魔法少女システムの根幹はキサラ
「ハァッ……ハァッ……!」
迷路のような住宅街の中を、アカネは荒い息を吐きながら駆け抜けていた。
無事な右腕一本でノヴァの身体をしっかりと抱え込み駆ける。
左腕の傷口が脈打つように痛むが、立ち止まるという選択肢は彼女にはなかった。
やがて、巨大なコンクリート造りの洋館が姿を現した。
田中の拠点の一つ。重厚な鉄格子の門前には、黒服の警備員たちが数人、警戒の目を光らせている。
「お姉ちゃん、止まって!」
腕の中に抱えられたまま、ノヴァが小声で鋭く指示を出した。
彼女の千里眼は、先行して洋館内部や敷地内の警備配置を完全に把握していた。
「正面には警備員のおじさんたちが五人いるよ。でも、迂回して裏の鉄柵を越えれば、勝手口には一人しかいない!」
「分かった……っ!」
アカネは深く頷き、物音を立てないように大きく迂回した。
洋館の裏手に到着すると、ノヴァの言葉通り、高さ一メートルほどの鉄柵の向こうに勝手口があった。
アカネは鉄柵の向こうに、そっとノヴァを下ろすと、自身は鉄柵の隙間に足を掛け、身軽な動作で柵を飛び越えた。
そのまま勝手口まで走りドアを開けると、暇そうに欠伸をしている警備員が一人だけ立っていた。
警備員の男がビクッと肩を揺らして振り返る。
「なんだ、お嬢ちゃんたち? ここは私有地だぞ? 迷子な――なっ!」
男が言葉を言い終わるより早く、アカネは床を蹴って距離を詰め、男の股間、急所を目掛けて強烈な前蹴りを叩き込んだ。
「ごふっ……!!」
くぐもった悲鳴を上げ、男は白目を剥いてその場に昏倒した。
魔法が使えなくても、ナタリーから教わった体術がある。アカネは素早くノヴァを中へと招き入れた。
「キサラは地下だよ。行こう!」
ノヴァのナビゲートに従い、二人は屋敷の廊下を駆け抜け、地下へと続く薄暗い階段を降りていった。
***
地下の最奥。
重厚な扉を押し開けると、そこはワインセラーを改装したような、レンガ造りの広い部屋だった。
「……しっかり撒いたと思ったのに。よくここが分かったわね?」
部屋の中央。アンティーク調の椅子に腰掛けていたキサラが、忌々しげに目を細めて二人を見据えていた。
逃げ場のない密室。完全に追い詰めた。
だが、キサラはすぐにいつもの妖艶な笑みを取り戻し、足を組み替えた。
「でも、魔法が使えないあなたと、そのお子ちゃまに何ができるの? 私にビンタでもしてみるかしら?」
心底見下したようなキサラの煽り。
アカネが奥歯を噛み締めて一歩踏み出そうとした、その時だった。
スッ、と。
ノヴァがアカネの前に立ち塞がり、ポケットから『文房具のハサミ』を取り出した。
チャキッ。
銀色の刃を開き、キサラへと真っ直ぐに向ける。
その瞳には、子供らしからぬ、氷のように冷徹で座った光が宿っていた。
「日本って、本当に平和ですね」
ノヴァの低く平坦な呟きが、地下室に響く。
「こんな短いハサミでも……首の横に突き立てれば、人って簡単に死ぬのに」
過酷な密林の中で生き抜いてきた少女の、一切の躊躇がない本物の殺気。
その異様なプレッシャーに当てられ、キサラの余裕に満ちた顔が引きつり、ピクリと頬が痙攣した。
「チッ……! 私は泥臭い争いは専門外なのよ!」
キサラが苛立ち交じりに叫び、前に出した掌をギュッと強く握りしめた。
瞬間、キサラの掌の上に、新たな『盗心石』がポコンと現れる。
「……あっ」
ノヴァの手から、チャリンとハサミが滑り落ちた。
彼女はぽかんと口を開け、焦点の定まらない目で部屋の中をキョロキョロと見回し始めた。
「あれ……? お姉ちゃん……?」
キサラの魔法だ。アカネの魔法の経験を盗んだように、今度はノヴァの『ここへ来た目的』そのものを盗み取ったのだ。
「ノヴァ!!」
アカネは立ち尽くすノヴァの背中を強く押し、問答無用で地下室の扉の外へと押し出した。
「お姉ちゃん!?」
「そこにいて! 絶対に入ってきちゃダメ!!」
バタンッ! と重い扉を閉め、アカネは一人でキサラと対峙した。
守るべき存在を外へ逃がしたことで、アカネの目には狂気じみた決意が宿る。
魔法の制御方法は忘れた。だが、体内に膨大な魔力が残っていることだけは分かっている。
「あああああぁぁぁッ!!」
アカネは絶叫と共に、右手に残る魔力を無理やり、出鱈目に解放した。
バキバキバキィィィンッ!!!
コントロールを失った魔力は、指向性を持たずに暴走した。
部屋中に無数の鋭利な氷の刃が乱反射するように発生し、壁や床を滅茶苦茶に切り刻んでいく。
そして、今までアカネを守ってきたはずの氷が、制御を失ったことで彼女自身に牙を剥いた。
「ぐぅッ……!」
アカネの右腕に、禍々しい棘を持った氷が絡みつき、あまりの冷たさに激痛が走る。
魔法が自分自身を侵食していく恐怖。だが、アカネは止まらない。
右腕を氷塊に覆われながらも、彼女は血走った目でキサラを睨みつけ、一歩、また一歩と距離を詰めていく。
「なっ……狂ってるわ! 近寄らないでッ!」
キサラは悲鳴を上げ、ヒールを滑らせて無様に床を転がりながら後ずさった。
その拍子だった。
キサラの手にあった、先ほどノヴァから奪った『盗心石』に氷塊が直撃した。石は床へ弾き飛ばされ、パチンと乾いた音を立てて砕けた。
バンッ!!
直後、背後の扉が勢いよく開き、ノヴァが飛び込んできた。
盗心石が割れたことで、彼女の目的意識が元に戻ったのだ。
「お姉ちゃん! 危ないから魔法を止めて!!」
ノヴァは暴走する冷気の中へ飛び込み、アカネの腰に強く抱きついた。
その温もりにハッとして、アカネはギリギリのところで魔力の放出を停止させた。部屋中に飛び散った氷や、右腕に纏わりついていた氷も、元の気体に戻すだけなら今もできる。
「ハァ……ハァ……」
部屋からすべての氷が消え去り、荒い息を吐くアカネの視線の先。
壁際に追い詰められ、腰を抜かしたキサラが、ガチガチと歯を鳴らして震えていた。
キサラはノヴァの千里眼の能力を知らないため、ここまで正確に追ってくること自体が想定外だったのだろう。
「タ、タンマ! タンマよ!!」
キサラは両手を前に突き出し、プライドも何もかも捨てて叫んだ。
「降参するわ! 私の負け! 何でも話してあげるから、戦闘は終わりよ」
「……じゃあ、魔女たちの意志を元に戻しなさい。サヤの盗心石を返しなさいよ!」
アカネが鋭く問い詰めると、キサラは顔を引きつらせて首を横に振った。
「む、無理よ! 私は魔女たちの意志や記憶を盗んで『盗心石』にするだけ! 作られた魔女たちの盗心石は、全部田中が持ち歩いて管理しているのよ!」
(田中が……!)
その事実に、アカネはギリッと奥歯を噛み締めた。
だが、キサラは媚びるような笑みを浮かべ、必死に交渉を持ちかけてきた。
「ね、ねえ! 私をここから逃がしてくれるなら、あなたの『魔法の経験』の盗心石は返してあげるわ。 取引しましょう?」
唯一の武器を取り戻せる甘い誘惑。
だが、アカネは一瞥もくれずに冷たく言い放った。
「いらない。魔法がなくても、私はあんたをここで拘束する」
「なっ……馬鹿なの!? 魔法少女が魔法を捨ててどうするのよ!」
喚き散らすキサラだったが、その内心では冷ややかな計算が働いていた。
(……いいわ、勝手に強がりなさい。今はこの狭い部屋に閉じ込められているけれど、外へ出れば遠距離から二人の行動理由を奪えて混乱させられるし、この騒ぎで、上階の警備員たちが地下に降りてきても、その混乱に乗じて逃げられるはずよ)
キサラは怯えたふりを続けながら、じっと逆転の機会を窺っていた。
***
一方その頃。
意志を奪われた魔女たちが収容されている、郊外の館。
その廊下を、雷鳴の魔女・レイが焦燥に駆られた足取りで走っていた。
「くっ……ヒカリ、どこなの……!」
警備員から聞き出した情報を頼りに、魔女たちが監禁されているという部屋の並ぶ区画へとやってきた。だが、鉄扉には厳重な電子ロックが掛けられており、鍵は誰も持っていなかったのだ。
バチィィンッ!!
レイは右手に紫電を纏わせ、鉄扉の電子錠を強引にショートさせて破壊した。
重い扉をこじ開け、中へと飛び込む。
そこには、意志を奪われ、ただ虚ろな目で壁を見つめて直立している数人の魔女の姿があった。
だが、その中に妹のヒカリの姿はない。
「ここにもいない……ッ!」
すでに三カ所の部屋をこじ開けた。
しかし、強引な扉の破壊音が響き渡ったことで、館内の警備員たちが異常事態に気づき、続々と増員されて迫ってきていた。
このままでは、いずれ時間切れとなる。
「いたぞ! 魔女が反乱を起こしている!」
「麻酔銃を構えろ! 撃てッ!」
廊下の奥から、武装を整えた十数人の警備員が雪崩れ込んできた。
パシュッ、パシュッ! と、空気を切り裂いて麻酔弾が飛んでくる。
「邪魔よッ!!」
レイは両手を前に突き出し、紫電を廊下一面に放った。
バリバリバリィッ!!!
稲妻が壁や床を伝い、警備員たちを次々と感電させて無力化していく。
男たちが悲鳴を上げて崩れ落ちる中、レイは不意にクラリと眩暈を覚え、膝をつきそうになった。
「はぁっ、はぁっ……」
荒い息が漏れる。額には冷たい脂汗が滲んでいた。
休む間もなく強力な電撃を使い続けた代償。自身の魔力が、完全に底を突きかけていることにレイは気づいていた。
(このままじゃ、ヒカリを見つける前に私が倒れる……!)
焦りと疲労が、レイの冷静な思考を蝕んでいく。
麻痺して倒れる警備員たちをまたぎながら、誰も立っていない廊下の奥を見つめ、レイは思わず悪態をついた。
「もうっ! あの生意気な女たち……もっと派手に暴れて警備員をそっちに行かせなさいよ!」
ただ一人、妹のために戦い続ける雷鳴の魔女の悲痛な愚痴が、冷たいコンクリートの壁に虚しく吸い込まれていった。




