リベンジ④―砂塵の魔女と元軍人
地下四階。
そこは今、絶望的な茶色の濁流に支配されていた。
ザザザザザァァァッ!!
四方八方から押し寄せる大質量の砂の津波。
ナタリーはその砂の海の中で、文字通り溺れていた。
視界は完全に茶色く濁り、前後左右の感覚すら奪われる。少しでも油断して口を開けば、肺の奥深くまで乾燥した砂が入り込み、一瞬で呼吸器を破壊されるだろう。
のしかかる何トンもの砂の重みが、彼女のスマートな身体を無慈悲に押し潰そうとする。
(ふむ。これはまずいぞ。正直、魔法というものを侮っていた)
ナタリーは砂の濁流の中で目を固く閉じ、息を止めたまま冷静に思考を巡らせた。
波に飲まれるたび、持ち前の驚異的な体力で砂の海を泳ぎ切り、次は背後へ回り込んでみたり、爆弾を空中で破裂させて目くらましを狙ってみたりと手を変え品を変え攻めてみたが、結果はこのザマだ。
無限に湧き出る砂の波に飲まれるたび、体力が削られていく。このままでは確実にジリ貧だ。
ナタリーは砂の流れる方向を肌で感じ取り、その勢いがわずかに落ちた瞬間を狙って、残った体力を振り絞って強引に砂の海を掻き分けた。
「ブハァッ!」
ザパァンと砂の波から抜け出し、コンクリートの床に転がり落ちて大きく新鮮な空気を吸い込む。
むせ返りながら周囲を見渡すと、『砂塵の魔女』は遥か遠くに無表情で立っていた。否、魔女が動いたのではない。ナタリー自身が、津波によって遠くまで流されたのだ。
魔女がすぐには追撃してこないのを確認し、ナタリーは立ち上がって戦闘服の中に入り込んだ砂をバサバサと床に払い落とした。
「遠距離攻撃は砂の壁に吸収されて効果なし。だが、近づけばあのふざけた津波に流される、か」
ある程度の砂を落としきって身軽になったナタリーは、周囲を見渡した。
コンクリートの柱があるだけで、利用できそうな地形やオブジェクトは何一つない。
ナタリーは短く息を吐くと、思考を次の段階へとシフトさせた。
彼女は懐から、もう一丁の予備の愛銃——ショットシェル弾(散弾)を装填済みの『スターム・ルガーSP101』を抜き取り、左手に持った。右手には、貫通力の高いマグナム弾を装填したもう一丁のSP101。
「あー……めんどくさい。だが、もう一度、あの津波に飲まれてくるか」
敵の理不尽な攻撃をわざと受けることに気が乗らないが、ナタリーは忌々しげに顔をしかめながら、真正面から魔女に向かって歩み寄っていった。
距離が二十メートル辺りまで近づいた瞬間。
ズゴゴゴゴォォ……!
魔女の足元から、再び大量の砂が意志を持ったようにせり上がってくるのが見えた。
この砂が分厚い壁となるか、大質量の津波に変わるかは、ナタリーが仕掛ける距離次第だということはこれまでの攻防で分かっている。
別の手段で攻撃される可能性もあるが、ナタリーの目的は『津波の攻略』だ。
彼女は先ほどまでと同じように、急激にスピードを上げて魔女との距離を詰めた。
(きた!)
予想通り、砂が巨大な波となって頭上から覆い被さってくる。
ナタリーは波に飲まれる直前、迫り来る津波に向かって左手の銃を向け、ショットシェル弾を至近距離で撃ち込んだ。
ダァンッ!
無数の小さな鉛玉が放射状に散らばるが、砂の波の表面を荒らすだけで、想定通り貫通はしない。
今度は右手の銃で、強力なマグナム弾を撃ち込む。
ズドンッ!
薄く広がった砂の壁の一部にポッカリと穴が開いた。だが、その小さく開いた穴は、周囲から雪崩れ込む砂によって瞬時に修復され、埋められてしまった。
次の瞬間、ナタリーは再び砂の津波に飲み込まれ、濁流に揉まれながら後方へと押し流されてしまった。
***
しばらくたって、魔女から遠く離れた場所で、ナタリーは再び砂の波から這い出した。
「ファック! 自慢の金髪が砂まみれだよ!」
ペッペッと口に入った砂を吐き出しながら、ナタリーは悪態をついた。
だが、その瞳には明確な『勝機』が宿っていた。
彼女は左右の銃のシリンダーを素早く振り出し、空になった薬莢を捨てて新しい弾をリロードする。右にはマグナム弾、左にはショットシェル弾。
息を整え、戦闘服のポケットから小型爆弾を取り出すと、ナタリーは猛禽類のように鋭く顔を引き締めた。
戦闘準備は、完了だ。
今さら魔女に違う行動をされては困るため、ナタリーは先ほどと全く同じ歩幅、同じ速度で動きをトレースしながら魔女へと近づいた。
二十メートルのライン。急激な踏み込み。
魔女のプログラムはそれに反応し、予定通りに巨大な砂の津波を発生させた。
迫り来る茶色の絶望。
だが、ナタリーは一切減速することなく駆け抜けながら、津波のど真ん中へ向かって小型爆弾を思い切り投げ込んだ。
爆弾が砂に飲み込まれそうになる、まさにその瞬間。
ナタリーは左手の銃を構え、爆弾に向かってショットシェル弾を発砲した。
ドォォォォンッ!!
散弾の直撃を受けた爆弾が空中で起爆し、強烈な爆風が巨大な砂の津波の腹を内側から食い破った。
津波が大きく割れ、向こう側の景色が見える。
だが、吹き飛ばされた砂を補うように周囲の砂が凄まじい勢いで雪崩れ込み、突破口はみるみるうちに閉じ始めた。
(まだだ!)
ナタリーは完全に塞がる前の少し密度が薄くなった砂の壁に向かって、右手のマグナム弾を撃ち込んだ。
ズドンッ!
圧倒的な貫通力が砂の壁を穿ち、トンネル状の亀裂が生まれる。その亀裂が塞がるより早く、今度は左手のショットシェル弾を撃ち込み、散弾の拡散力で無理やり穴を押し広げた。
マグナムで穿ち、ショットシェルで広げる。
ナタリーは津波に向かって全力で走りながら、二丁のSP101を交互に撃ち込み、迫り来る砂の質量を強引に削りきっていく。
四発目のマグナム弾。そして、すべてのショットシェル弾を撃ち尽くした。
その代償として、津波の真ん中に、人間一人が辛うじて通れるだけの『穴』がぽっかりと開いた。
「ハァッ!!」
ナタリーは躊躇うことなく地面を蹴り、その身体を弾丸のように滑り込ませて、崩れ落ちる津波のドームを間一髪で抜け切った。
(残り、五メートル!)
自身の絶対的な防御である津波を正面から越えられるとは思っていなかったのだろう。
魔女は虚ろな瞳のまま、慌てて足元の砂を巻き上げ、ナタリーを止めるための硬質な『砂の人形』を創り出した。
だが、ナタリーの右手の銃には、まだマグナム弾が一発だけ残っていた。
ズドンッ!
走りながら放たれた最後の一発が、砂の人形の片足を正確に撃ち砕く。バランスを崩した人形が倒れ込み、そのまま崩れ去った。
魔女までは、もう目と鼻の先。
「もらった!」
ナタリーは弾が尽きた両手の銃を左右に投げ捨てると、魔女に向かって身一つでダイブした。
両手が、魔女の細い肩を捉える。
(取った!)
そう確信した瞬間だった。
ドゴォッ! と、ナタリーの腹部に重い衝撃が走った。
「がはっ……!?」
魔女の足元から瞬時にせり上がった強固な砂の壁が、飛び込んできたナタリーの腹部を下から上へとかち上げたのだ。
肺の空気が強制的に吐き出され、ナタリーの身体が宙に浮き、そのまま勢いよく後方へと転がっていく。
ゴロゴロとコンクリートの床を転がるナタリー。
だが、その口元には、凶悪な笑みが隠しきれずに張り付いていた。
「……取ったぞ?」
砂の壁に吹き飛ばされる直前。ナタリーの左手は、魔女の右腕をしっかりと掴んで離していなかった。
ナタリーが吹き飛ばされて転がった勢いに巻き込まれる形で、魔女の身体も強引に引き倒され、ナタリーのすぐ手前へと引きずり込まれていたのだ。
結果として、ナタリーは転がり起きた瞬間、魔女の『完全な背後』を取ることに成功していた。
「ジタバタするなよ」
ナタリーはスマートで引き締まった腕を魔女の首に巻きつけ、頸動脈を的確に圧迫するチョークスリーパーの体勢に入った。
「がっ……あ……!」
首を締め上げられた魔女がもがき苦しみ、自身の防衛本能に従って、硬く圧縮された石のような砂の弾を周囲に創り出し、背後にいるナタリーの顔や身体に向かって至近距離からいくつもぶつけてきた。
ゴツッ! ドッ!
鈍い音と共に、ナタリーの背中に、打撲の痛みが全身を走る。
それでも、元軍人の腕は鋼鉄の万力のようにピクリとも動かない。
「絶対に……離すかッ!」
歯を食いしばり、砂弾の痛みに耐えながら、ナタリーは己の純粋な筋力だけで、魔法という理不尽を強引にねじ伏せていく。
ギリギリと腕を締め上げるにつれ、魔女の抵抗が少しずつ弱まっていく。
やがて。
ナタリーを叩き続けていた砂の弾が、力を失ってサラサラと床に崩れ落ちた。
腕の中にいた魔女の身体から完全に力が抜け、その意識が深い闇へと落ちたのだ。
「……ハァ、ハァ……。手間、かけさせやがって」
ナタリーは腕の力を緩め、気を失った魔女をそっと床に寝かせた。
全身は泥と砂にまみれ、息も絶え絶えだが、その顔には確かな勝利の安堵が浮かんでいた。
ゆっくりと立ち上がり、乱れた金髪をかき上げる。
「さて、愛銃を回収して、ユキたちに合流するか……」
ナタリーが投げ捨てた二丁のSP101を拾おうと後ろを振り向いた。
彼女の目の前に広がっていたのは、膨大な質量の砂の波が崩れてできた、広大な『砂丘』だった。
銃を投げ捨てたのは、あの砂山のどこかだ。
「……この中から、探すのか。ジーザス」
ナタリーは完全に敗北したような顔で、砂の上にガクリと両膝をついた。
お読みいただきありがとうございます。
完結前ですが活動報告も更新しております。
最終章に向けての思い?と言った内容です。




