私に任せろ
地下三階。荒い息を吐きながら後退したユキが天井を見上げる。
サヤが魔法で消し飛ばし、ポッカリと穴が開いていた天井は、既に元の形状を取り戻していた。
(魔法の効果が切れた……。サヤの魔法は十五分ほど持続し、効果が切れると元の状態に戻るようね)
理不尽な魔法であっても、無限ではない。必ず法則と限界がある。
ユキが僅かな希望を見出したその時、耳元のインカムから、切迫した声が飛び込んできた。
『キサラを捕まえた!』
地上へと避難し、別働隊として動いていたアカネからの通信だった。
『キサラが白状した。サヤの心を奪って『盗心石』という石に変え、それを田中が小箱に入れて持ち歩いている! その石を壊せば、奪われた記憶が戻る!』
「田中の居場所は!?」
ユキはサヤから目を離さずに叫んだ。
『ノヴァが探してくれているけど、まだ見つかっていない。キサラは知らないの一点張り』
通信が交わされている間も、サヤは待ってくれることはない。
力強く踏み込み、ナタリーとの間合いを一瞬でゼロにしたサヤが、下段から逆袈裟に忍刀を振り上げる。
ガキィィンッ!
ナタリーは銃のフレームでその刃を受け止めて弾き飛ばす。
だが、サヤは力負けして後退するどころか、フッと陽炎のようにその場から姿を消した。
左右を見回しながら態勢を整えるナタリーに向かってユキが叫ぶ。
「後ろよ!」
背後の死角。そこに音もなく回り込んだサヤが、忍刀を持っていない方の手を、首筋へと無造作に伸ばしていた。
触れられれば、肉体ごと霧にされる。
ナタリーは自身の勘とユキの叫びを信じ、前方へと大きく前転してその凶手を避けた。
体勢を崩したナタリーを庇うように、ユキが素早く前に出る。
「こいつ、動きながらでも霧にできるぞ!」
背後から立ち上がったナタリーが叫んだ。
彼女の脳裏には、直前の攻防が焼き付いていた。
忍刀と銃で鍔迫り合いになった際、ナタリーはスペアの銃をサヤの太ももに向けて、躊躇なく引き金を引いた。
だが、銃弾が肉を穿つことはなく、霧化させて無効化してみせたのだった。
「身体に当たった銃弾は霧にしながらも、忍刀の刃からは霧にすることができなかった! だとすれば、霧にできる範囲は、身体からごく短い距離に限られているんだろ!」
ナタリーの的確な分析を聞きながら、ユキは後退しつつ左手のギミックを作動させた。
ワイヤーが射出され、床に転がる大きめのコンクリート片を引き寄せると、そのままの勢いでサヤの胸へと投げつける。
サヤは飛来する凶器を見ても、一切足を止めなかった。
ただスッと左手を前にかざすだけ。
シュウウウッ! と音を立て、コンクリート片は真っ白な霧へと変わる。
その霧を浴びながら、忍刀を横一閃に薙ぎ払った。
コンクリートを投げた直後、ユキはすでにその場から大きく横へ跳躍していたため、忍刀は空を切る。
「ええ、その可能性が高そうね! 次は拘束する方法を探さないと!」
「……魔力切れを起こす可能性はあるか?」
「無いでしょ。アカネさんたちはあんなに魔法を使っても平気だし、サヤは魔法を防御ぐらいにしか使っていないわ」
ユキの言葉に、ナタリーは奥歯を強く噛み締めた。
「無理だ! 撤退だろ!」
頭を抱え、悲痛な叫びを上げた。
元軍人としての冷静な計算が、この場に留まることの無意味さを告げている。
「分かるけど、逃げたくない!」
ユキは両手にクナイを握り直し、引きたくないと我儘を口にした。
目の前で、心を奪われた妹が涙を流しながら刃を振るっているのだ。ここで逃げれば、もう二度とサヤを取り戻せないかもしれない。
その時だった。
『田中がのんきにテレビに映っているわ! 生放送よ!』
インカムから、情報収集を行っていたユカリさんの興奮した声が響いた。
「ユカリさん、田中はどこに!?」
『そこからじゃ遠いわ。アカネちゃんたちが潜入している洋館の、更に先にある建物。新しくできた『魔法少女の記念館』で、テープカットセレモニーをしているわ!』
(表の権力者としての公務……!)
ユキの目に強い光が宿る。田中の居場所さえ分かれば、あとは『盗心石』を破壊するだけだ。
しかし、目の前にはサヤが立ち塞がっている。
「ふうっ……」
ナタリーが、肺の底から深く、重い溜息を吐き出した。
彼女は銃に弾を込めながら、覚悟を決めた顔でユキを見た。
「ユキ、行ってこい。 その盗心石だったか? それを壊せば、サヤも止まるんだろ」
「無理よ! 一人じゃ防げないでしょ!」
ユキが即座に否定する。いくらナタリーが優秀な忍びで、元軍人とはいえ、魔法という理不尽を操るサヤを相手に、一人で持ち堪えられるはずがない。
「軍人をなめるなよ」
ナタリーは一切の迷いがない、熱を帯びた声で言い放った。
「決着を付けるのはお前の役目だろ。それに田中から妹を解放できれば、全部終わりだ」
「ナタリー……」
「お前の妹は、私がここで釘付けにする。だから、私に任せてお前は行け!」
絶対に退かないという、ナタリーの誇り。
ユキはその覚悟を前に、小さく震える唇を噛み締めた。
ナタリーを一人にしてここに残るか迷うが、サヤを救う手段である『盗心石』を破壊する機会が見えているなら、そっちに賭けたい。
「……ナタリー、あなたも絶対に無事でいて。無茶しないで、時間稼ぎだけお願い!」
ユキは涙を飲み、苦渋の決断と共に踵を返し、エレベーターへ向かって、全力で床を蹴った。
「行かせるかッ!」
サヤがユキを追おうと地を蹴った瞬間、ナタリーの放ったマグナム弾が正確に地面に撃ち込まれ、サヤの目の前でコンクリートを派手に砕いた。
「お前の相手はこの私だ、お嬢ちゃん」
ナタリーの不敵な笑い声を背中で聞きながら、ユキは地上へと向かった。
***
同時刻。都内郊外に新設された『魔法少女の記念館』。
そのエントランスでは、大勢のマスコミとフラッシュの光に包まれながら、華やかなテープカットセレモニーが執り行われていた。
「徳頭官房長官、今夜の予定は? どこかのお店を貸し切って、一緒に日本の未来を語り合えませんか」
式典を終え、控室へと向かう廊下。
記念館の館長を任された恰幅の良い男が、卑屈な揉み手で田中にすり寄ってきた。
徳頭サトミチの顔と立場を完全に奪い取った田中は、柔和な笑みを崩すことなく、静かに首を横に振った。
「お誘いはありがたいのですが、最近はとても忙しく、この後の会食後も仕事に戻らないといけませんね」
「それは残念です。次こそは、ぜひ時間を設けてくださいね」
残念そうに去っていく館長の背中を、田中は蛇のような目で睨みつけた。
(金と女にしか興味が無いゴミ共め。あいつらは、俺がどれだけ国を思って動いているか、一生理解できんだろうな)
歪んだ正義感と選民思想。
田中は胸の内で吐き捨てると、周囲に人がいないことを確認し、スマートフォンを取り出した。
画面には、キサラから新たに届いていたメッセージが表示されている。
『サヤをこちらに寄越してくれて助かりました。 今はサヤを残して、私は別の拠点にて身を隠しています』
その文面を見た田中は、チッと舌打ちをして鞄からタブレット端末を取り出した。
キサラが逃げ込んだという、郊外の洋館の監視カメラシステムへアクセスする。
画面に映し出されたのは、地下室の映像。
そこには、氷の魔法少女であるアカネと、幼い少女によって、キサラが完全に追い詰められ、無様に交渉を持ちかけている姿があった。
カッ、と。田中の頭に怒りの血が上った。
(あいつも……あいつでさえ俺の足を引っ張るのか!)
自らの完璧な計画が、思い通りに動かない駒のせいで崩れていく苛立ち。
田中はタブレットを乱暴に鞄に突っ込むと、スマートフォンで洋館の警備室へと電話をかけた。
『は、はい! 警備室です!』
「俺だ。地下室に侵入者がいる。キサラが色々喋っているぞ」
田中の声は、氷点下のように冷酷だった。
「地下室の扉を外から封鎖し、毒ガスを流し込むトラップを発動させろ! ネズミ共を確実に処分しろ」
『えっ……!? し、しかし、キサラ様まで……』
「聞こえなかったのか? 処分しろと言っているんだ」
有無を言わさぬ絶対の命令。
田中は通話を一方的に切ると、苛立たしげにネクタイを緩めた。
自らを守るためなら、右腕であるキサラでさえも平然と切り捨てる。
(キサラがおらずとも、レイみたいに人質と恐怖で縛ってやればよい)
田中ヒトシという男は、自身の唯一の味方を失うことにさえ、心が揺らぐことは無かった。




