決死のブラフも忍びのお仕事
階段に腰掛けている黒髪の魔女――キサラは、目を細めて薄く笑っている。
キサラは漆黒のドレスの裾を優雅に払いながら、ゆっくりと立ち上がった。
まるで、「この場の主人は自分だ」と主張するような余裕たっぷりの態度で、私たちは謁見を許された部下のような錯覚を覚える。
「何故、私の名前を知っているかは分からないわね。……ふふっ、忍びって怖いわ」
彼女は口元に手を当ててクスクスと笑いながら、階段を一段、また一段と下りてくる。
その背後には、虚ろな瞳をした三人の魔女が、文字通り魂の抜けた人形のように、直立不動のまま付き従っていた。
ヒヤリ、と。
私の隣で、微かに冷気が漏れた。
視線を向けると、アカネさんが拳を白くなるほど強く握りしめ、その爪が手のひらに食い込んでいる。
(もう少し待ってて、アカネさん!)
彼女の視線は、両親の仇である『鋼鉄の魔女』を捉えて離さない。
無理もない。自我すら持たない抜け殻だとしても、両親を亡くした元凶が、手に届く範囲にいるのだ。
だが、アカネさんは奥歯を強く噛み締め、決して前へは出なかった。
私はアカネさんの痛切な忍耐を背中で受け止めながら、真っ直ぐにキサラを睨み据えた。
「田中はその階段の上にいるんでしょ? ……あなたにも聞きたいことがあるから、二人とも身柄を拘束させてもらうわ」
私がクナイを構えたまま宣言すると、キサラはまるでおかしな冗談でも聞いたかのように、小首を傾げた。
「あらあら、ずいぶんと強気ね。その金髪の外国人の子は、サヤちゃんより腕が立つの?」
キサラの流し目が、私の隣で銃を構えるナタリーを舐めるように捉える。
そして、獲物をいたぶるような残酷な微笑みを浮かべた。
「前回、この三人と戦ってコテンパンにやられたのを忘れたのかしら? 無様に逃げ延びたワンちゃんたちが、できもしないことを大声で吠えているわ」
冷静さを失わせるための、あからさまな挑発。
だが、そんな言葉ではもう動揺しない。
「あなたたちのペースには乗らないわ。この場は、私が支配させてもらう。ナタリー!」
私の合図により、ナタリーが懐から小型の箱を取り出し、誰もいない豪奢な革張りのソファへ向けて正確に放り投げた。
箱がソファの座面に落ちるなり、ナタリーが起爆スイッチを押し込む。
ボォンッ!!
激しい破裂音と共に閃光が弾け、ソファが吹き飛んだ。
熱風と焦げ臭い煙がエントランスホールに立ち込める。
その光景がみんなの目に焼き付いた瞬間、キサラの後ろに立っていた魔女が、スッと右手を前に突き出し、水を勢いよく噴出した。
一切の感情も、表情の動きもない。キサラからの「火を消せ」という指示すらない。
ただ炎の熱源を感知するとプログラムに従うように高圧の水を放ち、一瞬にして火災を鎮火してしまった。
「……ッ」
ジュウウと音を立てて燻る黒焦げのソファの残骸を前に、私は背筋に氷柱をねじ込まれたような悪寒を覚えた。
自意識がないのに、防衛本能だけが残っている異常な人形。魔女たちの異質さに不気味さを覚える。
「野蛮ね。人の家の家具を吹き飛ばすなんて」
キサラが不機嫌そうに眉をひそめる。
「今のは、あなたたちに見せるための小型ボムよ!」
私はハッタリを打つべく声を張り上げた。
「これよりもっと大きな爆薬を、下のフロアのあちこちに仕掛けさせてもらったわ! スイッチ一つで、この最上階付近は崩落する!」
さらに私は懐からUSBメモリを取り出し、高く掲げてみせた。
「それに! かつて私の両親に対して政府が依頼した、数々の非合法な依頼データ……それを世間に流出させる準備もできているわ! 田中が徳頭に成り代わったから、徳頭の秘密を流出させたくないでしょ!」
ハッタリだ。下の階には爆弾をいくつか仕掛けたが、政府が依頼したデータは持っていない。だが、依頼を受けていたのは両親であるため、私が持っていないとは読み切れるはずがない。
キサラの余裕に満ちた表情が、ほんのわずかに引きつったのを私は見逃さなかった。
「……マンションごと爆破すれば、あなたたちも巻き添えよ?」
キサラが探るような目で私を見る。
「覚悟の上よ! 家族を奪われた私たちの執念を甘く見ないで!」
私は一歩踏み出し、床を踏み鳴らした。
「要求は一つ! 田中とあなたの身柄を拘束させて! そうすれば、爆破もデータ流出も止めてあげるわ!」
ホールに再び重い沈黙が降りた。
キサラは目を瞑ってしばらく考え、息を吐き出した。
「……爆破はなんとかなるにしても、依頼データが流出したら今後の計画に支障がでるわね。でも、拘束を受けるのは無理よ」
ゆっくりと目を開いたキサラの瞳に、先ほどまでの余裕とは違う、冷酷な殺意が宿った。
「どっちも選べないから……とりあえず、ここであなたたちを消してから考えることにするわ」
(――そうよね!)
私は心の中で叫ぶ。
脅しに屈して素直に拘束されるはずがない。どうせ破滅するのなら、目の前の脅威を排除するという選択肢を取るに決まっている。
だが、それでいい。私たちの本当の狙いは、ハッタリで降伏させることではない。
あの三人の魔女の『連携』を崩し、分断することなのだから。
「それなら!」
私は両手のクナイを構え直し、キサラを指差した。
「魔女とは一対一で、個別に戦わせて! それで私たちが勝ったら、おとなしく拘束させてもらうわ! もし連携して束になってかかってくるなら……今すぐ起爆スイッチを押す!」
強引な交渉。だが、キサラは少しだけ面白そうに口角を吊り上げた。
「あらあ? 死に急ぐなんて変わった子たち。……それくらいなら、受けてあげてもいいわよ。どっちみち、あなたたちに勝ち目なんてないもの」
キサラは指を鳴らした。
「でも、ここじゃ全員が暴れるには少し狭いわね。……場所は、移動させていただくわ」
キサラが指で示したのは、フロアの奥にある大型のエレベーターだった。
私たちは互いに警戒を解かぬまま、広い箱の中へと乗り込んだ。
***
重厚な扉が閉まり、キサラは操作盤のパネルを開くと、そこに専用の鍵を差し込んで回し、『地下三階』と書かれたボタンを押した。
エレベーターが滑らかに下降を始める。
箱の中の空気は、息を吸うことすら躊躇われるほどヒリヒリと張り詰めていた。
私たちの陣営の三人。そして、キサラと三人の魔女。
互いに手を伸ばせばいつでも相手の喉笛を掻き切れる距離。密室という逃げ場のない空間で、濃密な殺気がぶつかり合っている。
アカネさんは鋼鉄の魔女を睨みつけたまま、微動だにしない。ナタリーの指は、常に引き金の横に添えられていた。
モーターの下降音だけが、不気味なほど規則的に響いている。
「このマンションの地下深くには、徳頭が用意した戦闘訓練用の特別なフロアがあるのよ」
キサラは冷笑を浮かべて目的地を告げた。
やがてエレベーターがゆっくりと停止し、地下三階で扉が開いた。
そこは、まるで巨大な地下駐車場の跡地のように、コンクリート剥き出しの広大な空間だった。
「さて、三階から五階まで三フロア使えるわよ。そっちには熱心なファンがいるみたいだから、希望の相手を選ぶとよいわ」
キサラはアカネさんを見て妖しく笑いながら提案してきた。
(望むところよ)
私たちは、この三人の魔女と戦う際に、誰が誰と戦うべきか既に決めている。
この地下三階で『鋼鉄の魔女』がエレベーターから降りた。
「私もここで降りる」
その背中を追うように、アカネさんもエレベーターを降り、ゆっくりと後に続く。
扉が閉まり、再びエレベーターが下降を始める。
地下四階では『砂塵の魔女』とナタリーがエレベーターから降りた。
私は、それぞれの戦場へと向かう仲間たちの背中を見送りながら、ひたすらに闘志を研ぎ澄ませていた。
そして地下五階に到着すると、残った三人で降りた。
私と『水圧の魔女』が戦う戦場だ。
そのヒリヒリとした沈黙の中。
エレベーターの前に立つキサラが、誰にも見えない角度で手元のスマートフォンを操作していることに、私は気が付けなかった。
***
『長官、本丸に侵入者です。徳頭を処理した忍び――サヤの姉たちです。爆薬を所持しているため……ヒトシさん、お願いだからすぐに安全な場所へ避難して』
ユキたちがそれぞれの戦場へ向かった後。
キサラは送信完了の画面を確認すると、スマートフォンをしまい、小さく呟いた。
「さて……素直に逃げてくれるかしら」
キサラは少し不安げな顔で、勝負の行方を見守ることにした。




