5-7.陽光
読経も祝詞も真面目に聞いていると頭の中で他の歌と混ざって別の歌が上書きされる。
「御禊祓へ給ひし時に生り坐せる祓戸の大神等――」
――くおにゃ こふらまて えすと するぱ のす みぜりこーでりあ えいごーりあ えと べりたす
聞きたくないウタが迫ってくる。
気にすれば気にするほど俺の中でそのウタが大きくなる。
だけど背中からじんわりと何かが流し込まれた。
そして今俺は礼羅に背中を取られている状態に冷汗が流れる。
(まずい、油断した――)
するりと背を撫でられながら体温とは違う何かが俺の中に入り込んでくる。
今すぐにこの場から逃げるべきなのに俺は情けなくも動けなくなっていた。
(陰陽頭が見ているけれど私は何も悪いことはしてないわよ……後ろめたいことも何もしてないわよ……)
頭の中に誰かの声が響く。
(弱みを見つけたら今度からかってやるなんて思ってないんだからね)
この声は礼羅か!?そんで俺に何の恨みが……いやなくはないけど。
(やっぱり魔力が乱れてるじゃない……)
そして気付かれてた。やっぱり本能でそういうのが分かるのだろうか。
(魔力も妖力と同じなら一気に出したら倒れるかもってお婆が言ってたし、主人に死なれちゃ困るからね……はい、息を吸って……吐いて……吸って……吐いて……そう、そのまま続けて……)
自然と俺は礼羅の言う通りに身が動いていた。それに合わせて礼羅から流れ込んできた魔力が導くように俺の中にある魔力がゆっくりと巡るのを感じる。
(これが魔力か……)
初めて補助輪を取った自転車に乗る際に支えられるように礼羅のサポートで徐々に自分でも流れが掴めるようになる。
魔力を繋げることで礼羅の感情が読めたということは今は礼羅の心を読み放題じゃないだろうか。
だけどすぐにぱっと手を離された。ちらりと後ろを見ると手をすぐに引く礼羅が何事もなくすっと後ろに引く。
「――恐み恐み白す――」
椿の君の祝詞も終わる。この場にあるのは弓の音だけ。
彼女を問い詰めるのは後だ。魔力を与えた相手から一歩離れ俺は十字架を見せた。
「汝の名を示せ」
誰も答えない。
便宜上『諱抜き』と呼んでいるが、これは見た目こそ西の悪魔祓いのようで、使っている力は魔力ではなく呪力だ。
(本当に礼羅は効きやすかったんだな……)
その時は衰弱していたから出来たのだろうけど、今回は上手くいくか分からない。
魔力には魔力を込めた方がいいのかもしれない。試したことがないし無茶だとは分かっているが今度は魔力を込めてみる。
――どみに まね いん あてのま ぐろりあ ぱとり え ふりお え すぴり さんと
やめろそれは本当の神じゃない。
「主の名のもとに汝の名を示せ!」
語気が強まる。
すると今度は縛られた者ら全員が一斉に嗤い始めた。陰陽頭がその場で護符を取り出すが俺は手で制する。
柱に括り付けられている者の一人が口を開いた。
『ケヒヒッ、美味い魔力だと思ったら同胞がいるなんて思わなかったナァ』
「!?」
驚いて十字架を落としそうになる。
食い気味に前に出てくる礼羅を抑えて俺は警戒する。
『思ってもない癖に、十字架だけで祓えると思ったかァ?』
まさか同調……いや心を読まれたか!?
『俺様を見くびっているのか……ギャッ!?なんだこの水はァッ!?』
「ならさっさと名を示し立ち去れ」
荒げてはいけない。冷静になれ。相手は悪魔だ。惑わされてはいけない。
『ケヒッ。どうしてやるかねェ?――ッて水をかけるナァ!』
この水も本物の聖水には至らない。
礼羅は大分トラウマになっているようだが、この水は周囲を浄化できるだけで妖や悪魔を完全に消滅させることはできない。
「汝の名を示せ」
『なら、そこの弓の娘を寄越セェ。面白い体質をしてるナァ?』
礼羅ではなく、椿の君か。
それに大分魔力をあげたのに俺の魔力じゃ不満か。それともぼったくろうとしてるのか。
考えているところで礼羅が前に出て面を外した。
「アンタに魔力を与えた代わりに私の父親が誰なのか教えなさい」
「おいおま――」
『ケヒッ半魔がいたのカァ!』
この悪魔、面を外した礼羅を初めて捉えた?狐面に誤魔化す術式は無かったはずだ。
ならなぜこちらを見て同胞と呼んだのか。まさか。いや、考えたくない。俺は――。
礼羅は相手の狩衣を掴んでは噛み付かん勢いで迫る。
『っグァッ!?なンだ……コレハ……!?』
礼羅の背中からうっすらと複数の尾が揺らめく。
まさか妖力が暴れているのか!?
「こら引っ込んでろ!」
「嫌よ!アンタがやると話が進まないの!喋れるくらいの魔力を上げるからさっさと答えろこの安本丹!」
だけど悪魔は笑みを解く。
『どんなものを寄越されても、俺様みてェな下っ端じゃア、あの御方の名を話すことは出来ネェ……』
「ちょっとどどういう事!?」
やはりダメだったか。
『俺様達は序列を守る。魔王様はどんなヤツにも厳しいからナァ。その代わり良いことを教えてやるヨォ。魔力を貰った代わりだァ。したら俺様は地獄に戻るとするかネェ?
ここは手前ら以外美味い魔力がねェからナァ……』
気味の悪い笑みを向ける。あっけに取られている礼羅の衣の襟を引いて距離を取った。
口ぶりからして礼羅の父親が悪魔であることは確定だ。
「おい、俺は金貨に触れた者にお前が憑依していると思っていたが、そういう【縛り】なのか?」
礼羅が魔力量を調節してくれたけど、正直消耗が激しいし、要らないとは思っていてもぼったくられるのは嫌だ。
色々聞いておかないと晴明殿に質問された時が面倒だし。
『縛リだァ?ヒヒッ。俺様らは実体が保てないから望みを聞く代わりに体を借りただけダァ。俺様達はそれを【契約】と呼ぶのさァ。
この場にいる全員みィんな金が欲しいって分かりやすい欲を持った奴らだったナァ』
だからコインを渡したのか。通貨としての価値はなさそうだが金属ならどうとでもなりそうだし。
にしても代償の事もあるしダメ元で聞いたのによく喋るな。
『じゃあナ。お前の魔力は美味かったゼェ。この場にいる奴らの魂は貰わないでやるヨォ。
あぁ、そうだそうダ。言い忘れるところだったァ。この地に昇った悪魔は俺様だけじゃねェ』
「「!?」」
悪魔が複数!?いや、驚かなくても相手が下っ端の悪魔ならそれは予想できたこと。
『ヒヒッ、どこの誰かが扉を開けたのさァ。扉はさっさと閉じないとナァ!』
「っ天主の御力によりて地獄に閉込め給え!」
一瞬だけ白銀の十字架が光った。今まで聖書の一文を唱えてもこんな事はなかったのに。しかも若干魔力が抜かれている。
悪魔の悲鳴と共に、喋っていた肉体の口から黒い靄が吐き出されていく。
「きえ、た……?」
腰を抜かした礼羅が疑心のまま呟く。
「まだだ」
まだ他の者達に瘴気が残ってる。まだ祓いは終わっていない。
これなら上手く行く気がする。
椿の君を横切り、部屋の前でその十字架を掲げた。
「『天主の彼治め給わんことを伏して願い奉る。
天軍の総帥、霊魂をそこなわんとてこの世を徘徊する悪魔を、天主の御力によりて地獄に閉込め給え。アーメン』」
前世で覚えた祈りの一文を唱えると縛られていた者達からも魔力が消えていく。
念のため近くにいる者等の首を触れてみればとくとくと脈を感じた。
「脈がある……」
「……去ったのよね?」
「多分……」
十字架を握るといつもは手袋の下は火傷するように爛れていたのに痛みを感じない。
「流石殿下。全員祓われましたたぞ」
「陰陽頭」
覆面越しでも嬉しそうなのが見て分かる。
「嵐山殿」
「椿さん!?」
陰陽頭の後ろから椿の君が現れたと思えば俺の前に跪いた。この状況を見るのは久しぶりだが面倒な予感がする。
「貴方様には確かに天の御子としての御力があります。今まで疑心になっていた非礼をお許しください」
は?天の御子?
「椿の君それは誠か!?」
陰陽頭も椿の君を問い詰める。
まさかあの詠唱を聞いて勘違いされたのか!?アレは『大天使聖ミカエルへの祈り』の一部だぞ!?
「頭を上げろ!椿の君、貴女とは今日初めて話した仲だろう。それに俺はそこまで言われるほどじゃ……」
説明して更なる誤解を生みたくない。俺も椿の君のことをよく知らないし、そもそも今回なぜ上手くいったのかも分からないのだ。
「いいえ。わたくしは慣例を言い訳に貴方のことを避けておりました。お察しかと存じますが、わたくしは旦那様だけでなく、吉平様や昌平様にも兄弟同然に顔を見せております」
二人からよく話を聞いていたからそうだろうなとは思ったよ。でも俺もあの家ではほぼ客人だ。
北の方の女房とも御簾越しでしか話したことがないから未婚の娘が顔を見せないのは普通なのでは無かろうか。
「なのに同じようにお二人を兄弟と扱う貴方様をわたくしは――」
「あーもー!気にしたところで仕方ないじゃない!主様も許しているんだからこの話は終わり!椿さんも顔を上げて頂戴」
礼羅が割り込んでこの話を止める。正直助かった。だけど顔を上げた椿の君が礼羅の面がなくなった顔を見て声を上げた。
「夜半の君!なぜ面を外しているのです!?」
礼羅はあからさまに「しまった」と顔を浮かべる。コイツは別の意味で顔を隠した方がいい気がする。
「気にしなくても今は俺たちしかいないだろう」
案内人には念のため近寄らぬよう人避けを頼んでいる。問題は無いはずだ。
けれど陰陽頭が覆面を外して困った顔を浮かべた。
「すまなんだ。結界を解いてしまった」
陰陽頭がそっと視線を向けた先を見ると、御簾があげられた妻戸の前で案内人である右中将の部下が気まずそうに立っていた。
四方の妻戸には御簾越しに覗き見する近衛府の男たちの視線を感じる。
「終わったとお声が聞こえたので……」
晴明殿が珍しく考慮してくれたことがすべて台無しになったのだった。




