影たちは帰国し最後の拠点を探す
午前三時。
海岸から数百メートル離れた暗い沖合に、一つの影が浮かんでいた。
海岸へ近づいたところで、エンジンを静かに切る。
あとはオールだけを頼りに、水面を滑らせるようにゆっくりと岸へ向かう。
規則正しい波の音だけが、夜の闇の中に小さく響いていた。
オールを握りながら、ナタリーが鬱陶しそうにぶつぶつと文句をこぼす。
「なんで指揮官が、わざわざこんなボートを漕がなきゃいけない……」
「ナタリー、文句を言わないで手を動かして!」
ゴムボートには、ユキ、ナタリー、アカネ、ノヴァ、ユカリの五人が乗っている。
すべての決着をつけるため、私たちは再びこの日本へ帰ってきたのだ。
私とナタリーは、並んでオールを握りしめ、陸を目指した。
「……それにしても、指揮官自ら船を漕ぐとはな」
「ねえ、まだ言ってるの?」
「ユカリはデスクワークだから無理でも、アカネと交代するのは――」
「寝てるな」
「……そうね」
ふと振り返ると、アカネはボートの端で膝を抱えたまま、静かに目を閉じていた。
長旅の疲労もあったのだろう。思わず、小さくため息を漏らす。
最後の戦いを前にして、再び踏み入れた故郷の地。
チームワークはばっちりだ。
***
(ごめんなさい……!)
悪いとは思ったが、エンジン付きのゴムボートはビニールに包んで、近くの釣具店の前にそっと置いてきた。
新品のエンジンの価値を分かって、どうか許してくれないだろうか。
そんな虫のいい期待を内心で抱きながら、私たちは足早にその場を離れる。
その日は人目を避けて少し歩き、フロントに人影がない、いかがわしい雰囲気の古いホテルに五人で身を寄せた。
まずは、仮拠点でもいいから腰を落ち着ける場所を作らなければならない。
私はユカリさんと共に古びた地図を睨みつけ、ナタリーの率直な意見も聞きながら候補を絞っていく。
三人で話し合った結果、今後の情報収集には最低でも一ヶ月は必要だと判断した。
そのため、ユカリさんの名前で民泊を二ヶ月間契約することにした。
仮にユカリさんの存在が田中に知られていたとしても、彼女は公の場で指名手配されているわけではない。
民泊のオーナーから不審に思われて通報される可能性は低いと、私たちは冷静に判断した。
「はあ……金を積んでもまともにホテルに泊まれないなんて、日本は本当に面倒だな」
ナタリーは愚痴を吐きながらも、次々と現実的な改善案を出してくれる。
こういう時、彼女のサバサバとした性格はとても頼りになる。
ふと横目でアカネさんとノヴァの様子を伺うと、初めて入る部屋の探索にも飽きたのか、お風呂に二人で入り、そのままベッドに潜り込んで、ぐっすりと眠っていた。
「呑気なものだな」
「あら、可愛いじゃない」
相変わらずユカリさんは、優しい眼差しでそんな二人を見守っている。
「私たちも、休みましょう」
こうして、日本帰国の長い初日は静かに終わりを告げた。
***
翌朝。窓を開けると、太陽をすっぽり隠すような灰色の空が広がっていた。
今日は拠点の契約と車を手に入れることを最優先にする。
そして、これからの戦いに必要な物資の洗い出しも急がなければならない。
(最初が肝心だわ。今日は一日、忙しくなるわよ)
私は拳をぎゅっと握りしめて振り返る。すると、ちょうどユカリさんと目が合った。
ユカリさんは心強い笑みを浮かべ、コクンと頷き返して――。
「さあ、まずは可愛い服を買いに行くわよ!」
ユカリさんの鶴の一声で、最初の目的地が決まった。
私たちはタクシーを呼び、観光客の多い繁華街へと向かう。
「ノヴァ……これとこれ、どっちの色がいい?」
「絶対こっちが似合う!」
「なあユカリ、予算はいくらまでだっけ!?」
「キャー、これ可愛い! ノヴァちゃん、ちょっとこれ着てみてよ!」
私は無難にフード付きのジャンパーと、変装にも使えるお洒落なカラーグラスを購入し、皆の買い物が終わるのをベンチで静かに待っていた。
適当なファミレスのボックス席に滑り込む。
アカネさんは念願のお子様ランチに小さな旗を立て、ノヴァと並んで幸せそうにスプーンを動かしている。
「午後からは別行動ね。ユカリさんは拠点と車の確保を頼めるかしら? アカネさんは念のためユカリさんに付いていてね。私たち三人は近くのカラオケで待機しながら、必要物資の洗い出しと今後の計画を詰めるわ」
「それでいいかしら?」と皆を見回すと、それぞれが小さく、しかし力強く頷いた。
その後は予定通りに過ごし、夜のとばりが降りる頃には、昨日泊まったホテルとは別の、フロントに人がいないホテルで合流を果たしていた。
「なんとか明後日から拠点は借りられるわ。車はオークションで二台、落札しておいたけど、ナンバーは偽造するしかないわね」
ユカリさんは相変わらず仕事が早くて、とても助かっている。
それからはノヴァとナタリーのために、道中でたまの観光を挟みながら慎重に移動を重ね、予定通り二日後には新しい拠点へと辿り着いた。
古びたシャッターの隙間から漏れる冷たい空気を頬に感じながら、私はふうっと小さく息を吐き出す。
ここから、私たちの最後のミッションが始まる。




