立場が違う姉
ジャーナリストの男が持ち込んだ膨大な資料の確認が一段落した頃、私は静かに立ち上がった。
「みんな」
私が声をかけると、ナタリー、アカネさん、そしてノヴァの視線が一斉にこちらへと集まった。
「……もう一度だけ、私だけであの魔女……レイと会話させてほしいの」
私の申し出に、ナタリーは腕を組んだまま、探るような視線を向けてきた。
「拷問をしないというなら、どうやって口を割らせるつもりだ? 向こうは依然として警戒を解いていないぞ」
「同じ『妹を人質に取られた姉』として、腹を割って話してみるわ。……それでもダメなら、その時は強硬手段に出る」
私の覚悟を見たナタリーは小さく息を吐き、「……好きにしろ」と引き下がってくれた。
他の皆も、私の決意を汲み取るように無言で頷いてくれた。
私は小さく一礼し、冷たい空気が漂うガレージへと向かった。
***
ガレージの扉を開けると、コンクリートの底冷えする空気が肌を刺した。
見張り番をしていたユカリさんと視線を交わして交代し、彼女が部屋へと戻っていくのを見届ける。
私はパイプ椅子に縛り付けられているレイの正面に立った。
レイは目隠しを外された状態だが、疲労と警戒が入り混じった目で、じっと私を睨みつけている。
私は深呼吸をして、冷徹なトーンで問いかけた。
「……あなたを生きて帰した場合、この後どうするつもりなの?」
レイの瞳の奥で、微かに敵意の炎が揺らいだ。
彼女は吐き捨てるように言い切った。
「あなたたちの存在を、そのまま田中に報告するわ。……それと、隙を突いてあのジャーナリストの男も殺す。それが私の任務だから」
「……そう」
重く、冷たい沈黙がガレージに落ちた。
彼女の返答は想定通りだ。彼女も妹のヒカリを人質に取られている以上、田中の命令に背けないのだろう。
(……このままでは、何も聞き出せない)
レイを解放すれば、田中に情報が漏れる。時間をかけて説得する余裕もない。最悪の場合、力ずくで聞き出すことになる。
それでも、できることなら、そんな手段は選びたくなかった。
「あなたの妹さんは、他の魔女のように……田中に意志を完全に支配されているの?」
少し角度を変えて質問を投げかけてみたが、レイは口を真一文字に結んだまま、そっぽを向いてしまった。
聞きたいことは山ほどあるが、まともに答えてくれる気配は微塵もない。
(……これが最後の説得ね)
私は一度だけ息を吸い、サヤの名前を口にした。
「さっきも言ったけれど……」
私はゆっくりと、一言一言を噛み締めるように言葉を紡ぎ始めた。
「私の妹……サヤも、魔法少女の力に目覚めて、田中に捕らえられているの。私は、あの子を絶対に助け出すわ」
サヤの名前を出した瞬間、レイの肩が微かに震えた。
「敵であるあなたを無条件で解放することはできない。でも……もしこの先、あなたの妹であるヒカリさんを見つけたら、サヤと一緒に必ず助け出すと約束する」
私は言葉を区切り、レイの目の前まで歩み寄ると、冷たいコンクリートの床に両膝をついた。
そして、縛り付けられた敵に対して、深く、深く頭を下げた。
「どうか、教えてください……! 捕まった魔法少女が、田中の元でどのような扱いを受けているのか。何をされているのか。お願いします……っ!」
プライドも、矜持もすべて捨てた。
ただの、妹を助けたい一人の姉としての痛切な懇願。額が冷たい床に触れるのを感じながら、私はただ彼女の言葉を待った。
静寂。
どれほどの時間が過ぎただろうか。
ふうっ、と。
頭上から、ひどく重い溜息が降ってきた。
「……頭を上げなさいよ。調子が狂うわ」
掠れた声に促され、私が顔を上げると、レイは天井を見上げながら自嘲気味な笑みを浮かべていた。
「……私が任務を失敗して手ぶらで戻らなければ、妹のヒカリに何されるか分からない。それだけは分かってちょうだい」
「ええ……」
レイは視線を私に戻し、探るような目でじっと私を見つめた。
「でも、そうね。あなたが本当に……支配された魔女たちを解放してくれると約束するなら。あなたたちのことは、田中に内緒にしてあげてもいいわ。もちろん、あの男も『死んだ』ことにして報告する」
「本当!?」
思わず身を乗り出した私に、レイは冷ややかな条件を突きつけた。
「その代わり、男の仕事仲間にでも頼んで、『公園で、落雷による身元不明の焼死体が発見された』とネットニュースにでもフェイク記事を出させなさい。田中は用心深いけど、記事さえ出れば、男がその後雲隠れしてもバレないと思うわ。……それと、もう田中の周辺を探るような真似は止めさせなさい」
ジャーナリストのコネクションを使った隠蔽工作の提案だった。
それさえすれば、レイが男を始末したという任務の完了証明になる。
「いいこと?」
レイは念を押すように、鋭い声で私を牽制した。
「私はヒカリを助けるためだけに動くわ。だから、あなたの妹の面倒までは見ない。そこは勘違いしないで」
「構わないわ。サヤは、私がこの手で助け出すから」
「……それと。妹さんの扱いの件だけど」
レイの表情が、少しだけ和らいだように見えた。
「確証はないけれど、命を奪わず、意志だけを消した人形のようにされていると思うわ。魔法少女は田中にとって貴重な財産だから。私のように弱みを握り、『自我を残したまま使う便利な駒』にしているわけではないと思う」
私も予想していた内容だが、その言葉は私に影を落とした。
でも、まだ生きている。
「ありがとう……っ!」
私は顔を上げ、生きているという希望に表情を綻ばせた。
「それじゃあ、妹たちを助け出すまで、裏で協力体制をとってくれるってことでいいのね?」
「……お互いに目的が同じなんだから、仕方がないじゃない。でも味方ではないわよ?」
レイはそっぽを向いたが、その声に先ほどまでの鋭い敵意は見当たらない。
私はすぐにリビングにいる皆をガレージへと呼び寄せた。
ナタリーが怪訝な顔をしながらも、レイの拘束具を外してくれる。
自由になった両手首を摩りながら、レイはパイプ椅子から立ち上がり、私たち全員を見渡した。
「私が知っている情報を教えてあげる。……私たちが倒すべき最大の目標は、田中と、もう一人。『魔女――キサラ』よ」
「キサラ……?」
聞いたことのない名前に、私が首を傾げる。
レイは真剣な顔つきで頷いた。
「キサラは田中の右腕として動いている魔女よ。能力の全貌は未知数だけど……彼女がいるから『魔法少女システム』が成り立っていると田中が言っていたわ」
(意志を奪うシステム……その核が、キサラという魔女……!)
つまり、そのキサラを叩き潰せば、魔女たちの支配は解け、田中の戦力は一気に瓦解するかもしれない。
「悪いけど、用心深い田中から私が得られた情報はこれくらいよ」
ずっと一人で戦ってきたのだろう。レイは、少しだけ申し訳なさそうな顔をした。
だが、この情報は、私たちにとっては大収穫だった。
田中の懐に潜む『キサラ』。倒すべき敵の姿が、はっきりと形を持ったのだから。
「十分よ。本当にありがとう」
私が心からの感謝を伝えると、レイは無言のまま、すっと右手を差し出してきた。
細く、白い手。協力関係を結ぶための、盟約の握手。
私は何の疑いも持たず、笑顔でその右手を取り、強く握り返した。
――バチィッ!!!
「きゃああっ!?」
けたたましい放電音と共に、強烈な高圧電流が私の腕から全身へと駆け巡った。
私は情けない悲鳴を上げながら、ガレージの床に倒れ込む。
「ユキ!?」
慌ててナタリーたちが武器に手をかけるが、レイはすでに私に背を向けて歩き出していた。
「……簡単に敵を信用するその甘さ、早く直しなさいね。命を落とすわよ」
振り返ることなく言い放たれたその言葉は、冷たく聞こえたが、どこか私を気遣う忠告のようだった。
安易な口約束に対して、無防備に手を握るなど、本来あってはならない失態だ。
「じゃあ、私はもう行くわ。……ニュースの手配、忘れないで」
まだ全身が痺れて立ち上がれない私を尻目に、レイはガレージのシャッターの隙間から、夜の闇の中へと姿を消した。
私は痺れる手足をさすりながら、床の上で小さく笑みをこぼした。
彼女の残した痛烈なエールと、握手から伝わってきた覚悟。
この日、わずかだが敵の手がかりと、内部協力者を得ることに成功した。




