二つのアジトと別働隊の布石
リビングの時計の針が、深夜零時を回ろうとしていた。
ジャーナリストの男が残していった六つの候補地。その情報を頼りに、ノヴァとユカリさんが奥の部屋にこもってから数時間が経過していた。
静まり返ったリビングで、私は手袋に仕込まれたワイヤーギミックのメンテナンスを黙々と続ける。
ふと周りを見ると、ナタリーは愛銃を分解し、隅々まで手入れを行っており、アカネさんは目を閉じ座禅を組んで、精神集中を行っていた。
誰も口を開かない。だが、全員の意識は奥の部屋の扉へと向いていた。
ガチャリ。
扉が開き、少し疲れたような顔をしたユカリさんと、目をこすりながら歩いてくるノヴァがリビングに姿を現した。
「全部見て来たよ……ユキお姉ちゃん」
ノヴァの小さな声に、私たちは一斉に手を止めて立ち上がった。
「関係する場所は、六つの中から二つに絞れたよ。……一つは『全然動かないお姉さんたち』がいっぱい閉じ込められた家。もう一つは、田中がいる家。どっちも、警備員のおじさんたちがわんさかいたよ」
その報告に、私は息を呑んだ。
広大な関東エリアに点在する六つの候補地から、たった数時間で本命の拠点を二つも特定してみせたのだ。彼女の『千里眼』という能力が、どれほど理不尽で、どれほど私たちの作戦に不可欠なものか。それを改めて痛感させられた。
「よくやったね、ノヴァ。これで目的地は絞れたわ」
私が歩み寄って頭を撫でようとすると、ノヴァはどこか申し訳なさそうに視線を床へと落とし、小さな肩をすぼめた。
「ごめんなさい……。でも、写真で見たサヤさんが、どこにいるのかまでは、分からなかったの。それに、レイさんの妹のヒカリさんって人も……」
「気にしなくていいわ。今の情報だけでも十分すぎる戦果よ」
私はノヴァの髪を優しく撫でた。
無理もない。ジャーナリストの男が残していった資料や私たちが持っている写真は、どれも半年以上前のものだ。過酷な状況下で容姿が変わっている可能性もあるし、何よりアフリカ育ちのノヴァにとって、東洋人の顔の細かな違いを見分けるのは至難の業だ。
「ノヴァ。その『全然動かないお姉さんたち』って、どんな様子だ?」
ナタリーが質問を投げかけた。
すると、ノヴァは思い出したくないのか、ぶるりと身体を震わせ、自身を抱きしめるように両腕を擦った。
「……お人形さんだったよ。大きな部屋の中に、何人ものお姉さんたちがいたんだけど……誰も喋らないの。テレビも見ないし、本も読まない。ただ、壁際やベッドの横に突っ立ってるだけ。……まるで、指示がないと動けないロボットみたいだった」
その光景を想像し、リビングの空気が一気に冷え込んだ。
自我を奪われ、思考を停止させられ、ただ命令されるのを待つだけの肉の抜け殻。それが、田中が作り上げた『魔法少女システム』の実態。
「……許せない」
アカネさんが、ギリッと奥歯を鳴らした。
かつて同じ道を歩んでいた魔法少女たちが、使い捨ての道具として飼い殺しにされている。その事実は、私たちの胸の奥に黒い怒りの炎を焚きつけるには十分だった。
「これで場所は分かった。……問題は、どちらを先に攻めるかだ」
ナタリーが、テーブルの上に広げられた地図に二つの赤いピンを刺した。
「一つは魔女たちが収容されている家。もう一つは、田中がいる本丸。……どうする?」
ナタリーの問いかけに、真っ先に口を開いたのはアカネさんだった。
「……魔女たちが囚われている家を、先に襲撃したい。そこにいる魔女たちの意識を解放できれば……他の魔女たちも強力な戦力になるかもしれない」
「私もそう思う!」
ノヴァもその意見に強く賛同した。
「お人形にされてるお姉さんたちを、早く助けてあげたいもん!」
二人の意見は、情に厚く、そして一理あるものだった。もし魔女たちを味方に引き入れることができれば、圧倒的な戦力差を覆すことができる。
だが、その希望的観測を、ナタリーの冷徹な声がバッサリと切り捨てた。
「落ち着け、現実を見ろ。魔女の意識を奪っている仕組みが我々には分かっていない。魔女たちを物理的に外へ連れ出したところで、意識が戻る確証もない。ただの『意志を持たないお荷物』を何人も抱えて、どうやって逃げ切るつもりだ?」
ナタリーは地図上のピンを指し示し、厳しい現実を突きつける。
「それに、一人でも連れ出せば、即座に田中に勘付かれるぞ。本丸の守りをガチガチに固められ、救出どころか、田中を仕留める機会すら失うことになるぞ」
「……っ」
アカネさんとノヴァが、言葉に詰まって俯いた。
残酷だが、ナタリーの言う通りだ。感情による判断ではなく、論理的な行動を取る必要がある。
「私も、ナタリーに賛成ね」
ユカリさんが静かに同調した。
「一番確実なのは、蛇の頭を落とすことよ。田中を拘束して解放方法を吐かせる。それが、すべての魔女を一度に解放する唯一の手段だと思うわ」
全員の視線が、最後に私へと集まった。
私は静かに息を吸い込み、決断を下した。
「ナタリーとユカリさんの言う通りよ。私たちは、田中がいる本丸を先に叩くわ」
アカネさんとノヴァの表情にわずかな悔しさが滲んだが、私は二人の目を見てはっきりと告げた。
「魔女たちを見捨てるわけじゃない。全員を確実に助けるための方法を選ぶの。田中を急襲し、人質にしてすべての魔女を解放させるわ」
私の迷いのない言葉に、アカネさんとノヴァも小さく、しかし納得したように頷いてくれた。
目的と手段は完全に固まった。
私たちは夜が明けたら事前調査をするため、それぞれ短い休息を取ることにした。
***
その日の昼下がり。
私たちは高級住宅街の一角、田中が潜伏しているタワーマンションから少し離れた場所に車を停めていた。
随所に監視カメラが設置されている。入り口には、スーツ姿の屈強な警備員が数人、鋭い目を光らせていた。
「……まるで要塞だな」
運転席で双眼鏡を覗き込んでいたナタリーが、呆れたように呟く。
後部座席から様子を窺っていた私は、マンションから人が出て来たのを見逃さなかった。
「ナタリー、見て。誰か出てきたわ」
そこから姿を現したのは、フードを深く被った女性――先日、取引をした雷の魔女、レイだった。
おそらく、ジャーナリストの男を始末したという虚偽の報告を田中に終え、出てきたところなのだろう。彼女は周囲を一度だけ見回すと、傷ついた身体を労わりながら駅の方向へと歩き始めた。
「ナタリー。レイさんに接触して」
私の指示に、ナタリーは被っていたキャップの鍔を深く下げた。
「私でいいのか?」
「ええ。顔を知られていないあなたなら、通行人を装って近づけるはずよ。接触したら魔女が囚われている家の座標を伝えて。それと、明後日、私たちが『ここ』で騒ぎを起こすってことも」
「了解した。……別働隊として動かすつもりだな」
ナタリーはニヤリと口角を上げると、車を降りてレイの歩く方向へと早足で向かっていった。
数分後。
ナタリーはレイの歩く歩道の前方から、スマートフォンを見ながら歩く通行人を装ってすれ違った。
その一瞬の交差。
ナタリーは一切歩みを止めることなく、レイのポケットに小さな紙切れを滑り込ませた。同時に、唇だけを微かに動かして何かを囁くのが、遠目にも分かった。
レイは立ち止まらず、表情を変えることもなく歩き続けたが、すれ違った後に一度だけ、自身のポケットの上から手で触れる動作を見せた。
「……接触完了だ」
車に戻ってきたナタリーが、キャップを脱ぎながら報告する。
「座標と計画は伝えた。……私たちは田中を叩く。魔女が囚われている家の方は、あのレイが動いてくれるはずだ」
「ええ。彼女なら、ヒカリさんを助けるために必ず動くと思うわ」
昨日の敵は、今日の不確かな味方。
決して完全に信用したわけではないが、彼女の妹を想う執念だけは信じられる。これで、二つの拠点を同時に動かす並行作戦の布石が打てた。
***
さらに翌日。
アジトのガレージには、むせ返るような薬品の匂いが充満していた。
テーブルの上には、ナタリーが組み上げた小型の爆発物。私たちが使うクナイやワイヤー。そして、全員が着用する防刃性の高いベストが並べられている。
「準備は、できている?」
私が静かに問いかけると、愛銃を組み立て終わったナタリーが頷いた。
「いつでも行ける。本当は自動小銃くらいは用意したかったがな」
「私は、いつでもいい。絶対に、負けない」
アカネさんも力強く応える。
「私もユカリお姉さんと、近くで覗いているからね!」
ノヴァも胸を張り、ユカリさんがその肩を後ろから優しく抱きしめて頷いた。
それぞれの瞳に宿る、静かだが確かな熱。
迷いは、誰の顔にもなかった。
「明日、決行よ」
私は全員の顔をゆっくりと見渡し、深く頷いた。
長かった因縁に、ついに終止符を打つ時が来たのだ。
冷たい風がシャッターを揺らす中、私たちは最後の夜を、静かな闘志と共に研ぎ澄ませていった。




