リベンジ③―鋼鉄の魔女と氷の魔法少女
「ズドォォォォォンッ!!」
地下三階のコンクリートの床が、爆発でも起きたかのように激しく揺れ、鼓膜を破らんばかりの轟音が響き渡った。
アカネの頭上から落下してきた、巨大な鋼鉄の立方体。
それはアカネが立っていた場所を氷の膜ごと完全に押し潰し、巨大な墓石のように鎮座していた。周囲には、砕け散った氷の破片がダイヤモンドダストのようにキラキラと舞い散っている。
「ふーっ……ふーっ……」
その巨大な鋼鉄の塊の前に、アカネは立っていた。
息は荒く、肩で大きく息をしている。戦闘服は所々が鋭利な刃で切り裂かれたように破け、掠った太ももと、衝撃で切れた額からは一筋の赤い血が流れていた。
(危なかった……)
頭上から迫る致死の質量に対し、強度の面から正面で防ぎきれないと直感したアカネは、咄嗟に上空へ向かって氷の膜を何枚も重ねて張り巡らせた。そして、落下までのわずかな時間稼ぎをしている間に、自ら前へとダイブしたのだ。
一秒と持たずに氷の膜は砕け散り、自身が作り出した氷の破片が刃となって降り注いだ。その中を強引に突き進んだため、全身に細かな擦り傷を負ってしまったが、なんとか直撃だけは避けることができた。
身体は極低温の魔力を纏ってひんやりと冷えているはずなのに、頭の中はまるで煮えたぎるマグマのように熱かった。
(あいつ……あいつが、お母さんとお父さんを……!)
目の前で無表情に立つ『鋼鉄の魔女』。
その顔を見るだけで、凄惨な記憶がフラッシュバックし、怒りと憎しみが視界を赤く染め上げていく。
あの日の両親と同じ目に遭わせてやりたい。その一心で、アカネは自身の限界を超えて魔力を引き出していた。そのためなら、ここが自分の終着点になっても構わないとすら思っていた。
「……死ねッ!」
アカネは両手を地面に叩きつけ、コンクリートの床から巨大な『氷の蛇』を生み出した。
大蛇は鋭い牙を剥き出しにして、鋼鉄の魔女へと襲い掛かる。
だが、魔女は表情一つ変えることなく、前面に分厚い鋼鉄の盾を出現させて蛇の牙を難なく防いだ。
「逃がさない!」
アカネが叫ぶと、牙を防がれた氷の蛇は、そのまま盾ごと魔女の身体にぐるぐると巻きつき、強固な氷の檻として彼女を締め上げた。
とぐろを巻いた氷の大蛇の中に閉じ込められた魔女。
ガギンッ!!
次の瞬間、大蛇の内側から無数の無骨な鉄のスパイクがハリネズミのように飛び出し、分厚い氷の蛇はまるで脆いガラスのように粉々に砕け散ってしまった。
アカネは魔女を睨みつけながら、有効な手段を必死に思考する。
だが、感情を失った魔女のプログラムは、アカネに考える時間など与えてはくれない。
ゴゴゴゴゴォォ……!
アカネの左右の空間に、無数の鋭い棘が生えた分厚い鋼鉄の壁が出現した。それはまるで巨大な万力のように、中央にいるアカネを押し潰そうと双方から恐ろしい地響きを立てて迫ってくる。
「ッチ!」
アカネは舌打ちをすると、即座に左側の壁に向けて巨大な氷塊を隆起させてストッパーにし、右側の壁に向かって両手から無数の氷の散弾をマシンガンのように連続で叩き込んだ。
ガガガガガッ! と硬質な音が響く。
氷塊の抵抗と散弾の衝撃により、棘の先がひしゃげ、壁の迫る速度はわずかに遅くなった。しかし、魔女が作り出す無限の質量を完全に止めることや、破壊することは不可能に近い。
(なら、この範囲から逃げるだけ!)
アカネは氷の散弾を撃つのをやめ、前へ向かって走り出した。
両側から迫る死の壁の有効範囲から抜け出そうと、渾身の力で足を踏み出した、その数歩目。
ガチィンッ!!
「……あ、ぐっ!?」
左足に、強烈な痛みが走った。
思わず前のめりに転びそうになり、目線を下に向ける。
そこには、いつの間にか地面に同化するように生み出されていた、鋼鉄のトラバサミがアカネの足首にがっちりと食い込んでいた。
幸いにも棘はついていなかったため、骨が砕けたり流血したりはしていない。だが、足首を強固な金属で固定され、走るスピードは完全に殺されてしまった。
メキメキメキッ……!
左側にストッパーとして置いていた巨大な氷塊が、迫り来る鋼鉄の壁の圧力に耐えきれず、ひび割れ、砕け散る音が聞こえた。
左右から、確実に命を奪う棘付きの壁が迫る。
足を拘束され、もう逃げることはできない。
(悔しい……!)
アカネの瞳から、大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちた。
目の前に両親の仇がいるのに。あの日からずっと、この復讐のためだけに生きてきたのに。
(せめて……せめて、相打ちに……!)
アカネは自身の命を守ることを諦め、残された最後の力を振り絞るように、両手を鋼鉄の魔女へ向けて突き出した。
相打ちになってもいい。自分の命と引き換えに最後の氷で貫く。
(お母さん……お父さん……私も、今そっちに行くから……)
冷たい絶望と諦観がアカネの心を支配し、意識が暗闇に沈みかけた、その時だった。
『ダメェーーーーッ!!』
アカネの耳元のインカムから、鼓膜が破れそうなほどの、悲痛な叫び声が響き渡った。
『お姉ちゃん! 生きて帰るって約束した! 私を絶対に一人にしないって約束した!!』
ノヴァの、泣き叫ぶような声。
その純粋で真っ直ぐな言葉が、復讐心で黒く染まり、死を受け入れようとしていたアカネの心に、熱い炎をドスンと灯した。
(——そうだった)
私は、あの子のお姉ちゃんなんだ。
もう二度と、大切な人を失って悲しむ姿を見たくない。そのために戦っているんじゃないか。
過去の亡霊に囚われて、未来を生きる家族を悲しませてどうするんだ。
アカネの瞳から絶望の色が消え去った。
彼女は魔女に向けていた手を瞬時に足元へと構え直し、トラバサミの金属の隙間に向けて極低温の魔力を流し込んだ。
パキィィンッ!!
トラバサミの隙間に瞬時に生成された氷が、水の膨張を利用した凄まじい力で内側から金属のバネを強引に押し広げた。
バキッ、という音と共にトラバサミが壊れ、拘束が解ける。
「はぁっ!」
アカネは自由になった足で床を蹴り、アメリカでの過酷な修行で身につけた体力で、左右の壁が完全に閉じる寸前の隙間をダイブするようにすり抜けた。
ガシャァァァァンッ!!
背後で、左右の鋼鉄の壁が激突し、凄まじい轟音が響く。
アカネはそのままコンクリートの太い柱の陰へと転がり込み、背中を預けて荒い息を吐いた。
「ノヴァ……!」
アカネはインカムのスイッチを押し、息を切らしながらも、はっきりとした声で叫んだ。
「約束は守る。絶対に生きて帰る。……だから、帰ったら抱っこは復活ね!」
『……うんっ!!』
インカムの向こうでノヴァが鼻をすする音が聞こえ、アカネの唇に自然と笑みがこぼれた。
(よし……大丈夫だ)
アカネは柱の陰で深呼吸を繰り返し、煮えたぎっていた頭を冷静にするように努める。
憎しみも、怒りも、悲しみも。
一度すべてを体の外へ出すように、アカネは大きく息を吸い込んだ。
「わああああぁぁぁぁッ!!」
地下三階のフロアに響き渡るような、大声。
それまでアカネの感情に呼応するように、フロア中を荒れ狂っていた猛吹雪の冷気が、その叫びを境にして、スッと嘘のように凪いだ。
(大丈夫。これで、負の感情はすべて吐き出せた)
心が、鏡のように静まり返っている。
冷静さを完全に取り戻したアカネは、柱の陰からゆっくりと身を現した。
彼女はもう、力任せに巨大な氷の塊を生み出すようなことはしなかった。
両手に繊細な魔力を込め、そっと空間に解き放つ。
パキ、パキパキ……。
アカネの周囲に、キラキラと輝く無数の『氷の蝶々』が生まれた。
精巧なガラス細工のように美しい蝶の群れが、羽ばたきながら魔女の周りに吸い寄せられ舞う。
「それ、綺麗でしょ? 頑張って作ったの」
アカネは少し自慢げに、そして穏やかな声で鋼鉄の魔女に語りかけた。
だが、自意識を奪われた魔女は、何も言葉を返さない。
魔女は飛んできた氷の蝶々の群れに対して、一つ一つ鉄で囲み、鉄の盾を出し、時には潰して防ごうとした。
しかし、氷の蝶々は攻撃魔法ではない。
蝶々はひらひらと軽やかに鉄の盾の隙間をすり抜け、魔女の周囲をただ美しく飛び回るだけだった。
ぶつかっても砕けることもなく、突き刺さることもない。
しばらくの間、盾を構えて大量の蝶々の対処をしていた魔女だったが、やがて、物理的な攻撃力も害もないと判断した。
魔女は鉄の盾を解除し、完全に蝶々を無視してアカネへと向かって右手を掲げた。
ゴォォォンッ!
アカネの遥か上空に、身の毛もよだつような巨大な鋼鉄のギロチンの刃が創り出され、そのまま重力に従って真っ直ぐに落下してきた。
「っと!」
冷静に察知していたアカネは、足に力を込めて走り出し、落下してくるギロチンを難なく避けてみせた。
ズドォォンッ! とギロチンが床を割る音が響くが、アカネの表情に焦りはない。
「あなたが私の両親を殺したの。……それは絶対に忘れない」
アカネは、蝶々に纏わりつかれている魔女を見つめながら、静かに決別を告げた。
「でも、もういい。あなたも、田中のシステムに意志を奪われた、ただの犠牲になった人形だもの。……私は、過去じゃなくて、今を生きる。前に進むの」
その言葉がトリガーだった。
魔女の周囲を無害に飛び回っていた無数の氷の蝶々たちが、一斉に魔女の肌や服にピタリと張り付いた。
「……!」
声にならない呻き。
蝶々たちが魔女に触れた瞬間、一気に魔女の体温を奪う。
それは物理的な破壊ではなく、精密な温度操作。
蝶々たちは魔女の体温だけをピンポイントで急激に奪い去り、細胞の活動を強制的に停止させていく。
バタリ、と。
鋼鉄の魔女の身体が低体温症によって、糸が切れたようにコンクリートの床へと倒れ伏した。
一切の流血もなく、命を奪うこともない。
ただ静かに、魔女は機能停止した。
「……終わった」
アカネは周囲の冷気を完全に解除し、倒れた魔女の元へと駆け寄った。
親の仇であっても、彼女もまた被害者だ。殺さないというユキたちの信念を、アカネも受け継いでいた。
アカネは魔女の隣に膝をつくと、ポーチをゴソゴソと漁り始めた。
「救命措置。……何すれば良かったっけ? ……懐炉を当てて、近くに火を焚けばいいんだっけ?」
先ほどまでの死闘が嘘のように、少しだけマイペースな本来のアカネに戻りながら、彼女は不器用そうに魔女の救護を始めた。
『お姉ちゃん! かっこよかったよ!』
インカムから、ノヴァの安堵したような声が響いた。
アカネは懐炉を魔女の首筋に当てながら、笑顔でインカムのスイッチを押した。
「お姉ちゃんに任せなさい!」




