花の宴
穏やかな春の日は暖かくて眠気を誘う。
城の外では穏やかでない日常も、この城の中はうわべだけでも最近は平和が続いている。それはたぶん静かだったこの城の中で、幼子たちの声が響いているからかもしれない。
一番年嵩なのは信長の年の離れた妹のお市。のちに絶世の美女と謳われた彼女は子供の時から目を引く容姿だった。だが子供の時はその容姿よりも兄譲りなのか、聡明で勝ち気、男子でも負けぬほどの腕白さも備えていた。
彼女のあとを追いかけて遊んでいるのが、信長が外で生ませた、長男の奇妙丸。以下、三人の男子。そして乳母が抱いているのは先年生まれた初の女児。
帰蝶に子育てを押しつけてからの信長は実にまめに子供を作った。帰蝶は側室の人数を数えるような馬鹿なまねはとうにやめてしまった。
最初の一人、二人は気になって仕方がなかった。どこそこの御寮人だとか、侍女も片っ端から手をつけて、帰蝶の侍女にまで手を出したときは、あやめが血相を変えて信長を問いつめたこともあった。
けれど、そのころには帰蝶はもう何も言わなくなっていた。あやめがあの信長に向かって、自分の命のことも顧みずに怒ってくれたのは嬉しかったが、帰蝶には信長の気持ちがわかってしまったのだ。
信長は確かに手当たり次第だった。
おかげで生まれてくる子供は、一年のうちにだぶって生まれたりするために、気をつけていないと兄弟の順序まで記憶違いをしそうになる。
信長自身はそんなことは頓着する人間ではないから、帰蝶がしっかり把握していなければ母親たちにも不満や混乱が起きてしまう。それくらい信長の行動はめちゃくちゃだった。
そして帰蝶は知る。
信長の真意を。
信長は言葉通りに自分の手駒を増やしたいだけなのだ。子供を作ると言ったら、ひたすら作る。まるで領土を広げる作業と同じように、仕事のように。
結局そういうことなのだ。
信長にとっての子作りはそういう意味でしかない。そして手当たり次第に女に手を出すと言うことは、一人の女に執心しているわけでもない。子供を作る道具だと言い切ってしまえば、あまりに女たちに悪いが、でも信長の中ではそういうことなのだろう。それは帰蝶に対しての信長の気持ちなのかもしれない。
女たちを愛しているわけではない。けれど子供は必要だ。そこには信長の淡々とした計画と打算がある。
帰蝶は信長の愛を疑ったことはない。自分を愛してくれているのはわかる。けれど気持ちは別問題だ。疑ってはいないが、寂しいとは思っている。
そして男として戦場に出るわけでもなく、女のように子供を欲しがる信長にそれを与えることもできない自分に情けなさと悔しさを感じている。だがそこで嘆いていては本当に自分の価値を見失ってしまう。
帰蝶は美濃の斎藤道三の子供。そして尾張の織田信長の御台所、正妻だ。信長が子供たちを頼むと言うからには、この子供たちを育てることに力を注ぐ。
それにしても……
「この私が、母親の代わりなんか務まるんだろうか?」
素朴な疑問がよぎる。
だが、父親なら務まるのかと言われれば、そうではない。なにしろ、いきなり親になれと言われても、帰蝶には初めての経験で、しかも自分の子供ではない。自分の子供ではないが、信長の子供ではある。かろうじてそのことを心に留めて子供たちを養育している。
お市は例の騒ぎの時は末森城に居たのだが、信行があのようになり、母親の土田御前も今では気落ちしたまま日常生活も困難な有様だった。
そんな事情もあり、信長と帰蝶がこの城に引き取った。いずれはどこかの領主へ嫁がなければならない。帰蝶がそうであったように、お市にもその未来には容易ではない事が待っている。帰蝶は無邪気な姫を見ながら憂鬱にならざるを得なかった。
しかしそんなことも言ってられずに、お市にも姫としての教育をしなければならない。
だが当の姫は、
「私はお兄様と一緒に戦がしたいの」
「お市殿……」
「義姉上はそう思ったことはないの?」
「え、まぁ……」
帰蝶は答えようもなくなってしまう。
「義姉上は乗馬もお上手で、長刀も師範なみとお聞きしました。剣術もお出来になるのでしょう?」
この小さな姫はどこでそんな話を聞いてくるのやら、結構いろんな事を知っていた。帰蝶も嫁に来た頃はおとなしくしていたのだが、ここ数年は表向きはともかく、この奥では退屈すると剣や長刀の稽古をしていた。
相手は信長の子飼いの小姓たちがしてくれる。相手によっては帰蝶の方が上手いくらいだった。
「いつも兄上がお留守でつまらなくはないの?」
お市に問いかけられて帰蝶は苦笑してしまう。
「退屈も何も、戦は男がするもの。女が行くものではありません」
「ふ~ん」
つまらなそうにお市が返事をする。
「じゃぁなぜ義姉上は稽古をなさるの?」
これには帰蝶も返事に詰まった。実際、自分でも何をやっているのかと思うときがあるからだ。自分が戦で戦うときは一生来ないだろう。なのに、なぜ自分は鍛錬するのか。
「退屈しのぎ……かなぁ……」
答えは独り言のようになってしまった。お市はそんな帰蝶を小首を傾げて見つめていたが、
「あ、猿っ!」
入ってきた藤吉郎を見つけて叫んだ。
「姫様、ご機嫌はいかがですか?」
人の良さそうな顔に笑顔を浮かべて藤吉郎はお市を抱き上げた。
「また面白い話をして」
お市は諸国を回った藤吉郎の話が面白いらしい。
「はいはい」
そう言いながら藤吉郎は、
「奥はにぎやかですな。信長様はあっという間に子だくさんになられた」
「人の気も知らずに作るだけ作って、自分は知らん顔だ。まったく……」
今では奥の事情にも詳しく、遠慮のいらなくなった藤吉郎に帰蝶も遠慮なく愚痴を言った。
「ですが、羨ましい。うちはなかなか子供が出来ません」
「そうか……こればっかりは授かり物だからな。だが、藤吉郎」
「はい?」
「おまえは殿とは違う、外に女など作ったらねねに愛想を尽かされるぞ」
藤吉郎の妻、ねねはしっかり者で気立てが良かった。信長と帰蝶の気に入りでもあったのだ。
「わかってますよ、奥方様も最近人が悪くなりましたね」
藤吉郎が皮肉を言うと、
「いい加減、愚痴のひとつ、嫌みのひとつも誰かに言いたくなるぞ」
「そうですね……」
そう言った藤吉郎は思いついたように帰蝶の耳元で何か囁いた。
「いかがです?」
そう言って笑った藤吉郎に
「そうだな……」
帰蝶も何か考えるように答えた。
その日、信長は城の庭で花見をするという帰蝶に呼ばれて奥まで来た。最近は忙しさに城を空けることも多く、帰蝶に対して少々後ろめたい信長であった。
気づけば桜の花が満開になり花見には絶好であった。
たまには帰蝶の機嫌をとろうと思いながら出向いたのだが、見事な桜の下にいる面々を見てさすがの信長も固まった。
そこにはずらーっと見知った顔が並んでいたのだ。帰蝶とせいぜいが奥向きの侍女だけだと思っていた信長は帰蝶の代理で呼びに来た藤吉郎を代わりに睨んだ。
「猿、なんだこれは」
「奥方様の配慮により、皆が宴に呼ばれました」
「そんなものは見ればわかるわ。なんで呼んだ」
「なんで……と申されましても……奥方様が……」
「もうよいっ!」
半ばやけくそになりながら逃げるわけにも行かず、信長は帰蝶の隣に座った。なるべく周りは見ないようにする。居心地が悪くて仕方がない。
「殿……」
「なんだ」
帰蝶の顔を見るのも癪でまっすぐ前を向いたまま答える。
「そのような怖い顔で、怒っているのですか」
「怒ってなどおらん。なぜ私が怒るのだ」
「ならばそんな怖い顔はお止めなされませ。幼い子らが怖がります。ほら、これが先だって生まれた姫です。お顔をごらんになるのは初めてではありませんか」
乳母の手から姫を受け取り信長に見せるように抱いた。信長はそれをちらっと横目に見て、すぐにまた前を向いてしまう。
「殿……」
「もう良いっ」
「殿ったら」
「帰蝶」
「はい……」
「これは何かの嫌がらせか」
「なんでしょう」
「私に対する嫌がらせか、と聞いておる」
「何をおっしゃるのですか?こうやって皆が幸せに暮らしていられるのはみんな殿のおかげ。みんな殿に感謝しています。でも皆はお忙しい殿になかなかあえませぬゆえ、今日の花見を楽しみにしておりました、のう……」
帰蝶が問いかけると、そこに集まっていたみんなが一斉に信長に向かって頭を下げた。
そこにいたのは信長が手をつけた側室が十人ばかりと、帰蝶、お市にそれぞれの侍女、そして信長が女たちに生ませた子供らとその乳母たち。ずらっと五十人ほど、しかも女ばかりが揃っていた。
姫を見せたときに信長が怯んだように、信長は生ませておきながら姫とはまだ対面もしていなかった。もちろん生んだ側室本人にも声を掛けるどころか、会っても居ないだろう。
信長はそう言う男だった。次々女に手をつけ、子供を孕ませ産ませながら、その子供や女たちには情らしいものはまったく掛けなかった。
掛けたらかけたで淋しい思いをするのは帰蝶だが、自分がその女たちの立場だったらと思うとそれはそれで心が痛かった。そのために帰蝶は普段から女たちに諍いがないよう、なるべく不満に思わないようにと、心を配っていた。
信長の意志も徹底して場内には伝わっていて、信長の正室は帰蝶であり、子供達の母親は帰蝶だと言うことを徹底させていた。女たちも帰蝶を敬い、側室という立場以上に差し出た真似はしなかった。
子供の養育権は帰蝶にあり、帰蝶の教育方針で育てられた。母親たちも子供の生母という立場は保証したが、余計な口は挟めないようになっている。けれど、それを不満に思うものは居なかった。
それだけ帰蝶の徹底した、教育方針は子供はもちろん、女たちにも向けられていた。帰蝶のそんな日ごろの努力を尻目に、信長はその件に関してはやりたい放題で放りっぱなしだった。帰蝶はそのことが不満だったのである。
信長がそれを直せるとは思わないが、帰蝶が不満に思ってこんな事をしたのは伝わっただろう。ほんとうに居心地が悪そうで、帰蝶も少々信長が気の毒になったくらいだ。
何しろ、信長はここにいる女たちの名前を全部は言えまい。覚えては居ないのだ。女たちはそれぞれに年嵩で控えめであったり、華やかな顔立ちであったり、地味だが気の付く性質、まだ若くこれからが楽しみな女も居た。
けれどたぶん、信長はこの女たちとどこでどうして出会ったとか、どの子供の母親だとかわからないのだ。それどころか、子供たちの名前や年齢も覚えているか疑問である。
この宴は信長にお灸を据える意味もあったが、そんな風にいつも放っておかれている女たちや子供たちに信長を会わせてやる意味もあった。
帰蝶が目配せすると、藤吉郎が静かに去っていった。
たぶん、一時ほどしたら口実を設けて信長を呼びに来てくれるだろう。それまでは信長にも我慢して貰うしかない。女たちや子供たちも信長に会いたかったのだから。
「殿……今年も桜の季節が来ましたね」
「そうだな……」
信長の父が死に、平手や帰蝶の両親が死んだ。
信行が死んだのも桜の季節だった。
信長と帰蝶には桜を綺麗だと愛でるよりも辛い思い出が多すぎる。
だからなおさら、帰蝶は見たいと思ったのだ。
愛する信長と桜の花が舞う様を―――――――――――――――
-花の宴 終-
-綺譚メモ-
この話はHPで、番外編として書いたものです。
時間軸はいつとは設定してないのですが、ある程度信長の子供達が揃った時期、そして妹の市登場。
初めての女の子は五徳こと徳姫で徳川家康の長男に嫁いだ後、信長に送った手紙が元で夫が切腹、織田家に戻るという話は有名です。この件も諸説あるようで信康の切腹は徳姫とは関係ないという話もあるようですが。
市も徳も波瀾万丈な人生を送っていますが、この時代の女性は大半は似たような感じなのかも知れません。
ただ彼女らの身近な人に信長、秀吉、家康と豪華キャストが揃っていますので彼女らも必要以上にスポットライトが当たっていた感じですね。
さて、HPでの掲載はここまでになっていました。
この先の創作は現在まだ完成していないのでこのシリーズは一旦完結させて頂きます。
この先は書いていないと言うわけではないのですが、まだまとまっていないのでいずれ完成するときがあったら公開したいと思います。
ここまで読んで頂きありがとうございました。
ご要望、ご感想などありましたらお寄せください。