リベンジ①―開幕
私は地下五階のフロアへと足を踏み入れた。そこは、コンクリートの太い柱が等間隔に並び、天井からは無機質な蛍光灯が冷たい光を落とす異質な空間だった。
そのまま中央に向けて歩きだすと、『水圧の魔女』は私の後ろから同じペースでついてきている。
空間の中心辺りまできたところで、私は冷えた空気を飲み込み振り返った。
魔女はきっちり五メートルほど後ろをついてきていたが、キサラはエレベーター前で待機するつもりのようで、妖しく微笑みながら小さく手を振っていた。
前方に立つ魔女に視線を合わせると、一切の感情を失った虚ろな瞳でただ私を見つめている。
「スポーツじゃないから、問答無用でいくわよ……悪く思わないでね!」
私と魔女の間に、開始の合図などはなかった。
静から動へと全力で踏み込み、一直線に魔女へ向かって右手のクナイを突き出す。
——スッ。
当たる! 二人の距離が一メートル以内に近づいた瞬間、魔女は手を動かすことなく、直径三十センチほどの水球を全方位へいくつも飛ばした。
ドッバシャッ!!
私は両手を顔の前でクロスして耐えながら前進しようとしたが、複数の水球が私に何度も当たり、軽く後ろに追いやられた。
ほとんど痛みはないが、容易には近寄ることができないと思い知らされる。
「……やっぱり、そう上手くはいかないよね」
私は真横へ向かって全力で跳躍する。
等間隔に並んだ柱を利用して、有効な手段を探すことにした。
柱の陰からクナイを投擲してみるが、一メートルくらいに近づくと、先ほどと同様に水球が全方位にばら撒かれ、クナイは水球に取り込まれて地に落ちる。
次にどう動くべきか思考を巡らせていると、魔女がこちらに向けて両掌を合わせ、真っ直ぐ突き出した。
(何かして来るッ!)
私は弾かれたようにコンクリートの床を転がった。
シュガァァァァッ!!
凄まじい音が消えると、一瞬前まで私が立っていた場所の柱に、一センチ程度の穴が開いていた。もう一度同じ場所に打ち込まれたら崩壊するだろうと思える威力だ。
「……冗談でしょ」
ぱっくりと口を開けた柱の穴から、遅れて水飛沫が流れ出る。
ほとんど目視不可能な速度で放たれたそれは、極限まで圧縮されて噴出された水弾だった。
冷や汗が頬を伝う。
だが、息つく暇など与えてはくれない。魔女の指先から、次の水弾が放たれるようだ。
私は急いで次の柱の陰に隠れると、そのまま柱の上部へとしがみついて待機する。
私が隠れた柱の真下では、高圧水流がコンクリートを抉り取る勢いで、柱を横から少しずつ削り取っていた。
(立ち止まれば、真っ二つね……!)
このままだと、迫り来る見えない水の刃が、私の隠れている柱ごと切り倒すだろう。
私は壁を蹴って次の柱に飛び移り、反撃の糸口を探り続けた。
***
同じ頃、地下四階。
そこもまた、下の階と同じような無機質なコンクリートの部屋だった。
だが、地下五階と異なり柱が少なく、ある程度開けた空間だった。
その部屋の中心辺りにいるナタリーと『砂塵の魔女』は向かい合ったまま、どちらも動いてはいなかった。
痺れを切らしたナタリーが自分から動く。
「まずは、小手調べといくか」
自身と向かい合う魔女を見据えながら、愛銃『スターム・ルガーSP101』を引き抜く。構えから発砲まで一瞬だ。
ダァン、ダァンッ!
銃口から硝煙が吹き上がり、放たれた弾が、魔女の眉間と心臓へ向けて一直線に飛ぶ。
だが——。
魔女の足元から、まるで意志を持った大蛇のように砂がうねり上がり、瞬時に分厚い壁となって魔女の前に立ち塞がった。
ズモモ……という低い音と共に、銃弾はすべて砂の中に飲み込まれ、威力を完全に殺されてしまう。
「チッ……物理攻撃は吸収されるか。なら、これはどうだ!」
ナタリーは右に向かって走り出し、戦闘ベストから小型の爆発物を取り出すと、ピンを抜いて砂の壁の裏側、魔女の足元へ向けて正確に投擲した。
だが、爆発が起きる直前、砂がさらにうねりを上げて爆弾を包み込んだ。
ドムッ……というくぐもった音と共に、爆風も炎も、すべて砂の檻の中に封殺されてしまう。
「魔法というのは、本当に理不尽極まりないな」
ナタリーが忌々しげに舌打ちをした。
今度は、砂塵の魔女が、虚ろな瞳のまま両手を高く掲げた。
ズゴゴゴゴォォォ……!!
空間が揺れた。地下四階のフロアのどこから湧き出たのか、ナタリーの周辺一帯を埋め尽くすような大質量の『砂の津波』が発生し、天井に届くほどの高さでうねりを上げながら、ナタリーへと襲い掛かってきたのだ。
「理不尽にも程があるだろっ……!」
逃げ場など、どこにもない。
銃弾すら飲み込む圧倒的な質量の波が、ナタリーを濁流の中へと飲み込んでいった。
***
地下三階。
アカネの目の前には、憎き『鋼鉄の魔女』が立っていた。
両親の命を奪い、自身の日常をぶち壊した張本人。
(あいつが……あいつが!)
アカネの脳内で、フラッシュバックする凄惨な記憶が暴れ回る。
車の中で炎に焼かれる両親の姿。絶望に染まったあの日が、脳裏にこびりついて離れない。
抑え込んでいた復讐の炎が、アカネの冷静な思考を猛烈な勢いで焼き尽くしていく。
「……お前だけは、絶対に許さないッ!!」
悲痛な叫びと共に、アカネは両手に膨大な冷気を集束させた。
バキィィンッ!
瞬時に創り出されたのは、彼女自身の背丈よりもさらに巨大な『氷のハンマー』だった。
アカネはそれを頭上高く振りかぶり、鋼鉄の魔女に向かって力任せに叩き落とした。
ドゴォォォォンッ!!
すさまじい轟音。だが、魔女は無表情のまま鋼鉄の壁を出現させ、巨大な氷の質量を完璧に受け止めていた。
理不尽な質量同士が激突し、発生した強烈な衝撃波がフロア中を揺らす。砕け散った氷の破片が、散弾のように周囲のコンクリートに降り注ぐ。
「これでどうッ!!」
アカネはさらに冷気を限界まで高め、無数の鋭い氷の槍を頭上に創り出し、雨あられのように降らせた。
ガキン、ガキン、ガキィィンッ!
だが、鋼鉄の魔女が全身を覆うように展開した分厚い鉄の膜に、氷の槍は次々と砕け散るばかりだ。どんな攻撃も通さない、文字通りの『絶対防御』。
(もっと……もっと強く!)
憎悪に任せて魔法を放出しているため、制御が雑になっている。
相手を殺すことしか見えなくなったその一瞬の隙――降ってくる氷の槍が途切れてしまう時間を魔女は見逃さなかった。
ズバァンッ!
アカネの足元のコンクリートから、鋭利な鉄の槍が唐突に突き出してきたのだ。
「くっ……!」
ハッと我に返ったアカネは、ギリギリで横に転がって回避する。
だが、避けきれなかった鉄槍の先端が彼女の服を裂き、白い太ももを浅く掠めた。
「つぅ……ッ」
鋭い痛みに顔を歪め、コンクリートの床に体勢を崩したアカネ。
その彼女の頭上では、さらなる無慈悲な鋼鉄の正方形の塊が、押し潰そうと落下してくるところだった。
***
再び、地下五階。
キサラはタブレット端末から、各フロアの監視カメラが映す映像を眺めていた。
「ふふっ……いい動きね。まるで逃げ回るネズミみたい」
彼女の視線の先では、縦横無尽にコンクリートの空間を飛び回るユキの姿が映っている。
「人間の技術と身体能力だけで、理不尽な魔法に食らいつく……本当に面白いわ。でも、避けてばかりじゃ勝てないわよ?」
キサラは次々と映像を切り替えながら、楽しそうに目を細めていた。




