5-4.礼羅
陽光曰く『中将』という役は近衛では一番上の『大将』の次に偉いらしく、本来なら陰陽頭よりも官位が高い者がなることがほとんどらしい。
右近衛府では捕らえられた者が柱に縛られており、呻き声がそこら中に響く。
右中将の部下が手ずから案内してくれたけれど、その部屋には瘴気が充満していた。
「これは酷い……」
室内に入ろうとしたら陰陽頭がそれを止めた。
「様子を見よう。君たちはそこで待っておれ」
「いやここは私が」
「ほっほ。老い耄れの出番を取ってくれるな」
晴明と全然違う。そう思ったら陽光から手刀をくらった。地味に痛いじゃないの!
「陰陽頭、結界を張ったら妻戸を全て開けましょう。空気が淀んで息が出来なくなります」
「殿下はお優しいですな……かしこまりました」
陰陽頭が頭を下げると様子を見に行くついでに自らの手で結界を瞬時に張った。
妻戸を開けると少しだけ熱気が当たる。確かにこれは暑い。
試しに手を入れるとその場から引っこ抜くことが出来なくなった。入ることは出来るけど抜けることが出来ない結界か。
え、これどうやったら抜けるの?先に結界に入ってろ?終わるまで出られないじゃないの!
「暴れる者の中には食らう勢いで噛み付いて来た者もおりました。これでは本当に鬼のようだ」
腕をさする案内人からは薄っすらと血の臭いがする。陽光が椿に目配せをする。
「……椿の君」
「かしこまりました」
二人を見てると本当の主従のようだ。私もそう振舞った方がいいのだろうか。いや、やっぱ無理だ。
男が腕を出すと傷口に巻かれた布が紅くにじんでいる。椿がその布を取り出し懐から竹筒を取り出すと、その傷口が剥き出しになった腕にこぼしながら歌を歌いはじめた。
「祓へ給ひ、清め給へ、神ながら守り給ひ、幸へ給へ」
水は聖水だった。傷口に水が染みるだろうに男は顔をしかめるでもなく無言でそれを見届ける。するとみるみるうちに邪気が消えていった。
椿は自分の懐紙で腕を拭うと綺麗な布で傷口を手当した。
「布は毎日綺麗なモノに取り換えてください。傷は深くないので数日したらかさぶたが出来ると思いますが」
男はしばらく手当し直した己の傷を眺めていた。
「……流石ですね。歌の才があったら貴女に一首捧げたいくらいだ」
「恐れ入ります。嵐山殿の作った聖水のおかげです」
椿は至極冷静に返答する。だけど覆面の横から見える耳は赤い。
それに対して陽光はこの場に来てから何処かよそよそしい。覆面の下で口に手を当てたりしている。
「いかがなされましたか?」
人前なのでかしこまった口調で陽光に問う。
「いいや……大丈夫だ」
覆面で顔が見えないけどなんだか陽光の様子がおかしい。
「何かあれば魔力は存分に使え」
「それは構いませんが……」
本当に大丈夫だろうか。
捕らえられた者がいる場所は護摩焚の臭いが充満している。これは悪霊でなくても気分が悪くなりそうだ。
「むしろお前は平気なのか?」
「化かす必要がなければ問題ごさいませんわ」
それよりも悪魔と対話を試みれるかもしれないのだ。私の頭の中はそれでいっぱいになっていた。
陽光は懐から竹筒を取り出すと聖水で手を濡らす。
小声で何か呟くとと白い手袋をはめては首から下げていた十字架を握る。その様子は何かに縋っているようだ。
先に捕らえられていた者を見ていた陰陽頭がこちらに戻って来た。
「普通の憑き物とは少し違うの」
「夜半。見てみろ」
「……かしこまりました」
魔力が吸われれば間違いなく悪魔の仕業だろう。
縛られている者の中で近くにいた者の頭に手を当ててみると何もせずとも魔力が吸われた。
「西の魔物で間違いありません」
その場で答えれば事情を知る陰陽頭も頷く。
「嵐山殿。お願いできますか」
「やってみます」
いつの間にか私の後ろにいた陽光は首から下げていた十字架を数珠のように手首に巻く。
「夜半、全員の口の布を解いて後ろに下がれ。椿の君は弓の準備を」
「えぇ」
「かしこまりました」
言われた通り私は縛られていた者たちの口の布を解いていく。
陰陽頭は妻戸の前に立っていた。瘴気をこの部屋から漏れないよう封じてくれているそうだ。案内していた者は部屋の外で待つことになった。
「■■■■■■―――!!」
布を外せば咆哮のような叫び声が響く。これは夜の蛙の泣き声よりもうるさい。
全員の口を解放すると私は陽光の斜め後ろに控える。
椿は動じず中央に立つと弓を構えると矢をつがえず指で弓を弾いた。びんと鳴る音で空気が揺らぎ、もう一度鳴らすとそこから邪気が弾かれるように澄んでいく。
「掛けまくも畏き伊邪那岐大神、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に――」
椿が歌うように祝詞を唱えながら弓を弾く。これだけでも何かの演舞に見える。
(……琵琶の音色みたい)
だけど弓の音は一定だからその分もの悲し気に聞こえる。
陽光は胸の前で手を動かし、一人の男に手を伸ばした。自分の魔力を流しているのだろうか。
だけど悪魔を呼び起こすだけにしては流す魔力の量が多すぎる。
そういえば私と契約した時も私がごっそり貰っても拒絶反応が無かった。あの時は煎餅もくれたから寛容だなと思っていたけれどまさか。
(魔力の制御ができない?)
妖力は妖にしかないように、魔力も悪魔と使える者もごく限られた者しかいない。お婆は人間なら西の巫女や呪術師ぐらいしか魔力を持たないらしいと言っていた。
師匠である晴明は半妖だけど魔力を持たないのだ。扱い方も自分で試行錯誤するしかないだろう。
彼の背中に手を当てる。お節介かもしれないけれど主を死なせるよりかはマシだろう。
陰陽頭がこちらを見ているけれど私は悪いことはしてない。後ろめたいことはしてない。
(やっぱり魔力が乱れてるじゃない……)
ざわざわと何かに怯えているような、彷徨える冷たい人魂のようだ。心なしか呼吸も乱れている。
赤子が母親の心臓の音で安らぐように、同調し互いの感情に触れ合うことで落ち着かせる。
徐々に互いの呼吸が合わさり、魔力の流れが均一になる。
『恨みなさい、そして忘れなさい。これは誰にも教えてはいけないよ?』
「!?」
途端に何かに弾かれる。
手を離したので陽光がこちらを見たけど私は素知らぬふりをする。
すると目の前で呻いていた者たちが一斉にその場で気を失った。




