画伯の残した糸口
朝から、空はどんよりとした重い灰色の雲に覆われていた。
今にも雨が降りそうで、相変わらず太陽が見当たらない。
湿り気を帯びた冷たい風が、古い窓硝子をカタカタと小さく揺らしている。
部屋の中に充満しているのは、甘く香ばしいココアの香り。
私たちはリビングのテーブルを囲んでくつろいでいた。
「ふぅ……甘くて美味しいわ。ありがとう、ユカリさん」
マグカップを両手で包み込むと、熱がじんわりと右手へ伝わってくる。
「みんな、ココアを飲みながらでいいから聞いてほしいの」
私はマグカップをテーブルに置き、背筋を伸ばして全員の顔を見渡した。
皆の注目を集めると、私たちが成すべきことを、全員で再確認する。
「私たちの最優先事項は、サヤの奪還よ。……そのために、まずはあの子がどこに囚われているのか、居場所を特定したいの」
私の言葉に、全員が静かに頷く。
息を呑む音すら聞こえそうな静寂の中、私は胸の奥で渦巻く黒い感情を押し殺しながら、言葉を続けた。
「次に、両親の仇であり、私たちの全てを狂わせた田中ヒトシの首。……そして最後に、可能であれば……あいつが作り上げた『魔法少女システム』を、完全に破壊したい」
アカネさんや多くの魔法少女たちの人生を、玩具のように弄んできた悪鬼のシステム。
それを野放しにしたくないという私の我儘も付け足した。
「……どれも、一筋縄ではいかないだろうな」
ナタリーが低い声で呟く。
「ええ。田中の周りには厳重な警備がついているでしょうし、何より、自我を奪われたあの『魔女』たちが邪魔をするはずよ。……だからこそ、その強固な防壁を突破するための情報が欲しいの」
私は向かいに座る銀髪の少女へ視線を向けた。
「アカネさんは、以前に魔女たちと直接戦ったけれど……今の私たちで勝てそうかしら?」
アカネさんは瞳を少しだけ細め、自分の手元を見つめながら、確かな重みを持った声で答えた。
「……勝てる。私だけでなく、ユキやナタリーも負けない」
「なら——」
「でも……連携されたら、きっと無理」
アカネさんの言葉が、私の言葉を遮った。
彼女は自分の手をそっと撫でながら、静かに思い出すように語る。
「あの時も……私とサヤは魔女の連携で防ぐだけが精一杯になった。人数差もあったし、最後は防げないで負けた」
「なるほどな」
ナタリーが飲み干したマグカップをテーブルに置いた。
「正面から束になってかかられたら勝ち目はない。なら……そいつらを『各個撃破』する算段を付けるしかないわけだ」
「各個撃破……」
その難しさを想像して、リビングは重苦しい沈黙に包まれた。
向こうから一人ずつノコノコと出歩いてくれるはずもない。
私は沈黙を破るように、ユカリさんに尋ねた。
「ユカリさん、現在で分かっていることを教えてもらえる?」
ユカリさんは困ったように眉を下げ、肩を落とした。
「帰国前にざっと調べたけど……田中に関する情報は、本名なのか含めて全く不明よ。徳頭サトミチに成り代わった後の、表向きの公式情報くらいしか分からない。それに、今田中に付いている魔女の正確な人数や能力も謎だし……過去に引退したはずの魔法少女たちが、今どこでどうされているのかも、完全に闇の中よ」
手詰まりだった。
敵の懐に飛び込もうにも、相手の姿があまりにも見えなさすぎる。
その時だった。
「——でもね! 田中を追えば、自宅だってすぐ分かるよ!」
元気いっぱいの声が、どんよりとした雰囲気を吹き飛ばした。
声を上げたのは、膝の上に手を置いて身を乗り出していたノヴァだった。
ノヴァの持つ魔法——『千里眼』。
特定の場所を強くイメージすることで、どんなに離れた場所であっても意識だけを飛ばして様子を観察できる、理不尽なまでの諜報能力。
「テレビに出たりして、居る場所が分かった瞬間に見に行けば、どこへ帰って、どこで誰と会うのか、全部見られるよ!」
ノヴァは自信満々に胸を張ってみせた。
(そうか……ノヴァの力があれば、敵の拠点から足取りを掴める)
私の胸の奥で、小さく希望の火が灯るのを感じた。
田中という大きな太い糸を手繰り寄せれば、そこから芋蔓式に魔女たちを特定し、『個別撃破』する方法が見えてくるかもしれない。
「頼りにしているわ、ノヴァ」
私が優しく微笑むと、ノヴァは「うん! 任せて!」と、弾けるような笑顔で答えてくれた。
目的の再確認と、おおよその方針は決まった。
そこからは、各自が今できる最大限の準備へと取り掛かる。
ノヴァとユカリさんは、情報収集を行うためのマップの読み方のお勉強を始めた。
ナタリーは、奥にある作業スペースで、持ってきた工具を広げていた。
何に使うのか分からないが、トラップや爆弾を、黙々と組み立てている。
かつては分かり合えないと思っていたが、味方になればこれほど頼もしい指揮官はいない。
アカネさんは、目を閉じて座禅を組んでいた。
魔法の『精密化』の修行らしいが、傍から見れば寝ているようにしか見えない。
私は家事を担当しながらも、合間に左手のギミックの練習をすることにした。
(まずは、皆の昼食と夕食の下準備をしなきゃ)
トントン、と包丁で野菜を刻みながら、手袋に仕込まれた機構を利用した戦闘イメージをして過ごした。
***
その日の夜。
窓の外が完全な暗闇に包まれた頃、ユカリさんが興奮気味に全員をリビングへと集めた。
「みんな! ノヴァちゃんが、手掛かりを掴んでくれたわ!」
全員がテーブルの周りに急いで集まる。
ノヴァは少し得意気に、でもどこかわくわくした表情でユカリさんの隣に立っていた。
「ノヴァちゃんの千里眼で、田中の行動を追っていたんだけど……田中が仕事の合間を縫って、女性と密会したの!」
ユカリさんの報告により、場が一気に緊張に包まれる。
「田中はその女性に、ある一枚の写真を渡して『始末しろ』と命じたらしいわ。写真には、中年男性が写っていたそうよ」
「写真はね、すぐに仕舞われちゃったから、ちゃんと見えなかったの」
ノヴァが補足するように言葉を継ぐ。
「でも! 女性の顔はバッチリ覚えたよ!」
ユカリさんは真剣な表情で頷いた。
「その写真の男が、田中にとって不都合な存在であることは間違いないわ。何かしら、田中を追い詰めるための情報を持っているかもしれないわね」
一度言葉を区切って皆を見渡す。
「その後、指示を受けた女性は『徳頭の情報提供をしたい』と誰かに電話をかけたらしいわ。待ち合わせの日取りは『明日』、場所は『埼玉のレイクタウン』……時間や詳しい場所は、ノヴァの能力の限界がきちゃって分からなかったわ」
「埼玉のレイクタウン……」
ナタリーが顎に手を当てて呟く。
「その女性……田中を裏切るのではなく、情報提供を持ちかける振りをして男を誘い出すつもりだろう」
「私たちは、その女性かターゲットの男性を確保できればいいってことね」
私の胸が高鳴った。
「……一応ね、女性の似顔絵を、ノヴァちゃんに描いてもらったんだけど」
ユカリさんが、少しだけ苦笑いを浮かべながら、一枚の白い紙を取り出した。
ノヴァが自信満々に、その紙を全員に見せるように広げた。
そこに描かれていたのは——。
…………。
丸い頭に、一本の直線で書かれた体。
そこから生える、爪楊枝のような細い手足。
(……棒人間ね)
私の心の声が、静かに部屋に響いた。
(……マッチ棒だな)
ナタリーが、表情をピクリとも動かさずに心の中で突っ込んでいるのが分かった。
(……指が三本しかないわ)
アカネさんは興味深そうに見ている気がする。
目も鼻も口もない、幼稚園児でももう少し描き分けるであろう、完璧な『棒人間』のイラストがそこには鎮座していた。
「画伯は、まともなお絵描き教育を受けていないから、この通りよ」
ユカリさんが苦笑交じりにフォローを入れる。
アカネさんが、皆の反応が思ったものと違ってプルプルと可愛らしく震えていたノヴァの頭を、ポンポンと優しく撫でた。
「まあ、画力はともかくとして……!」
ユカリさんは気を取り直すように手を叩いた。
「ノヴァちゃんの目には、その女性の顔がはっきりと焼き付いているわ。だから、カメラ付きのインカムを持って、明日からあなたたち三人で現地に行って、人混みを観察してもらえるかしら? ノヴァちゃんと私で、映像に映った人の中から、その女性をリアルタイムで特定するわ!」
ユカリさんがテーブルの上に、レンズが仕込まれたインカムを並べた。
埼玉のレイクタウン。
巨大な商業施設と人混みの中で、男を罠にかけようとしている女性を探し出す。
女性が暗殺者なのか、または魔女と組んでいるのか分からないが、とても危険な任務には違いない。
けれど、これが私たちにとって最初の突破口になるはずだ。
私はインカムを手にとると、力強く握りしめた。
「行こう!」
ようやく、サヤを取り戻すための第一歩を踏み出した。




