リベンジ②―水圧の魔女と冷静な忍び
シュガァァァァッ!!
鼓膜を劈くような高圧水流の音が、地下五階のコンクリート空間に反響し続けている。
私は次々と放たれる見えない水の刃を、柱を蹴り、床を転がり、天井の配管にワイヤーを引っかけて立体的かつギリギリの動きで躱し続けていた。
私が逃げ込んだ先のコンクリートの柱が、水圧のカッターでえぐられ、粉塵を上げながら無惨に削り取られていく。
一見すれば、私は防戦一方で、ただ逃げ回ることしかできないネズミのように見えるだろう。
監視しているキサラも、きっとそう思っているはずだ。
だが、それは大きな間違いだ。
(……一、二、三……)
私は逃げ回りながら、頭の中で冷静にカウントを刻んでいた。
魔女が右手を突き出してから、高圧の『水弾』が放たれるまでの間隔。
両手を合わせてから、すべてを両断する『水流のサーベル』が放たれるまでの時間。
私はあえて柱の陰から左手だけをわずかに外へ出してみた。
ズバァンッ!
コンクリートの角ごと、私の手の数ミリ横を水弾が通過していく。
思わず「あぶなっ!」と冷や汗が流れたが、唇の端は自然と吊り上がった。
(やっぱり、予想通り!)
弾を見てから避けているわけではない。極限まで圧縮された水の弾丸など、人間の動体視力で捉えられるはずがないのだから。
私が避けているのは『弾』ではなく、『射線』だ。
撃つ直前の、魔女の虚ろな目線と手の動き。
そして、踏み込んだ足の爪先が向いている角度。
本人が気づいていない予備動作。
私が海外で努力を重ねてきた技術が確実に生きている。
理不尽な魔法を相手に戦うためには、『後の先』を取るしかない。
相手の身体のわずかな筋肉の動きから次の行動を予測し、攻撃が放たれるよりも一瞬早く、射線上から身体を逸らす。
一つ一つの丁寧な観察と、地道な努力の積み重ねこそが、私という忍びの最大の武器だった。
パシャッ。
水たまりを踏みしめ、私は次なる検証に移る。
(攻撃のタイミングと軌道は完全に読んだ。次は……防御の仕組みね)
私は走りながら振り返り、水圧の魔女の眉間を目掛けて、右手に握っていたクナイを全力で投擲した。
クナイは空気を裂いて一直線に飛ぶ。
ちょうどその瞬間、魔女は次の水流を撃ち出すために、ピタリと足を止めて構えに入っていた。
(いける……!)
そう思った瞬間だった。
魔女の顔面にクナイが突き刺さるより、一メートルは手前で、突如として水球がポコンッと発生したのだ。
バシャッ!
クナイは水球に絡め取られ、勢いを完全に殺されて床に落ちた。
魔女は一切の表情を変えず、クナイを弾いたことすら気にしていないかのように、予定通り私に向けて水弾を放ってきた。
私は身体を捻ってそれを躱す。
(なるほどね。強力な水弾を撃ち出す瞬間は、反動に耐えるためにどうしても足が止まる。でも、その隙を狙って攻撃を仕掛けても、あの『自動防御』の水球に弾かれてしまうわけだ)
検証は完了した。
この『水圧の魔女』は、間違いなく規格外の化け物だ。だが同時に、悲しいほど忠実に動くロボットでもある。
彼女には自意識がない。
私を罠にハメようとするフェイントも、予測を裏切るような変則的な動きも一切してこない。ただ、インプットされた『敵を排除する』『敵の攻撃を防ぐ』というプログラムに従って、機械的に魔法を放ち続けているだけだ。
(これじゃあ正面からは勝てない。……なら、次!)
私は思考を瞬時に切り替え、罠の準備に取り掛かった。
ヒュッ、ヒュッ。
逃げ回りながら、私はポーチからクナイを取り出し、目立たないように柱の裏や床の死角へと次々に投げて突き刺していく。
そのクナイの柄には、私の左手のギミックに繋がった、光を反射しない極細の『鋼糸』が結びつけられていた。
地下五階の空間を縦横無尽に走り回りながら、魔女の周囲に鋼糸の蜘蛛の巣を張り巡らせていく。
自意識のない魔女は、私が逃げ回っているとしか認識せず、ただ真っ直ぐに私の背中を追いかけてくる。
(もう一息……!)
床に水が溜まり、私の罠が完全に完成したその時。
私は柱の陰から大きく飛び出し、あえて何もない開けた空間で、ピタリと足を止めた。
追ってきた魔女と、正面から視線が交差する。距離は約十メートル。
動く的が静止した。
魔女のプログラムが『好機』と判断し、次の瞬間、両腕を私の胸へと向けて真っ直ぐに突き出した。
最強の矛である、すべてを両断する水流のサーベルの構え。
(一……二……三……!)
私は頭の中で秒数をカウントする。
魔女の足が完全に止まり、魔力が両手に集束していくのが空気の揺らぎで分かった。
(四……五……ここよ!)
魔女が魔法を放とうとした、まさにその刹那。
私は左手のギミックを強く握り込み、これまで張り巡らせていた鋼糸を一気に巻き取った。
ギチィッ!!
鋭い摩擦音と共に、魔女の後方に突き刺さっていた三本のクナイが壁から引き抜かれ、鋼糸に引かれて魔女の背中へと向かって猛スピードで飛んでいく。
背後からの奇襲。
だが、魔女の身体に備わった自動防御のプログラムは、それすらも感知していた。
魔女の背後に、瞬時に複数の水球が発生する。
バシャバシャバシャッ!!
飛来した三本のクナイは、すべて発生した水球に衝突し、完全に弾き落とされた。
絶対防御。どんな死角からの攻撃も通さない。
だが、私の本当の狙いはクナイを当てることではない。
魔女の足元にはもう一本、鋼糸が繋がったクナイを予め置いていたのだ。
その置いていたクナイも水球の膜の『内側』で宙に跳ね上がり、魔女の防御プログラムがそれに反応して水球を生み出し、弾けた。
パアァァンッ!!!
水風船が破裂したような爆発的な反発が起こり、激しい水飛沫が下から上へと勢いよく跳ね上がった。
それは、魔女自身の顔面を直撃した。
「……!」
いくら自我がない人形とはいえ、眼球に水が激しくぶつかれば、肉体の生理的な反射として目は閉じてしまう。
魔女は目を瞑り、視界を確保しようと無意識のうちに腕の袖で顔を拭いながら、タタッ、と数歩後ろへと後退した。
ほんの数秒の、目くらまし。
だが、私にとっては十分すぎる永遠だ。
私はすでに地を蹴り、魔女の懐へと肉薄していた。
(動いている最中は、自動防御の膜が発生しない!)
これまでの検証で、私はその弱点に気づいていた。足を止めている間は鉄壁だが、後退したり、顔を拭うために腕を動かしたりしている最中は、水球の展開がわずかに遅れる。その一瞬の隙こそが、私の狙いだった。
「終わりよ」
私は右手で逆手に握ったクナイを、刃ではなく、硬い柄の底を前に向けて突き出した。
狙うのは、ナオフミさんから学んだ『全身の力が抜ける秘孔』。
魔女が顔から腕をどけ、目を開いた瞬間――私のクナイの柄が、ピンポイントで彼女の首筋にある急所を強打した。
ゴッ!
「……ぁ」
魔女の口から、空気の抜けるような小さな音が漏れる。
ツボを突かれたことで、彼女の全身の筋力が一瞬にして弛緩し、その身体がぐらりと傾いた。
私は倒れ込む魔女の身体を左腕で抱きとめると、続けざまにポーチから秘伝の睡眠薬を染み込ませた布を取り出し、彼女の口元へとしっかりと押し当てた。
十秒。二十秒。
魔女の細い身体から完全に力が抜け、その首がパタリと私の肩に落ちる。
彼女の周囲をフワフワと漂っていた自動防御の水球が、魔力の供給を絶たれてパシャパシャと床に崩れ落ち、ただの水たまりへと変わっていった。
「……ふぅ」
私は抱きとめた魔女を、冷たいコンクリートの床にゆっくりと寝かせた。
寝息を立てる彼女の顔は、先ほどまでの恐ろしい化け物には見えない。
(田中やキサラならともかく……無理やり人形にされている魔女は、殺さない)
雷鳴の魔女・レイと戦った時にも誓った、私の忍びとしての信念だ。
私は一つ息を吐くと、眠る魔女を見下ろした。
「さて……二人はどうなっているかしら」
私はクナイを拭いて天井を見上げた。
この上の階層では、ナタリーとアカネさんが、それぞれ理不尽な魔女たちと死闘を繰り広げているはずだ。
私はインカムのスイッチを入れ、仲間たちの状況を確認するために通信を開いた。
「ユカリさん、ノヴァ。私はなんとかなったけど、指示はあるかしら」




