この者が侍従様を倒れさせたのです!!」


 もう片方の手で私を指さす。私のせいにしないでよ。


「術でもかけたか?」


 陽光は私のせいとは思ってないようだけど、一応聞いてくる。


「いいえ。貴方様から聞いた名を呼んだだけです」

「……童女、惟也は女性に耐性がないんだ。渾名(あだな)でも呼ばれさえすれば緊張でこうなる。呼ぶならせめて侍従だ」


 もはやそれは役職じゃないの。


「女性でしたら私も女です!」

「お前は子供だろう。それに、どうせ今の礼羅を平民と同列に扱えなかったんだろ」


 嘘でしょう。本当に名前を呼んだだけで気を失うなんて。

 陽光は童女に淡々と答えていく。


「それに仮に夜半が彼を脅したとして、コイツになんの利益があるんだ?」

「そ、それは……」


 この主、子供に対しても容赦ない。

 でも狐だけでなく妖は大抵自分に利益がなくても楽しければ色々お遊び感覚でいたずらでもなんでもするからその質問は正直意味がない。


「なんとまぁ面白、いえ、お労しいことですねぇ」


 御簾の向こうから猫撫で声の男の声が聞こえた。先程言っていた陽光の客だろう。

 御簾越しに見えるのは影と口元を隠しているらしい扇くらいだけど雰囲気からしてなんだか胡散臭い。


「残月、部屋で待ってろと言っただろ」

「本来惟也殿の様子を見に来たのに、当の本人がまた倒れでもしたら気になりますよ」


 陽光の正体を知った私はその晩北の方から色々教えてもらった。陽光に仕える人は二人いるらしく、一人は倒れてる惟也、もう一人が残月、もとい有明の君と呼ばれる神祇官だ。御簾の向こうにいるその人のことだろう。

 だけど神祇官の方は従者というよりお目付け役と呼ぶ方が正しく、定期的に様子を見に来ては彼に礼儀作法や内裏のことなどを教えているのだそうだ。晴明が陰陽師としての師匠なら、残月は貴族としての師匠(せんせい)と言ったところだろうか。


 今回主が居ないはずの屋敷に来たのも同じ主に仕える者同士の交流もあるからだろう。


「――はっ!?旦那様!?私は一体……?」


 気を失ったついでに記憶も失ったらしい。


「夜半に名前を呼ばれて気を失ったらしいぞ」

「……!」

「おいこら気をしっかり持て!」


 ある意味すごい。よく陽光もこの者を見捨てずにいるものだ。


「惟也殿のそれは元の性格もあるでしょうが彼女の妖気が原因でしょう。はっきりとは見えずとも感じるものがあったのでは?」


 神祇官が御簾を潜るとその顔がはっきりと露になる。

 面長で切れ長の釣り目には紅が引かれており、眉は墨でも引いたのかと思うくらい真っ直ぐだ。そしてその柔い手つきや振る舞いのせいか男なのに妖艶さを感じる。

 だけど扇の隙間からちらりと見えた横顔は口角が吊り上がっており、性格が悪そうだ。

 そしていつの間にか童女や少年がいなくなっており、私はこの場から避ける頃合いを逃してしまっている。神祇官は扇越しに私を見て目を細めた。去れと言いたいのだろう。


「ではわたくしはこれで……」

「満月の時はみすぼらしかったですが大分見違えましたね」

「え……?」


 猫撫で声ではない淡々とした声でいうものだから一瞬たじろいでしまう。


「知らないのも無理ないでしょう。お前が瘴気を吸い込んでいる最中、私は後ろから様子を見ていたのですから」


 それは気付かなかった。私も修行が足りない。


「おっと、申し遅れました。残月または有明と呼ばれてます」


 自己紹介されるとは思わなかった。

 下賤の身分で挨拶していいものかと思いちらりと陽光を見た。今朝の陽光は昨日の不機嫌から戻ったように見えたけれど、また眉間に皺が寄っている。


「……天文博士様から夜半(よわ)の名をいただきました」


 流石に忌み名を名乗るつもりはなかった。


「妖力もお前なら抑えることが出来るでしょう。去らなくて結構ですよ」


 いつの間にか陽光も残月も私を含めて輪になって座っている。これでは私も逃げ場がないではないの!


「あの時は冷やかしに来たの間違いだろう」

「おや心外ですねぇ。私も悪霊を祓ったのに」


 居心地が悪い。惟也に視線をやっても彼は完全に従者として徹しているようで、茶器の準備をしに部屋から去ってしまった。本当は私の役目ではないのだろうか。


「それで、しばらく天文博士殿の屋敷で休まれていたのに突然ここにお戻りになられた理由をお聞きしても?」

「なんでもいいだろ」

「この屋敷では物は足りないでしょう。天文博士殿の屋敷より不便ではございませんかねぇ?」

「清貧だ。贅沢しないだけマシだろう」


 確かに陽光ケチくさそう。


「だからといって狩衣を着ないのはまだしも、僧侶のような恰好をするのはいささか俗世から離れ過ぎると思いますがねぇ……」

「そっちの方が涼しいし動きやすいんだ」


 陽光は屋敷に来てから黒衣の恰好だった。動きやすそうだしそちらの方が馴染みやすいのかもしれない。

 そういえば惟也も狩衣を脱いだ軽装だ。私もこの裾を引きずる格好はいい加減辛い。惟也が下人用の衣を用意してくれたと言っていたけれど、早く着替えられないだろうか。


「それで、この屋敷に先触れもなく戻ったということは天文博士殿にも見せたくないことでもございましょうかねぇ?」


 猫なで声で聞いてくる。

 陽光の顔はいつも通り人形のように動かない。だけど黙るということは図星だろうか。

 だけどその姿はお婆の弟子の子狐がいたずらをした時お婆の前で正座させられている時のようだ。

 私はそんな誰かに後ろめたいことなんて考えたことはない。たとえお婆に隠れてお酒を作っていた頃「礼羅、このお婆に何か隠し事あらへん?」と食事中に言われてもそんな顔をしなかったはずだ。ちなみに作ったお酒は全部お婆の物になった。


「礼羅」

「は、はい?」


 突然の名指しに思わず私の背も伸びる。


「……魔力を扱う術を教えて欲しい」


 これまたとんでもない要望だった。


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