業火の檻と、音無き凶刃
廃工場の冷たい空気を一瞬で灼熱に変えるほどの、凄まじい熱波が弾け飛んだ。
尋問のために拘束していたはずの特殊合金のワイヤーが、飴細工のようにドロドロに溶け落ちる。煙の中から姿を現したのは、全身から怒りの炎を噴き上げる『炎の魔法少女』赤園レイカだった。
先程までの、周囲にチヤホヤされるのを楽しむような軽薄なギャルの面影は微塵もない。尋問の末に自分の罪を突きつけられ、華やかな未来が崩れ去る恐怖と焦燥が、彼女の顔を醜く歪ませていた。
「なんであーしがこんな目に遭わなきゃなんないの!? あーしは選ばれた魔法少女なんだよ! スポンサーもついて、これからもっともっと有名になって、最高の恋だってするはずだったのに!!」
ヒステリックな叫びと共に、レイカが腕を振るう。
それだけで、彼女の指定した空間にドカンッ! と爆発的な炎がごうごうと燃え上がった。
(熱ッ……!)
私は床を蹴り、間一髪でその爆炎から身を躱す。着地したコンクリートの床は、一瞬にして赤熱し、溶けかけていた。
現代の科学を駆使した睡眠ガスも、特殊繊維の拘束具も、すべてあの理不尽な炎の前に無に帰してしまった。魔法少女の力——それは、物理法則や科学の常識をいとも簡単に置き去りにする、圧倒的な暴力だ。
「ちょこまかと……うざいんだよ、日陰者のネズミがァッ!」
レイカの両手から、無数の火球がマシンガンのように放たれる。
(冷静に……冷静になれ、私!)
心の中で必死に自分に言い聞かせる。私は忍びだ。感情に任せて動けば、死ぬのは私の方だ。
炎の軌道を読み、柱の陰へ、散乱する鉄骨の裏へと、己の身体能力の限界を引き出して跳躍し、転がり、逃げ回る。だが、レイカの炎は容赦なく隠れ場所を破壊し、鉄を蒸発させていく。掠めただけでも火傷を負うほどの熱気が、私の体力をゴリゴリと削り取っていた。すでに左腕の袖は焦げ落ち、焼け爛れた皮膚から激痛が脳を貫いている。
「あーしは最強なんだから! 誰にもあーしの幸せは奪わせない!」
悲鳴のような怒号を上げながら、レイカはさらに炎の出力を上げる。彼女自身も、先ほどの尋問時の制圧で受けた傷から血を流し、息を荒げている。だが、その痛みが逆に彼女を後先考えない破壊衝動へと駆り立てていた。
隙はないか。反撃の糸口は。
私は走りながら、ポーチから特殊鋼で鍛えられたクナイを三本引き抜き、振り返りざまにレイカの急所へ向けて投擲した。
シュッ! と鋭い風切り音を立てて飛んだ漆黒の刃。
しかし——。
「そんなおもちゃが、あーしに通じるわけないっしょ!!」
レイカが視線を向けただけで、クナイは彼女に届く遥か手前の中空で、真っ赤に熱せられ、液状になってボタボタと床に落ちた。
(嘘でしょ……金属を空中で蒸発させるほどの熱量!?)
絶望的な実力差。これが、テレビの向こう側で国中から喝采を浴びる「本物」の力。私たち裏方の人間が、どれほど泥水をすすって技術を磨こうとも、決して埋められない才能の壁。
「アハハハハッ! 何それ、ダッサ! お前もあの時死んだバカなネズミと同じじゃん!」
その言葉が、私の耳をつんざいた。
「あの夜も傑作だったわー! あーしがちょっと火種を置いただけで、逃げ場なく燃え広がった工場。お前の両親もきっと真っ青な顔して逃げ回り、爆薬の山と一緒に大爆発! アハハハ、お前も同じようにしてあげる! 親子仲良く、ネズミは火あぶりにしてやるよ!!」
レイカの瞳に、残酷な嗜虐の光が宿る。
両親の最期を嘲笑うその言葉に、私の視界が真っ赤に染まりかけた。怒りで喉の奥から獣のような声が漏れそうになる。だが、それすらも圧倒的な熱波に押し潰された。
「これで……終わりだァッ!!」
レイカが両手を高く天に掲げた。
その瞬間、私の周囲の空間が円形に歪み、業火の壁が噴き上がった。
「なっ……!?」
前後左右、そして頭上。
逃げ場のない、完全な炎の檻。
炎の壁はじりじりと狭まり、私の髪の毛がチリチリと焦げる嫌な臭いが鼻をつく。肺に吸い込む空気すら熱湯のように熱く、呼吸ができない。
(もう、打つ手が……ない)
視界が歪む。どれほど技術を磨いても、どれほど強い殺意を抱いても、この理不尽な暴力の前には無力なのか。
お父さん、お母さん。ごめんなさい。私じゃ、仇を討てなかった——。
死を覚悟し、私がギュッと目を閉じた、その時だった。
『——罪には、罰を』
炎の爆音にかき消されるはずの、ひどく冷たく、無機質な声が、鼓膜ではなく脳内に直接響いたような気がした。
直後。
炎の檻の向こう側で、勝ち誇ったように狂笑していたレイカの顔が、ふっと奇妙な角度にズレた。
「え……?」
レイカの口から漏れたのは、マヌケな疑問符。
それが、炎の魔法少女がこの世に残した最後の言葉だった。
ゴトリ。
重く、鈍い音。
レイカの頭部が、首の付け根から滑り落ち、焦げたコンクリートの床に転がった。
首を失った胴体は、数秒だけその場に直立したまま硬直していたが、やがて噴水のように血しぶきを上げながら、ドサリと崩れ落ちた。
主を失った炎の檻が、嘘のようにフッと掻き消える。
急に冷え込み、静寂が舞い戻った工場跡の空気の中、残されたのは、肉の焦げる異臭と、床に広がる赤黒い血だまり。
そして、その血だまりの真ん中に、一人の少女が立っていた。
愛用の忍者刀を静かに振り抜き、刀身についた血糊を払う妹——サヤだった。
彼女は、首のない死体を見下ろしたまま、瞬き一つしていない。
怒りも、悲しみも、達成感すらもない。ただ、道端の石ころを蹴り飛ばしただけのような、完全なる『真顔』。
「……サ、ヤ……?」
私は火傷の痛みも忘れ、震える声で妹の名を呼んだ。
音も無く、殺気すらも完全に消し去った、文字通りの暗殺。今の私には到底届かない、深淵のような忍びの業。
だが、私が恐れたのは彼女の技術ではない。
その、あまりにも人間離れした、空虚な瞳だった。
「……命まで、奪う必要は……無かったのに……」
ガクガクと震える足で立ち上がりながら、私は絞り出すように言った。私たちがすべきは、情報を引き出し、裏の真実を暴くことだったはずだ。
サヤはゆっくりとこちらを振り返った。
その手は血に塗れ、狂気の淵に立っているはずなのに。
「お腹空いた〜。ねえお姉ちゃん、帰りにハンバーガー買って帰ろ? 私、てりやきバーガーがいいな」
いつもの、天真爛漫な妹の笑顔だった。
その底知れぬ狂気的な豹変に、私は己の腕の火傷よりも深い、身を切るような悪寒を覚えずにはいられなかった。
シリーズとして、炎の魔法少女を主役にした短編を掲載しています。
タイトル:炎の魔法少女は「最強」でいたい。――赤園レイカの煌びやかな日常と、隠した罪




