新たな拠点と動き出す悪意
日本へ帰国してから一週間。
新たな拠点は、ようやく設備が整ってきていた。
備蓄の食料や、変装用を含めた衣服。簡単なトラップを作る材料。そしてユカリさんのお仕事道具。
「やっぱりこれよ! 分かるでしょ、ユキちゃん! この頭部まで包み込む包容力! 長時間の作業には、このチェアが不可欠なのよ!」
運ばれてきたばかりのお気に入りのゲーミングチェアに体を預け、幼子のように頬ずりをするユカリさん。
新品の合皮特有の匂いをさせながら、キャスターをガラガラと鳴らしてご満悦の表情を浮かべている。
(……どうしよう、セッティングが全然進まない)
私は手に持っていたダンボールカッターを握り直すと、乾いた笑いを浮かべて生返事を返した。
かつて自分が、手になじむお気に入りの型のクナイを新調したときの高揚感をふと思い出したが……たぶん、あの感覚とは根本的に違う種類のものだろう。
これ以上ユカリさんに付き合っていると荷ほどきが終わらないと悟り、私は助けを求めるように周りへ視線を巡らせた。
少し離れた部屋の真ん中では、アカネとノヴァが並んで座禅を組んでいた。
背筋をピンと伸ばし、規則正しい呼吸を繰り返している。魔法少女ならではの、精神統一による魔力の練り上げ修行だそうだ。しんと静まり返ったその空間だけ、空気が研ぎ澄まされているように見えた。
視線を逆側へと向けると、パイプ椅子に腰掛けたナタリーと目が合った。
机の上には分解された愛銃のパーツが並べられており、ツンとするオイルの匂いが漂っている。
助けてほしいというアイコンタクトを送ると、彼女はパッと表情を変え、頼もしく「任せろ」と頷いてくれた。
ナタリーは愛銃の手入れの手を止めると、すっと立ち上がり、修行中の二人の前へと歩み寄った。
「お前たちには護身術を教えてやろう! 喜べ軍隊式だぞ!」
唐突なナタリーの提案に、アカネとノヴァはわずらわしそうに眉をひそめた。魔法の修行を邪魔されたのが不満だったのだろう。だが、ナタリーが「魔法を使えない状況や、至近距離で奇襲されたときに自分の身を守るのは、魔法ではなく泥臭い体術だ」と身振り手振りを交えて説明すると、二人は顔を見合わせ、確かに一理あると思い直したようだ。
「……確かに。接近戦の知識は、あって困らない」
「うん! 私、ナタリーお姉ちゃんに教えてほしい!」
納得した二人は座禅を解き、ナタリーの手ほどきを受けながら、関節の決め方や相手の隙を突く基本的な動作を習い始めた。
(違う、そっちじゃない)
私はもう何も考えないように静かに目を細めると、溜息を一つ吐いて、黙々と荷解きを進めつつ今夜の夕食作りに意識をシフトさせることにした。
数時間後、私特製のカレーがテーブルに並び、全員で揃って夕食の時間を迎えていた。クミンやターメリックの香ばしいスパイスの匂いが部屋を満たし、それまでの張り詰めた空気を少しだけ和らげてくれる。
カチャカチャとスプーンが皿に当たる音が拠点に響く。
いまの私たちには、為すべき明確な目標があった。
徳頭サトミチに成り代わり、国の影で糸を引く田中ヒトシを打倒すること。そして、彼らの手元からサヤを取り戻すことだ。そのためには、田中の足取りや現在の警備体制についての情報を一刻も早く集めなければならない。
「ノヴァ、悪いけど明日からはユカリさんに協力してもらっていい?」
私はスプーンを置き、じっと目を見てノヴァの覚悟を確かめるように問いかけた。
幼い少女を過酷な復讐の戦いに巻き込むことへの葛藤が、胸の奥でチクリと痛む。だが、ノヴァの感知能力は、田中やサヤの居場所を探し出すための大きな鍵だった。
ノヴァは一瞬だけ力強く頷くと、負けじと真っ直ぐな覚悟の目で私を見つめ返してきた。
「もちろん! 田中を探すんでしょ? 私はそのために居るもん!」
口元に黄色いカレーのルーを少しだけ付けたまま、元気いっぱいに返事をするノヴァの姿が、なんとも愛らしく微笑ましかった。
「お願いね」
そう言って、私はアカネさんと一緒に、ノヴァの頭を優しく撫でて甘やかした。ノヴァは気持ちよさそうに目を細めている。
(……後で、冷蔵庫にあるプリンも出してあげるわ)
心の中でそう呟く。
焦って飛び込めば、かつての二の舞になる。私たちはゆっくりと、だが確実に田中を追い詰め、サヤを救い出すと心に決めていた。
***
静寂に包まれた、重厚な邸宅。
元は徳頭官房長官の自宅であった場所だが、すでに田中が徳頭を処理し、その顔も名前も立場も完全に奪い取ったため、実質的には田中の自宅となっていた。
現在、徳頭として官房長官の職に就いている田中は、異常なまでに用心深かった。
国の中枢に君臨しながらも、常に自らの身の危険を過剰に警戒しており、邸宅の中であっても複数の魔女をボディガードとして侍らせている。
今も広大な執務室の周囲には、鋼鉄の魔女、砂塵の魔女、水圧の魔女の三人が、気配を殺して静かに控えていた。圧迫感のある冷たい空気が、室内に充満している。
コンッ、コンッ、コンッ。
重厚な木製の扉を、控えめにノックする音が響いた。
「入れ」
書類から目を離さず、短く指示を出す田中。
開いた扉から入ってきたのは、一人の魔女だった。
かつて、徳頭と決着をつけたあのホテルにて、サヤとアカネが惨敗した魔女の一人である。
「お呼びでしょうか、ヒトシさん」
静かに頭を下げ、次の指示を待つ魔女。
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、執務室の中に苛立たしげな田中の怒声が響き渡った。
「またもや俺の周りを嗅ぎまわっているネズミがいる!」
ドスン、と拳で机を力任せに叩く田中。
最近の彼は、事あるごとに足元をすくわれ、思うように事が運ばないことに強い焦りと苛立ちを募らせていた。
元々、彼は持ち前の高い知性と、「国のため」という歪んだ正義感で動く男だった。誰かの下で参謀として策略を練り、裏から手を回すことにかけては卓越した手腕を発揮していた。
だが、彼には組織のトップに立ち、人を惹きつけるカリスマ性が今一つ足りなかった。
そして、何よりもタチが悪いことに、彼自身がその「自身の力量不足」という現実を固く拒み、決して認めることができなかったのだ。
トップに成り代わったものの、組織は思うように動かず、マスコミは常にスキャンダルを嗅ぎ回っている。
呼び出された魔女は、怒りで顔を歪ませる田中の姿を、心配そうにただただ見つめることしかできなかった。
「ヒトシさん……」
荒い息を吐きながら、どうにか怒りを制御した田中は、暫くして、ふと思いついたように冷酷な笑みを浮かべ、命令を下した。
「そうだ……ネズミだ! 嗅ぎまわる奴は、消してしまえばいい! ……あいつを呼べ!」
その言葉に、魔女は一瞬だけ表情を曇らせたが、すぐに深々と頭を下げた。
「……分かりました。明日には到着するように手配いたします」
静かに返事をし、魔女は部屋を出て行った。
官房長官という絶大な権力と土台を手に入れながら、なぜ田中はここまで苦労し、足元をすくわれ続けているのか。
本人のトップとしての力量不足ゆえなのか。
それとも――彼がこれまで踏みにじり、使い捨ててきた者が彼の足を掴んでいるのか。




